表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
145/205

#4.the Witch is coming now.(魔女が来るぞ…)


「……その辺りで止めるべきでしょう。クズダルク書記官」


 整然とした声が、廃ビルに響き渡った。


 声を上げた西側の男は、今も足を上げている書記官の横を通り過ぎると、床に倒れている少女へと駆け寄る。手足はイスに縛られたままで、体中に擦り傷ができていた。


「おやおや、西側陣営のスパイである君が、この小娘を庇うのかい? これが東側の鼠だと知っているというのに」


「捕虜の扱いは、ジュネーブ条約で定義されている。無意味な乱暴は避けるべきです」


「それは、戦時中の条約だろう。そもそも軍人でもない人間には、適応されないと思うがね?」


「えぇ、その通り。我々スパイには、あらゆる条約が適応されません。国のために生きて、国のために死ぬ」


 それが、我々の生き様です。

 西側陣営の中でも凄腕のスパイである、西側の男。彼は書記官と同僚たちの視線を集めながら、それでも整然と声を張る。


「それでも、我々は人だ。彼女がどのような活動や工作をしていたのか、人として同じ目線で話し合うべきだ。それこそが、我々が謡う。自由と平等の世界だ」


 西側の男の言葉に、書記官はつまらなさそうな顔になる。


 だが、彼の同僚は違った。

 そうだ、そうだ。と、賛同するものが出てきて、書記官に対して冷たい視線を向ける。そもそも祖国を売って、東側へと亡命をする算段をつけていた男だ。この浅はかな裏切者の言葉には、あらゆる重みがない。


「あーはっは。実に下らない。そんな甘いことを言っているから、東側に出し抜かれるんだ。この能無し共め」


「クズダルク書記官。あなたには世界が見えていない。次期に、世界は東側・西側なんて括りなどなくなる。東西の平和併合、それが目の前にまで迫ってきている」


「ふん、そんな表向きの平和など、ただの幻想に過ぎないさ」


「それでも、あなたの生きる場所はなくなる。祖国を売り、東へと逃げても、そこに安住の地はないでしょう」


 これ以上、語ることはない。

 そう言うように、西側の男は少女を縛っているものへと手を伸ばす。そして、隠してあったナイフで縄を切ると、ナタリア・ヴィントレスを解放する。


「……貴様。自分がやっていることがわかっているのか? みすみす敵のスパイを逃がすつもりか?」


「えぇ、書記官。もちろん、わかっていますよ」


 西側の男は薄く笑いながら、片耳に入れている小型無線機を指さす。

 外で待機している仲間と、常に連絡を取っていた。


「先ほど、確認が取れました。あなたが何度も蹴り飛ばした、この少女ですけどね。……東側のスパイではありません。首都のノイシュタン学院の通っている、普通の学生であることが判明しました」


「……なに?」


 クズダルク書記官の顔が歪む。

 その反応を楽しむように、西側の男が演じるように手を広げる。


「よく聞こえませんでしたか? この少女は、普通の学生です。家族にも別に不審な点はありません。補導すら記録がない善良な市民です。……そう、我々が守るべき、この国の人間ですよ」


 西側の男はナタリアを解放すると、彼女を庇うように前に出る。

 クズダルク書記官と対峙して、冷たい視線を送る。


「……政府は、あなたを利用するつもりでしょうけど。我々は見逃すつもりはない。この国を混乱に陥れようとした者に、手心を加えるつもりはありません」


 第一級政治犯。

 この国の国家機密を持ち出して、東側に亡命しようとしたクズダルク書記官。司法取引によって、ある程度の自由は約束されているものの、優秀な集団である西側のスパイたちは、彼を逃がすつもりはない。


 何があっても、この国の法律で裁いてやる。


「……もちろん。君にも、ちゃんと話をきかせてもらうけどね。銀髪の少女ちゃん?」


「……うげ」


 ナタリアがあからさまに嫌そうな顔をした。

 そんな二人のやり取りを見て、クズダルク書記官は呆れたように肩を落とす。


「やれやれ。そんな小娘を守るために、ヒーロー気取りかい? 滑稽を通り越して、腹立たしくなってくるよ」


「無駄口は、そこまでです。ヤンナ・クズダルク書記官。我々のスパイ機関の権限に則って、大人しく尋問に付き合ってもらおう。貴様には、我が国の未来ある少女を暴行した罪状がある」


 西側の男が、語気を強める。

 周囲の仲間たちも、いつでも銃を取り出せるように、スーツの懐に手を入れている。


「まったく。今度は、矛先がこちらとは。……せめて、暖かいコーヒーでも出してくれないかな?」


「悪いが、この建物には水道が通っていないんでね」


「そうかい。残念だなぁ、まったく―」


 にやり、とクズダルク書記官が笑う。


 ちろちろ、ちろちろ。

 蛇のように舌を出しながら、西側の男に向かって視線を強める。クズダルク書記官にとって、この場は余興でしかない。既に、東側への亡命の手筈は整っている。多少、トラブルはあったが、問題は全てクリアしている。明日の今頃は、東側の国の首都でボルシチでも食べていることだろう。


 そのためにも、この廃ビルを爆破して。この場から逃げ出さなくては。合図を送れば、金を握らせた爆破の解体業者が、手早く仕事を始める。その手筈になっていた。


「あぁ、本当に。残念―」


 クズダルク書記官が手を挙げて、爆破の合図を送ろうとする。

 だが、その直前―


『ぐわああああぁぁっ!!』


 突然、西側の男が耳につけている小型無線機から、仲間の悲鳴が聞こえてきた。

 慌てた男は、片耳に手を当てながら大声を上げる。


「おい、どうした!? 何があった!?」


『し、侵入者です。このビルに侵入者が入ってきました!』


「くそっ、東側の連中か!? こちらからも応援を出す。向こうは何人だ!?」


 西側の男の問いに、ノイズ交じりの返答が来た。


『……り、です』


「なんだ、よく聞こえないぞ!? もう一回言ってく―」


『あ、相手は、……一人です! とんでもない美女が、俺たちを襲ってきて、……ぎゃあぁぁぁっ!』


 仲間の通信が途絶える。

 他の仲間たちに連絡を取ってみても、返ってくるのは阿鼻叫喚の悲鳴ばかり。

 ……助けてくれぇー!

 ……来るな来るなーっ!

 ……くっ、そんな色っぽい微笑みを浮かべても、俺たちは絶対に負けな―、ぎゃあぁぁ!


 やがて、訪れる静寂。

 ノイズだけとなった無線機から聞こえてきたのは、上機嫌な鼻歌が聞こえてきた。軽やかにステップを踏みようなリズムで、その謎の美女は歌う。



『ふんふ~ん。さぁて、私の可愛い部下を誘拐した悪い子は、どこにいるのかしらねぇ~』



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 遅れてやベー奴がきたなあ
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ