♯4. Lost S(3日目。失われたS…)
三日目。
焦げ臭い店内で、二人は神妙な顔で向き合っている。
「ごめんなさい、ごめんなさい!」
「い、いいのよ。誰にだって間違いはあるもの。……うふ、うふふ」
引きつった笑みで、オネェ店長が返す。
簡単なクッキーづくり。
そのはずだった。
あらかじめ作っておいた生地を、耐熱プレートの上で型抜きをして。いざ、オーブンに入れようと、アンジェが触れた瞬間。ガスやら漏電やら加熱やら、なんやかんやあって大爆発を起こしてしまったのだ。
幸い、怪我人は一人もいなかった。
犠牲になったのは、厨房にあったオーブンと。丁寧にトリートメントしてあった店長の髪の毛だけだ。チリチリになった髪を、忌々しそうに摘まみながら、店長は唸るように口を開く。
「ま、まぁ。ライバル店も営業を再開していないし、これくらいのアクシデントなんて丁度いいハンデだわ。…‥うふ、うふふ」
「店長さん。お化粧、ヒビ割れていますよ」
アンジェが申し訳なさそうに言う。
今日も今日とて厚化粧の店長は、髪の毛と共に精神まで荒んでしまったのか、その化粧は見るに堪えないほどボロボロになっていた。それは店内も同じで、天井で回っている空調機も、ガタガタと不規則に揺れている。
「さぁて、オーブンも使えず、客も来ない。こうなったら、愛情を込めて調理をするコツを教えてあげるわ。うふふ、愛情はね。どんな料理にも必要なスパイスなの」
「わぁ、そうなんですか! 愛情って、無味無臭だと思っていたから驚きです!」
じゃあ、この店長さんが作った乾パンは味がしないので、愛情が全くこもっていないんですね?
きらきら、と眩しいほどの笑みを向けられて、オネェ店長の瞳から輝きが消える。
「……アンジェちゃん。それは、ジャムをつけて食べるように作ったものだから、余計な味をつけていないのよ。丹精込めて作ったジャムを味わってほしいから」
「なるほど。つまり、味のしない乾パンを作るために、あえて手を抜いたんですね。さすが店長さん、勉強になります!」
アンジェが感心したように、次々と売れ残っていた乾パンを口に運んでいく。
そして、思いついたように言った。
「あ、ということは。わたしが作る料理も、愛情を込めなければ変な味がしないのかな? うぅ~、でもジンタには美味しいって言ってもらいたいしぃ~」
「……大丈夫よ、アンジェちゃん。あなたが人間の心を理解するには、もう少し時間がかかりそうだから」
頭を抱えながら、チリチリに燃えた髪を整えていく。
そもそも人間ではない彼女に、人間らしい感情を求めるのは無理があった。
「そういえば、アンジェちゃん。今日から新しい子がバイトに来るから、仲良くしてあげてね」
「新しいバイトさん? お客さんが一人も来ないようなお店なのに、バイトさんなんて必要ですか?」
「うるさいわよ。元々、ウェディングケーキのコンテストで優勝して、お客が増えることを想定して雇ったんだから。こちらの都合で雇わないわけにはいかないのよ」
不貞腐れながら、オネェ店長が唇を尖らせる。
その時だった。
チリン、チリン。と扉のベルが鳴って、アンジェと同じ年頃の少女が入ってきた。
「あら、ちょうど良かったわね。この子が、今日から入る新しいバイトの子よ。ほら、自己紹介してちょうだい」
大きな帽子を被っていた。
誰かに見られたくないのか、帽子のつばで顔を隠している。そのまま、そわそわと落ち着かない様子で店内を見渡した後、緊張をほぐすように一呼吸を入れる。そして、店長のことを見つけると、帽子を取って長い黒髪を露わにさせて。
……精一杯の営業スマイルを浮かべるのだった。
「はい♡ 今日から働かせてもらう、ミーシャ・コルレオーネです。初めてのバイトですけどぉ、頑張りますのでぇ。どうぞ、よろしくお願いします♡」
「何しているんですか、ミーシャちゃん?」
アンジェが真顔で問う。
その言葉に、黒髪の少女が凍った。
顔見知りの、それも普段なら絶対にしないような作り笑いを浮かべて、どこか間違った媚びを売るような態度を見られたのだ。
それも、何の疑問も持っていないような。
純粋な顔で。
「あ、ああ。……な、なんで、ここに―」
狼狽えるミーシャ。
ノイシュタン学園の女帝。氷の女王とも呼ばれて、常に不機嫌そうな絶対零度の表情しか浮かべない少女。例え、それが人見知りから来るものであって、ぐいぐいと距離を詰めてくる男子生徒から逃げるためであり、大好きなアーサー会長に変な虫がつかないように女子生徒たちを睨みつけるものであったとしても。
「ミーシャちゃんって、そんなふうにも笑えるんですね。知らなかったなぁ」
「ひっ!?」
無遠慮で無自覚な笑みが、ミーシャを追い詰める。
闇に巣食う悪魔さえ、裸足で逃げ出すというのに。
アンジェの笑みが。
ミーシャを追い詰める
そして、ミーシャが怯えながら後ずさり、逃げ出そうと扉に手を掛けた。その瞬間―
「あ」
突然、外から強い風が吹き込んできて。
天井に設置していた空調機が落下して、洋菓子店の顔とも呼べるショーケースを粉々に砕いていた。