♯5. Lost T ...and(4日目。失われたT。…そして)
四日目。
店長が壊れた。
「あひゃ、あひゃひゃひゃ―」
お終いよ!
もう、何もかもお終いよ!
砕け散ったショーケースを踏みつけて、爆破した厨房を嘲笑い、まったく客が来なくなった店内を睥睨して、オネェ店長は踊る。
とうとう、化粧のやり方すら忘れてしまったのが、まるでピエロのようなメイクを顔に貼り付けている。涙で流れて、酷くおぞましい姿になっていた。
「店長さん、どうしちゃったんでしょう? 何か悲しいことでもあったんですか?」
「……その人間との感覚がズレているのが、あんたの一番の欠点よ。アンジェ」
不思議そうに首を傾げているアンジェに、黒髪美人のミーシャが軽く窘める。
もはや、経営再起は絶望的であった。
お客は来ず、店内には割れたガラスが散乱して、厨房にはネズミが走り回っている。それに加えて、狂ったように笑うピエロ店長がいるのだから、放っておけば警察沙汰になることは間違いない。
「何か手伝えることはないでしょうか?」
「やめておきなさい。ジンタが近くにいないんだから、何が起きてもおかしくないでしょ。黙って大人しくしていなさい」
「そうだ! わたしたちで新しいメニューを作りませんか? お客さんに喜んでもらえるように、愛情たっぷりのシュークリームとか」
「だーかーら、大人しくしてろっての。集団食中毒でも引き起こすつもり? 今度、何かあったら、あの店長が客を求めて街を徘徊することになるわよ」
ミーシャがイスの上に胡坐をかいて、行儀悪く頬杖をついている。
そんな彼女に、アンジェは不服そうに頬を膨らませる。
「むぅ。ミーシャちゃん、優しくない。ジンタだったら、そんなこと言わないもん」
「あっそ。……で、そのジンタはどこにいんのよ。いつも一緒に行動しているんでしょ?」
「……けんか、した」
「……あっそ」
重い沈黙が、二人に隔たりを作る。
アンジェとミーシャは、仲間だった。様々な危険を乗り越えて、数々の悪魔を倒してきた。悪魔を狩る秘密組織『No.』、アンジェはその組織の、元メンバーだった。
それから、悲しいすれ違いと、苦痛を伴う別れがあって。先日、とある悪魔卿が引き起こした事件を切っ掛けに、ようやく再会することができた。……のだが、やはり微妙な空気感は拭うことができない。
元々、それほど仲の良い二人ではなかったため、距離の詰め方を測りかねているようだった。彼女たちが二人そろって、人見知りで、内弁慶で、あまり他人と関わりたくない性格であることが、よけいに拍車をかける。
結果、実に微妙な距離感が、アンジェとミーシャの間に出来上がってしまっていた。
そんな中でも、先に口を開いたのは。やはり、アンジェであった。
「……ミーシャちゃん、ここでバイトをするつもりだったの?」
「なに、悪い?」
「い、いえ、そんなことは」
しゅん、と肩を縮こまらせてしまう蜂蜜色の髪の少女。
そんなアンジェを見て、ミーシャは人知れず頭を抱えたくなる。……あぁ、どうして自分はこんなにもコミュ障なのだろうか。知らない人との相手は、いつもアーサーにまかせっきりだったから、どうやって会話をしたらいいのかわからない。一見すれば、眉目秀麗な黒髪美人のミーシャだが、その本性は実にポンコツだった。
「(……あ~、なんでここにいるんだろう。アーサー、早く助けに来てよぉ~)」
「(……うぅ~、やっぱり機嫌が悪いのかなぁ。ジンタ、早く迎えに来てえ~)」
恋する乙女の二人は、ここにはいない人物に助けを求める。
そして、そんな沈黙の二人の前を、ピエロの化粧をした店長が狂ったように踊っている。重い沈黙が続いた後、迷うような独り言が呟かれた。
「……誕生日、なんだ」
ぽつり、とミーシャが呟いた。
驚いて振り向くと、そこには恥ずかしがるように頬を染めた黒髪の少女が、おずおずと口を開いていた。
「……今度の週末、アーサーの誕生日なのよ。だから、サプライズに、何がプレゼントしたいな、とか。……そんな感じ」
たどたどしく、自分の口から語られた言葉に。アンジェは年頃の女の子らしく目を輝かせる。
「わぁ! それは素敵ですね! とても良いです! 何をあげるんですか? 自分にピンク色のリボンを縛って、『プレゼントは、私です』とか、やっちゃうんですか?」
「やるか、このド阿呆! ってか、そんなこと。誰から聞いたの!?」
「ジンタから。この方法で堕ちない男はいないぜ、って言いながら、わたしにピンク色のリボンを渡してきたよ」
「……あのボンクラ。今度会ったら、去勢してやろーか」
わなわなと怒りに燃えながら、何もない空間を握りしめる。
その足元には、わずかに青白い魔法陣が展開されていた。
「ま、そんな感じよ。サプライズだから、こっそりお小遣いを稼ぎたかったし。短期のバイトが、ここしかなかったのよ」
「じ、じゃあ、ここで働けなかったら―」
プレゼントは贈れないの? そこまで考えて、アンジェにはひとつの光景が思い浮かんだ。寒い冬、バイトの出来なかった黒髪の女の子が、マッチを擦ってありもしない夢を見る。そして、翌日には寒さに凍え死んだ女の子の死体が―
「だ、ダメです! 死んじゃ、ダメです!」
「は? 死ぬって、何を妄想してるわけよ」
ゴツン、とミーシャが妄想に旅立っている少女を小突く。
思いのほか痛かったのか、小さな両手で頭を抱えながら、それでもアンジェは涙目で見上げてくる。
「うぅ~、それでも。ここでバイトができなかったら、困ってしまうんですよね?」
「……まぁね」
ミーシャが視線をそらして答える。
自分でも素直な性格じゃないこともわかっているので、ここまで行動的になっているのは珍しいことだった。それが、こんなふうに立ち消えてしまったら、きっと何もしないまま当日を迎えてしまうだろう。大好きな人に贈る18歳の誕生日プレゼントが、『あー、今日。誕生日だったんだ。知らなかったわー』という腑抜けた嫌味とか。我ながら最悪すぎる。彼から貰ったプレゼントの指輪は、自室の引き出しに大切にしまっていて、一人のときにこっそり眺めては、にまにまと笑っているというのに!
「や、やっぱり、何とかしましょう! このままでは店長さんも可哀想です!」
「……そうね。ここを逃したら、いつになっても誕生日プレゼントなんて渡せそうにないもの」
すっ、と二人の少女は立ち上がる。
崩壊した店内。
爆破した厨房。
そして、完全に壊れてしまった店長。
このどん底の状況から、この洋菓子店を復活させて、行列ができるくらい盛り上げる。バイト代を出してもらっても、何も気負うことのないくらい人気が出れば、全ての問題が解決できて―
「……いや、無理でしょ」
「……はい。無理ですね」
少女たちは、意外に現実的だった。
甘いものを食べる専門の二人にとって、洋菓子を作るというものは神の御業に等しく、それが自分たちにできるとは到底考えられず、どう足掻いても無理難題であった。
その時だった。
アンジェとミーシャ。迷える少女たちに、とある人物のことが頭をよぎる。
もしかしたら、あいつなら何とかしてしまうんじゃないか。そんな例えようのない期待と、言葉にできない不安。本気か? 本当に、あいつに声をかけるのか? そんな自問自答を繰り返す、が―
「……ここは」
「……あの人に、手を借りましょう」
顔を見合わせて、二人は電話の受話器に手を伸ばす。
それが、禁断の禁じ手であることを知っておきながら―