#19.Good luck!(あなたの人生に幸運を!)
「やあ、エドガー・ブラッド卿。ご無沙汰ですね。先月の凱旋門消失事件のとき以来かな? 結局、いつになったら。この首都のシンボルタワーである凱旋門を返してくれるんだろうね」
「えぇ、貴殿も健全でなりよりです。時計塔のアーサー殿。いや、国境を越えたガリオン公国の第二王子、クリストファー・ヴァン・ヴォルフガング・ガリオン殿下とお呼びしたほうが?」
「どちらでも構わないよ。クリストファー・スミスでも、時計塔のアーサーでも。僕であることには変わりないからね」
アーサー会長は飄々とした態度で答える。
その姿は、隙だらけのように見えて。実は、どこにも油断など見せていなかった。その証拠に、廃車になったリムジンの中から、黒服兄弟のペペとナポリがいつでも飛び出せるように構えていた。
「単刀直入に言うよ。エドガー・ブラッド卿。……ひとまず休戦としないか」
「却下です。僭越ながら、理解に苦しみますな」
「意味のない戦いをするな。そう言ってるんだ」
「意味がない? それはどうでしょうか? この場には我らの女王がいる。あの力を喰らいつくせば、この世界を終焉へと導くことができる」
「それは、卿の望むことでない」
「肯定です。これは悪魔としての在り方に関わること。私個人としては、実にどうでもいい」
ですが、と悪魔卿のエドガーは続ける。
「……どうしようもなく、王の力が欲しい。それも事実だということ。今回は、あの悪魔狩りたちもいませんしね」
「どうしても?」
「えぇ、どうしても」
くくく、と悪魔卿が嗤う。
会話の最中に見せていた理性的な顔とは程遠い。まるで飢えた獣のようであった。
そんな悪魔を前にして。
アーサー会長は、やれやれと言わんばかりに。肩をすくめた。
「そっか。それじゃあ、仕方ないね」
「えぇ、戦争の始まりです」
悪魔卿のエドガーが、己の欲求に飲み込まれるように。その力を解放させる。
周囲の瓦礫が舞い上がり、巨大な暴風雨を生み出していく。
……だが。
「……いや。もう終戦だよ」
ふっ、と小さくアーサー会長が笑った。
そして、次の瞬間。
悪魔卿の生み出していた暴風が、……燃え盛る爆炎によって吹き飛ばされていた。
「むっ!? この魔法は―」
悪魔卿が正気に戻る。
その刹那、雨のように降り注ぐ火球の向こうから。黒いスーツを着た女性が飛び出していた。長いピンクの髪を縛って、空中から強烈な踵落としを繰り出した。
慌てて避ける悪魔卿。
それと同時に、彼女が叩きつけた一撃によって、周囲は爆炎に包まれていた。
「圧倒的な火の魔法。そして、この威力―」
悪魔卿が右手をかざして、反撃に移ろうとする。
だが、それもむなしく。
気が付いたときには、遥か遠くから放たれていた銃弾が。悪魔卿の腕を撃ち落としていた。
遥か彼方からの、超長距離の狙撃だった。
「……狙撃!? ということは」
悪魔卿が後ろを振り向く。
遥か遠くにあるエッフェル電波塔。その展望台の上で、何か小さなものが光った。
……狙撃手の男が構えたスナイパーライフルが、悪魔卿の腕を狙い撃ちにしていた。
「なるほど。爆炎のミリアに、狙撃のスナイベル。13人の悪魔を狩る者の精鋭が勢揃いですか」
それが、貴殿の切り札ですか。
そう問いかける悪魔卿に、アーサー会長は真剣な目で答える。
「僕個人には、何もできないからね。困ったときには人を頼ることしているんだ」
「それで? いかに悪魔狩りの精鋭といえど、この首都を巻き込んで戦うとつもりはないでしょう?」
「あぁ、そうだ。だから―」
にこり、とアーサー会長が微笑む。
つかつかと歩いて、悪魔卿のすぐ目の前にまでやってくる。
「僕は、君に交渉にきたんだ」
「交渉? この私に?」
予想もしていない言葉だったのだろう。
ぽかん、と口を開いたままアーサー会長のことを見ている。やがて、その顔は。呆れたような、嘲笑うような表情へと変わる。
「はぁ~。ガリオン公国の英知とまで謡われた殿下が、どうして私を説得できると思っているのですか?」
「説得じゃない。交渉だよ」
「同じことです」
「いや、僕は君の良心に期待しているんじゃない。君の悪魔としての合理的な思考に期待しているんだ」
そして、アーサー会長は。
もったいぶるような手つきで、ジャケットの胸ポケットから何かを取り出した。
それは封筒だった。
ぺらっぺらの薄い封筒を手に、アーサー会長は確信めいた顔をする。
「これを、君にプレゼントしよう。それで、今回はお互いに手を引こうじゃないか」
「……」
悪魔卿のエドガー・ブラッド卿は、訝しく思いながらもその封筒を手に取る。
そして、実に面倒そうに中を改めると、……やっぱり意味がわからないというような顔になる。
「なんですか、これは?」
悪魔の問いに、我らが腹黒会長は悠々と答えた。
「……会員任命書だよ。このルーブル美術館の審査員のね。その紙切れがあれば、君は死ぬまでこの美術館に展示してあるものを審査して、その価値を審判する一人になれる。……もちろん、君の友達の絵画もね」
……。
……悪魔の取引、というものを見たことがあるか?
私は、今まさに。目の前で起きていることが悪魔の取引に他ならないと思った。この美術館に執着していた悪魔に向かって、一番望むものを提示するなんて。しかも、それをネタに最高の妥協案を飲ませようとしている。
悪魔を相手に。
弁舌で向き合っている。
「ふむ、実に下らない」
吐き捨てるように、悪魔卿は呟いた。
そして、肩の力を抜くと。右手をかざして空を握る。その瞬間、周囲に飛び散っていた爆炎が音を立てて鎮火していた。
「ですが、これはこれで面白い。私を美術館の審査員にしたことを、後悔させてあげますよ」
ふふふっ、とどこか魅力的な笑みを浮かべて。
悪魔卿は歩き出す。
アーサー会長から受け取った封筒を、大事にポケットにしまった。
「……あー、そうだ。ナタリア嬢、また意識はあるかな?」
「……なに?」
こちらとて、今すぐにでも意識を手放したいのに。このタイミングで声をかけるんじゃない。
「貴女には謝罪を。その在り方を侮辱した私を許してほしい」
「はぁ? 別にいいけど」
「ふふ。これで私たちは友人ですね」
などと気味悪いことを言い残して。
悪魔卿のエドガー・ブラッド卿は、悠然と去っていった。
この首都に五人いると言われている悪魔卿。
あんなのが、あと四人もいるのか。
敷地の半分くらいが崩壊した美術館。そこで倒れている仲間たち。助けに来てくれた知人たち。窮地を救ってくれた大人たち。そして、切り札といわんばかりの対応を示した我らが腹黒会長。
それらを全て総動員しても。
結局、悪魔卿に勝つことはできなかった。
この事実に私は、どう向き合っていいのかわからなくなる。
……そう、明日まで。
――◇――◇――◇――◇――◇――◇――
「いやー、大変でしたね。ルーブル美術館はしばらく閉鎖ですか?」
「それはないんじゃない? 壊れたといっても半分くらいでしょ。この首都の顔なんだから無理にでも営業を再開するって」
私はソファーから足を投げ出して、行儀悪く紅茶を啜る。
場所は、いつもの時計塔の執務室。
昨日の戦いはまだ癒えず、カゲトラは頭に包帯を巻いたまま難しい顔をして。ミーシャ先輩も顔を強張らせてアーサー会長の後ろに隠れている。
「まぁ、私にしてみたら? 割の良いバイトが見つかれば、それでいいかなって。……あ、紅茶。お代わりね」
「畏まりました、お嬢様」
ティーカップに、芳しい香りが立ちこめる。
なるほど。こいつ、紅茶の入れ方が上手いな。
「まったく。体のあちこちが痛いっての。カゲトラはあっけなく気絶しちゃうし、ミーシャ先輩も負けちゃうし。やっぱり、私がいないとダメなのかな?」
がはは、と笑い声をあげる
そんな私を見て、傍に立つ彼が清々しいくらい空っぽな笑みを向ける。
「あれ? カゲトラ、なんでそんなに難しい顔をしてんの? ミーシャ先輩も、そんな悪魔と取引をするような腹黒会長から離れて、こっちで一緒に紅茶を飲みましょう。……アンジェちゃんたちも後から顔を見せるって言ってましたしね」
紅茶、おいしいですよ。とカップを掲げてみても。
ビクッ、と怯えるように、ミーシャ先輩は会長の後ろに隠れた。
「どうしたんですか、二人とも。なんか、いつもと様子が違うんだけど」
「……いや、いつも通りの君のほうが、どうかしていると思うよ?」
アーサー会長が控えめに言った。
その顔は、本当に珍しく。何かにビビりまくっている顔だった。
「ねぇ、ナタリアさん。君は昨日の出来事を覚えているのかな?」
「当たり前でしょ。まだ、そんなにボケてないって。……あ、肩もんで」
畏まりました、と私の背後の男が答える。
あ~、こいつ。マッサージも上手いな。マジ有能。
「それに、あの件に関しては、報酬のない無賃金労働だったんだから。何かで補填してくれないと。……あ、クッキー取って」
どうぞ、お嬢様。と背後の男が口元にクッキーを運んでくる。
私はそれに嚙みつくと、むしゃむしゃと食べていく。
「……ナタリアさん。よく聞いてほしい」
「え、なに? 臨時のお小遣いでもくれんの?」
「いや、そうじゃない。君には見えていないかもしれないけど。ナタリアさんのすぐ後ろに、誰が立っているのか教えてあげようと思ってね」
「なによ、それ? まさか背後霊とかじゃないでしょうね?」
「……幽霊なら、どれだけよかったか」
アーサー会長の声が震えている。
いったい、何がいるというのか。私は不思議に思いながら、ソファー越しに後ろを振り向く。
そして、そこに立っている。
浅黒い肌をした、目元に星の印のある悪魔卿。エドガー・ブラッド卿を見て―
「別に。ただの悪魔でしょ。この首都にいっぱいいるんだから、騒ぐことでも。……あ、エドガー。紅茶、おかわりね」
「畏まりました、ナタリアお嬢様」
私は悪魔卿の淹れた紅茶を飲みながら、昨日までの悩んでいたのがバカバカしく思えていた。
うん、こいつらは。こういう奴らなんだ。
深く考えるだけ、こちらがバカを見る。
そして、私は頭を空っぽにして。悪魔卿のエドガーが入れた紅茶を堪能するのだった。
この日から、時々。
時計塔の執務室に悪魔卿が顔を見せるようになって、その度にアーサー会長が胃痛で倒れそうになるのだった。
『Chapter15:END』
~ Good luck , Your life with Happiness (あなたの人生に幸運を)~
→ to be next Number!
・今回は少し長いお話になりましたね。次回は短編を予定しています。
感想やコメント、ありがとうございます! 少し、お休みをいただきますが、またノンビリと更新していこうと思います!