#13.F(いい加減にしろよ、クソ野郎が!)
……おかしい。
……こんなのは、おかしすぎる。
「はぁ、はぁ!」
「ふははっ、どうしたのです。天使の末裔よ! 先ほどの気迫はどこに行ってしまったのですかな!?」
悪魔卿が高らかに笑い、光り輝く剣を片手で撃ち落としていく。
眼前の光景は、もはや絵画にもなっている神々たちの戦いのようであった。光り輝く天使の翼を持つものが、悪魔へと勇敢に戦っていく。絵画でも、物語でも、天使が勝つと相場が決まっているのに。
……明らかに、ミーシャ先輩の劣勢であった。
苦痛に歪みながら、魔法陣を展開させて。神々しい剣を幾重にも放っていく。
その気迫は、今までに見たことのない彼女の姿だった。いつも余裕たっぷりの態度に、時には相手を小馬鹿にしたような話し方。相手が悪魔であっても、それは変わらない。どんな理不尽な敵であろうとも、ミーシャ先輩が手を振り下ろせば、それだけで悪魔は黒い塵へと消えていく。
「はぁ、はぁ!……がふっ、ごほごほっ」
そんなミーシャ先輩が、押し負けていた。
人間では扱えきれない魔法『断罪聖典』。そんな魔法を使い続けている反動か、彼女の容姿にも少しずつ変化が現れる。もはや人間を超えた美しさ、……超越存在となりつつあった。
「ははっ、何を躊躇っている!? 何を怯えている!? 貴様らの血筋はそんなものではないはずですよ! 神が敵と判断したものを、無慈悲なまでに殺しつくす。そういう存在だというのに―」
「うるさい、黙れっ!」
ミーシャ先輩が吠える。
そして、輝く巨大な魔法陣を展開。人差し指を立てて、銃の形をした右手を、悪魔卿のエドガー・ブラッド卿へと向けた。
「……『断罪聖典』。汝、己の罪を懺悔して、己の罰を受けいれるべし。……落ちろ。第67節、開帳。『占星術士のルーン(Be Still My Soul)』」
絞り出した声に、空が震える。
わずかに漂っていた雲が渦を巻いて消えていく。その中心から、小さな輝きが灯ると。
悪魔卿へと向けて、隕石が墜落していった。
地面が揺れて。
半壊していた美術館が倒壊を始める。
あまりの衝撃に、私はカゲトラを庇いながら顔を背ける。
そして―
「……まさか」
それでも、悪魔は立っていた。
巨神の振り下ろした槌を片手で防ぎ、そして、退屈そうなため息をついた。
「ふぅ。正直、期待はずれでしたね。天使の末裔よ。何をそんなに怯えている。何にそこまで躊躇している。貴様たちは、神が遣わした従順な僕なのだろう。悪魔を殺すための抹消機構。感情なきシステムが天使の本質ならば、どうして友人などを気に掛ける?」
悪魔卿は首をかしげながら、片手を上空へとかざす。
そして、極限にまで圧縮させた空気の塊を、彼女の頭上へと突き落とす。
「くっ!?」
ミーシャ先輩の反応が鈍い。
綺麗な黒髪は、すでに半分以上が白銀色に染まっていて。背中から生えている翼も、どんどん現実を帯びてきている。
天使の魔法を使えば使うほど、彼女の容姿が変化していく。
天使へと、近づいていく。
「……『断罪聖典』全てを退く大いなる者、神の名の元に―」
彼女が天使の翼を広げて、周囲に純白の羽が舞い上がる。
だが、その刹那。
神々しいほどの存在感を放っているミーシャ先輩の、すぐ隣に。悪魔卿のエドガー・ブラッド卿が、その瞳を覗き込んでいた。
「ふむふむ、なるほど。貴様、天使になることを拒んでいるな。そこにあるのは躊躇か。それとも失うことへの恐れか」
「っ!?」
一瞬、反応が遅れて。ミーシャ先輩が右手を悪魔へとかざす。
そして、魔法陣を展開させようとするが、わずかに悪魔卿のほうが早い。彼女の細腕を手に取ると、にやりと悪魔じみた歪な笑みを向ける。
「何を恐れている、天使の器よ! 貴様の使命は、悪魔を殺すことだろうが。さっさと人間など辞めてしまって、こちら側に来るといい! 力を持つ存在が道を迷うな」
「……う、うるさい。私は」
「私は人間だと、そんなことを言うつもりか? 純白の翼を広げて、白銀の髪を靡かせて、太陽の輝きの光輪を頭に載せている。そんな貴様が人間だと!? ……くかかっ、いいだろう。貴様が人間を捨てらないのであれば、私がその脆い心を壊してやる」
「っ、なにを!?」
ミーシャ先輩が鋭くにらみつける。
そして、そんな彼女を嘲笑うように。小さな声で耳元に囁いた。
「……あなたの心の傷を、握り潰してやりましょう」
「え」
ぞわっ、とミーシャ先輩が怯んだ。
彼女を恐怖したのを、初めて見た。
「えぇ、いい顔です。あなたの心の奥底に眠っている恐れ、恐怖の根幹、心的外傷。それを嫌というほど思い出させてあげますよ」
「い、いや―」
ミーシャ先輩は慌てるように、悪魔の手を振り払おうとする。
しかし、悪魔が手を放すはずがない。彼は不気味な笑みを浮かべながら、ミーシャ先輩の瞳を覗き込みながら、呪いの言葉を紡ぐ。
直後。
周囲には。
ミーシャ先輩の悲鳴が響き渡っていた。
それは、まさに耳を塞ぎたくなるような声だった。
痛い、辛い、悲しい。おおよそ少女が経験するには、あまりにも膨大な負の感情が、悲鳴となって反響する。いったい、どれほどの辛い経験をしてきたのか、想像もできなかった。
悪魔卿のエドガー・ブラッド卿は、嗤っていなかった。
彼女の過去を覗き込んだ瞬間から、その表情を暗いものへと変えていた。これまで彼女が経験してきた人間の悪意を見て、吐き気を催すほどの嫌悪感を示す。それは、悪魔にしては。あまりにも人間らしい反応であった。
そして、わすか数瞬後。
ミーシャ先輩の悲鳴が止んで、悪魔卿のエドガー・ブラッド卿は肩をすくめながら尋ねる。
「……それで? これは、どういうつもりですか?」
ぐったりと意識を失っているミーシャ先輩。
そんな彼女を守るように、小さな銀髪の少女が。
……悪魔に向けて、銃口をかざしていた。
「いい加減にしろよ、クソ野郎が。その脳天をブチまけてやるから、覚悟しろ!」
ナタリア・ヴィントレスが。
つまり、私が銃を構えて、悪魔に向かって啖呵を切っていた。