♯1.Fire(あの日の記憶)
……雨は嫌いだ。
自分が何もできなかったことを思い出させるから。
あの日、俺は。
いくつもの大切なものを奪われた。
親友。
家族。
住んでいた場所。
何もかもが、あの煉獄の炎に焼かれてしまった。
地獄のような燃え盛る光景の中で、あの『悪魔』は高らかに嗤っていた。
燃えろ。
もっと燃えろ、と。
俺は、何もできなかった。
悪魔に打ちのめされて、悔しくて握って手を地面に叩きつける。
結局、俺の手の中に残ったのは。
顔に残った火傷の痕と。
自分の足では歩けなくなってしまった、妹のように思っていた女の子と。
あの日から行方不明になってしまった親友だけだった。
あれから、まだ一年。
忘れるには、あまりにも日が短すぎた。
今度、あの悪魔に出会ったら。俺は―
――◇――◇――◇――◇――◇――◇――
「この首都で、不審火の事件が続いているらしい」
放課後の時計塔で。
リーダーであるアーサー会長が重々しく口にした。
「先週だけで4件。今週に入って、すでに7件を確認している。どれもボヤ騒ぎで収まっているけど、いつ大惨事になるかわからない。今回、僕たち『No.』には、このボヤ騒ぎの原因と犯人を捕まえるように上から指示があった」
ノイシュタン学園の敷地にある時計塔。その二階にある執務室には、いつものメンバーが揃っていた。この部屋の主であるアーサー会長と、悪魔殺しの魔法を使えるミーシャ・コルレオーネ。そして、いつになく不機嫌そうな顔をした、カゲトラ・ウォーナックルだ。
カゲトラは、いわば不良の男子生徒であった。
乱暴に着た制服に、まともに授業も出ない。スラム街の出身であることもあって、その雰囲気は学内であっても異質であった。比較的、落ち着いた生徒の多いこともあって、彼の顔を見て逃げ出す生徒も少なくない。
「……」
彼は腕を組んだまま、本棚に背中を預けている。
考え事をしているのか、その額には深い皴が寄せられている。過去のトラウマでも思い出しているかのような感じだった。
そんな彼を見て、アーサー会長は静かに告げる。
「カゲトラ君。先に言っておくけど、今回の件の悪魔は。君が追いかけている悪魔とは、別だよ」
アーサー会長の言葉に、カゲトラが鋭い視線を向ける。
普段から抜き身のナイフのような人間なのに、今日にいたっては振り上げられたスレッジハンマーのように殺気が溢れていた。
「……まだ何も言ってねぇよ。アーサーの大将」
「そうだね。でも、君が僕たちと行動しているのは、君たちを襲った悪魔を追いかけていることは知っている。そして、その悪魔が炎を操ることも」
アーサー会長は執務机に座ったまま、やんわりと指を絡めながら。
その視線には、確かな信頼があった。
「だから、僕たちも止めはしない。君たち家族を不幸のどん底に落とし込んだ悪魔には、怒りの鉄槌を叩き込んでやるといいさ」
アーサー会長が力強く頷いて、傍にいるミーシャも静かに肯定する。
そんな二人を見て。
ようやく、彼は肩の力を抜いた。
ここで苛立っていても仕方ない。
俺は、俺の復讐のために悪魔と戦っているんだ。妹のように思っていた女の子を、まともに歩けない体にして。親友であった男とは、二度と会えなくなってしまった。その怒りが、憎しみが、カゲトラを悪魔狩りへと駆り立てる。
「とりあえず、目の前のことだ。この不審火の事件には、恐らく悪魔が関わっている。カゲトラ君には調査と対応をお願いするよ」
「対応とは?」
「悪魔と出会ったらブチ殺せ、ってこと」
アーサー会長が清々しいほどの笑みを浮かべる。
こういった即断ができるからこそ、カゲトラはアーサー会長のことを目上の人間であると慕っている。
「わかった。それじゃ、俺は行くぜ。しばらく、学校には来ないかもしれないがな」
カゲトラが肩で風を切って、執務室から出ていこうとする。
その時だ。
忘れていた、と言うようにアーサー会長が付け加える。
「あー、そうだった。今回は、君に助手をつけようと思うんだ」
「助手? ミーシャの姉御が手伝うってのか?」
訝しむように、カゲトラが視線を細める。
そんな彼を面白がるように、アーサー会長は朗らかに言い放った。
「ううん。君にぴったりな相棒をつけてあげようと思ってね。多分、そろそろ顔を出すんじゃ―」
そう言い終わらないうちに、バンッと執務室の扉が開いた。
銀色の髪をした可憐な少女が、上機嫌にステップを踏みながら入ってきていた。制服のスカートを揺らして、右手にはテイクアウトしてきた喫茶店の紙コップを持っている。そして、反対の手にはAMATIのヴァイオリンケースが握られていた。
「はろはろーっ! 学校の外までタピオカミルクティーを買いに行ってたら、遅くなっちゃいました。でも、報酬の良いお仕事があるからには、私も真面目に頑張って―」
「帰れ。お前なんて必要ない」
カゲトラは、その少女。ナタリア・ヴィントレスを見ると、まるで壁に張り付いたカメムシを見つけた時のような顔になった。
ナタリア・ヴィントレス。
彼女は、この時計塔で最も新しいメンバーである。その素性は謎が多く。特に、金銭と怠惰に過ごすことに関しては異常な執着を見せる。その行動力には、カゲトラも呆れ果てていた。
「この件は、俺だけで片づける。お前はタピオカでも鼻に詰まらせて咳込んでいろ」
「はぁ、何を言ってんの? もしかして、報酬を独り占めする気なのか。よし、いいだろう。この私が生涯をかけて鍛えた古代の極東カラテで、お前を今すぐ亡き者に、……ぎゃぱっぁ!?」
瞬間。
カゲトラは目にも留まらない早さで、ナタリアのタピオカミルクティーを奪うと。そのストローを彼女に鼻に突っ込み、思いっきり紙コップを握り潰す。
もぎゅもぎゅもぎゅ、と少女の小さな鼻に大量のタピオカが流れ込んでいく。
「それじゃ、俺は行くぜ。この件が片付いたら、また学校に来るから」
そう言って、カゲトラ・ウォーナックルは時計塔の執務室から出ていった。
それを笑顔で見送るアーサー会長。
唯一、ミーシャだけが。床で悶え苦しんでいる銀髪の少女のことを不憫に思っていた。