#4. Villain & Hero(シリウスと、カゲトラ)
拳と拳がぶつかり。
蹴りと蹴りが削り合う。
シリウス・オブリージュという男、華奢な男だった。
男性にしては線が細く、スマートというよりは繊細な印象が強く残る。それでも、この国のスラム街で生きてきた人間だ。その繊細な外見とは裏腹に、街の不良たちに囲まれても、無傷で相手取るくらいの実力を持っていた。
異国を思わせる優雅な武術。
ほぼ独学で培った戦い方であるのに、その完成度は天才と讃えるに他ならない。実際、攻撃速度という一点においては、カゲトラさえ凌駕していた。
しかし。
優雅かつ風流な武術舞踏が。
実質剛健かつ一撃必殺のカゲトラに、勝てる要素はなかった。そのはずなのに―
「おらっ!?」
「せいやっ!」
二人の男が掛け声をともに、互いの攻撃を打ち落とす。カウンターを放つのは、シリウスのほうが早い。それを屈強な体躯で受け止めると、お返しと言わんばかりに胸倉を掴んで叩き落とす。
「おっと、そうはいかないね」
「ちっ!」
するり、とカゲトラの手の内から逃げると、シリウスは呼吸の間もなく足払いを放ち、そのまま顔面を狙う。だが、それも獣のような反射神経で避けると、カゲトラは苛立たしそうに態勢を整えながら地面を踏みつける。
わずかに距離が開き、何度目になるか分からない睨み合いとなる。
「久しぶりだね、こうやって手合わせをするのは」
「けっ、俺は別に嬉しくはねぇぞ!」
どこか嬉しそうなシリウスに、苛立ちを隠そうとしないカゲトラ。
その原因は、親友に憑りついた悪魔のせいだった。
「……カゲトラは、聞いてくれないのかい?」
「あ? 何をだ?」
「いや、さ。こういう時は、こう言うべきじゃないかい? ……『どうして、悪魔なんかに魂を売った! お前はそんな人間じゃないはずだ!』、ってね」
「はぁ? バカだろ、お前は。てめぇで決めた道に、男が口出しするもんじゃねぇ。自分で決めた生き方を、死ぬまで歩き続ける。それが男って生き物だ」
少なくとも、俺の知っているシリウス・オブリージュは。誰かに否定されたくらいで、夢や目標を諦めたりしない。例え、それが復讐であろうとも。
そう言い放ちながら、カゲトラは続ける。
「だからよ。俺にできることは、お前の顔面を思いっきりぶん殴ってやることだけだ。しっかり、歯を食いしばっていろよ。俺は、5秒しか待てないんだからな」
「ふふっ。気が早いのは相変わらずだね」
シリウスという男が、呆れるように肩をすくめる。
この男との付き合いは長い。
余裕のある飄々とした態度なのに、まるで隙がない。
だけど、それだけじゃない。
悪魔と契約したせいが、その身体能力が格段に上がっていた。悪魔、……それも超越存在である悪魔卿。つい最近、別の悪魔卿との戦いで辛酸を嘗めさせられたばかりだった。
つまり、今のカゲトラは。
この男を越えられたら、あの日の自分を越えたことになると、ほくそ笑んでいた。常に自分より強者にしか戦いを挑んでこなかったカゲトラにとって、敗北とは次の勝利の糧でしかない。自分に負けたくないから、強大な敵にも挑み続ける。
久しぶりの感覚だった。
過去の闘争本能が呼び起こされていく気分であった。
「カゲトラ。君に提案があるんだけど?」
「断る」
シリウスの問いかけに、カゲトラが短く即断する。
さすがに、そんな返答を見せられると。余裕のある親友の顔にも、わずかに苛立ちの色を見せる。正確にいえば、頬のあたりをピクピクと引くつかせている。
「……うん。知ってた。君はそういう男だよね。悪魔以上に会話をすることが困難な奴だって。……君と比べたら、その辺にいる悪魔のほうが可愛く見えるよ」
「けっ、どうせ。復讐の手伝いをしろ、って。そんなところだろうが」
「うん。二人で、あの煉獄の悪魔を殺そう」
利害については、今さら語ることはないよね。
俺たちは、あの悪魔に人生を狂わされた。倉庫の家も失い、家族だってバラバラだ。妹は両足を焼かれて歩けなくなり、カゲトラも深い傷を負った。俺に関しては、……それはいっか。半死半生のまま、ルートヴィッヒ卿に魂を売って、なんとか繋いでいる命だし。いつ死んでも、仕方ないかなって。
そんなことを、シリウスが諦めているように語る。
「だから、さ。少しでも可能性を高めるために協力をしよう。カゲトラは『時計塔』の情報を横流ししてくれるだけでいいから」
「……言っただろう。断ると」
肩を回しながら、首を鳴らす。
こちらとて、ようやくエンジンが掛かってきたんだ。面倒な話は後にして楽しもうぜ。カゲトラは飢えた獣のように、目の前の戦いにしか興味がなかった。
そして、そんなカゲトラのことをよく知っている彼は、口で言っても無駄なのが分かっていた。
故に、シリウスのとるべき行動はひとつだ。
拳をもって、暴力をもって。
親友に言い聞かせるということだ。
「はぁ、仕方ない。本当は、君と協力したかったのだけど。君は言い出したら聞かないからね。……三年ほど、病院で入院生活を送るといいよ」
シリウスが両手の革手袋を取ると、火傷の痕だらけの手を構える。
そして、次の瞬間。
シュボッ、と音を立てて黒い炎が灯る。
使用者の命を削って燃やされる黒炎が、ゆるりと構えたシリウスに纏っていく。目にも留まらない我流武術に、悪魔卿と契約して手に入れた命を燃やす黒炎。その姿は、まさに悪役。悪魔を憎む、悪役に他ならなかった。
「はんっ、下らねえ。てめぇこそ、病院の栄養食がお似合いだぜ。どうせ、マリアにも顔を出してないんだろうから、ベッドの上で面会させてやるよ」
カゲトラは意識を集中させて、ざんっと構える。
その瞳は未来を見る。その直感は敵の攻撃を予期する。その拳は敵を倒すためにある。かの悪魔卿、エドガー・ブラッド卿でさえ、信念が折れなければ絶対に負けない。英雄の力であると称していた。自らの信念を貫く、正義の英雄。
二雄の対峙。
雄と雄の睨み合い。
お互いのことをよく知っているからこそ、譲れないものがある。
例え、目指すべき道が同じだとわかっていても、彼らには言葉以外で語ることしかできない。信念と信念がぶつかり、気迫と気迫がせめぎ合う。
そして、刃物のような緊張感が漂い。
どちらが先に動くか、目を張っていた。
その時だった。
ぼかんっ、と近くの廃屋のシャッターが爆発した。
「……は?」
「……うん?」
呆気にとられる英雄と悪役。
砂埃が立ち込めて、爆破されたシャッターの奥から。
一人の少女が姿を見せた。
ゆらり、ゆらりと。
怪しい足取りをしながら。
「かーげとら君、あーそびーましょー。……けけ、けけケケケ―」
虚ろな瞳は、ここではないどこかを見ていて。痩せこけた表情は、何かに憑りつかれているようであった。普段は可愛らしい銀髪の少女だというのに、その面影はどこにも残されていない。
そして、何より。
少女の手には。
……なぜか、タピオカミルクティーが握られていた。