♯2. Lost D(1日目。失われた…)
一日目。
オネェ店長に引っ張られる形で、アンジェが洋菓子店の更衣室に連れ込まれていた。そして、そのまま押し付けられるように、この店の制服を渡される。
「あ、かわいい、かもです」
怖そうな店長に命じられるままに、アンジェが奥の更衣室でウェイトレスの制服に着替える。シンプルな半袖のワイシャツに、少し短めな黒色のスカート。その上から、クリーム色のエプロンをつけて、胸元で結んだ黒のリボンが可愛らしさを演出している。彼女の蜂蜜色の髪が、よく映えた。
「えへへ。ジンタが見たら、なんて言うかな?」
鏡の前で、アンジェが色んなポーズをしている。
理由はどうあれ、年頃の女の子らしく。可愛らしい服を着られて、少し嬉しそうだった。そして、そのジンタとはケンカ中であることを思いだして、しゅんと肩を落とした。
「ジンタ~。早く、助けにきてぇ~」
鏡の前で半べそになりながら、大好きな彼の名前を呼ぶ。
そんな願いも虚しく、更衣室の扉が開いて。
ぬっ、と店長が顔を覗かした。厳つい顔の中年が、濃いめの化粧をしている。オネェな店長だ。
「あらぁ~、なかなか似合っているじゃない~。ワタシの次に可愛いかしら、うふっ♡」
「店長さん。ここは女子の更衣室です。だから、店長さんは入ってきてはいけませんよ?」
アンジェが首を傾げながら問うと、オネェ店長の眉間に皺が走った。
悪気がないのが、余計にタチが悪い。きょとん、と不思議そうな顔をしているアンジェのことを、オネェ店長が怒りを抑えながら口を開く。
「……お嬢ちゃん。お名前は?」
「アンジェです」
「そう。アンジェちゃん、あなたに最も大切なことを教えてあげるわ。……この世には、男でも、女でもない。最高の人間がいることを」
それが、オネェよ。
と、厚化粧の店長が言い放つ。
「いいこと? 男の腕力に、女の繊細さ。それを併せ持つワタシは、まさに最高のパティエールで―」
「パティシエ」
「は?」
「パティシエ、ですよね? 店長さんは、おじさんなんですから。パティシエって呼ぶほうが正しいんですよね?」
「……」
オネェ店長に額に、ビシビシと血管が浮き上がっていく。
憤怒に、全身が震えていた。
「アンジェちゃん。それ、誰が言っていたの?」
「え? ジンタが言ってました。おじさんみたいなお菓子職人には、ちゃんと敬意を払って、パティシエって呼ぶようにって」
「……そう。アンジェちゃん。後で、そのジンタ君をここに連れてきなさい。……ワタシと二人っきりで、教育的指導を賜わってやるから」
「はぁ」
状況をよく理解できていないアンジェは、可愛らしく首を斜めにしたままだった。
「とりあえず、店の前で客引きでもしてきなさい。あなたの可愛さなら、ホイホイと客も呼び止められるでしょ?」
「よくわかりませんが、お店の前にいる人たちを案内すればいいんですね? 任せてください」
むんっ、とウェイトレスの制服を着たアンジェが、出所不明な自信を振りかざす。
店長は知らなかった。
彼女が、不幸を呼び寄せてしまう。不幸体質であることを。
そして、アンジェが胸を張ったまま、店の外に出た瞬間。
……暴走したトラックが、店の前で待っている客たちを薙ぎ払っていった。