#8.Jailhouse Rock (監獄ロック)
「……もしかして、こんなおもちゃで私を倒せるなど。そんなことを思っていませんよね?」
「がはは―、あれ?」
私の勝利の笑みが、一瞬にして凍りつく。
悪魔卿のエドガー・ブラッド卿に向けて放たれた銃弾は、彼を目の前にして、空中で停止していた。よく見れば、先端が何か硬いものにぶつかったように潰れている。
彼を遮るものは何もなく、それこそ空気しかないというのに。ブィ~ン、という不協和音の耳鳴りがした。
「……圧縮された空気は、鋼鉄以上の強度を誇ることもある。覚えておくといいですよ」
「空気を、圧縮?」
「えぇ。それが私の根源。握り潰すこと、そして引き伸ばすこと。人間にわかりやすく説明するなら『圧縮と拡張の魔法』。もしくは『物理現象に干渉して、プラスとマイナスに力を加える能力』といったところでしょうか」
「何を、いって―」
「人間には理解できない権能。そう言っているんです」
悪魔卿のエドガーはそう言って、右手で虚空を掴むと。
……今度は地面をひっくり返した。
「はぁ!? ちょっ、何してんの!?」
ぐらぐらと地面が揺れて、不自然な形で隆起していく。そして、地中に溜まった空気が破裂するように、地面が内側から飛び散っていった。
「あぶなっ! もう無茶苦茶じゃない」
「ほう、よく逃げる。クソ小娘にしては、それなりに機転が回るようで」
「うっさい、バーカ! こちらとて必死なんだから!」
「ふむ。それは、もしかして。さっきから悲鳴を上げて逃げている人間たちの、避難する時間を稼いでいるつもりで? 先ほどから人気がない場所へと誘導されている気がしますが」
悪魔卿のエドガーが、顎のあたりに手を当てながら違う方向を見る。
そちらには、逃げまどう学園の生徒たちや、一般の来場客たちがパニックを起こしていた。しかも、美術館のセキュリティーの警報やらブザーやらが鳴りまくっていて、とてもじゃないが冷静な判断などできない状況だ。
「さぁね。気のせいじゃない?」
「おや? 恐怖しながら逃げる人間たちを、私が襲っても構わないので?」
「さっきも言ったけど、私はそこまで真面目な人間じゃないの。自分にできることは頑張るけど、自分にできないことまで手を出すつもりはないのよ」
私の言葉に、悪魔卿のエドガーは顎に手を当てて考え込む。
こいつ、さっきから。
事あるごとに考え事をしているな。
「……なるほど。私としたことが、どうやら外見に惑わされていたようですね。絵画を鑑賞するときに大切なのは、先入観をなくして見ること。……なるほど。貴女は、外見はどうあれ、それなりに挫折を知っている淑女のようだ」
挫折なんて、そんな立派なものじゃないけどね。
精々、一人の女の子を守ろうとして死んでしまった、それだけの経験値ですよ。
「悪魔卿。あんたたちのことは話に聞いてるけど、とても強いんだってね?」
「それは、結果の断片に過ぎません。我々が強者であるわけではないのです。人間たちには観測できない段階の存在にいる。それだけのこと」
だから、強いと勘違いをする。
だから、倒せないと結論づける。
「今の私は、……人間たちに愛想が着いてしまった。現世に呼び出されるたびに、お前たちは私を失望させる。絵画や芸術の研鑽は積み重ねられていくというのに、人間の本質はまったくもって変わらない」
あるいは、今度こそは。
そう思っていましたが、と悪魔卿のエドガーは続ける。
「故に、私を失望させた。その結果として。この場所にいる全ての人間を駆除することにしましょう。えぇ、羽虫を追い払うくらいの単純な作業です」
そう言って、悪魔卿の男は。
私ではなく、悲鳴のするほうへと手を向ける。
その手を何もない空間を握りだすと。
同調するように、美術館の全体が軋んでいく。ミシミシッと音を立てて、この美術館が悲鳴を上げる。
「ふふっ。この館内に、どれだけの人間が残っているんでしょうかね? まぁ、お前たちが素晴らしいと評価した作品と死ねるんだから本望ですよね!?」
「何をするつもり!?」
「このルーブル美術館、そのものを握り潰してやるんです! 本物の価値すらわからない傲慢な人間の集積など、私にとっては目障りでしかない!」
にやりっ、と歪んだ笑みを浮かべる。
ふと、昨日のアーサー会長が言っていた言葉を思い出す。『言葉の通じる獣ほど厄介なものはないよ』。なるほど、こいつは言葉が通じる相手じゃない。自分の価値観でしか、物事を判断できない。厄介な相手だ。
「(……仕方ない)」
私は覚悟を決めて、『ヴィントレス』を構える。
戦うのではない。殺すために銃を構える。
奴の視線がこちらを見る。
引き金に指をかければ、それだけで敵意とみなすだろう。そこからはマジの殺し合いだ。こんな奴を相手にして、無事で済むわけがない。ここで逃げてしまっても、誰からも責められる筋合いはない。
だけど、遠くから聞こえる悲鳴が。
まだ、館内にいる人の気配が。
私を誤った選択へと導いていく。
「……」
目を見開き、瞳孔が拡大する。
呼吸を止めて、真剣な表情となり。悪魔卿と視線を交わらせる。そして、奴を止めるために引き金に指を伸ばす―
その時だった。
「……スレッジハンマー流、喧嘩術第六曲。『監獄ロック』ッ!!」
一人の男が、美術館の壁をブチ破っていた。
火傷の痕がある男が、悪魔卿の前へと躍り出る。そして、拳を構えると思いっきり殴り飛ばした。その威力は凄まじく。反対側の壁を破壊させて、美術館全体が大きく揺れるほどであった。
そして、その男は。
私に背中を向けたまま、嫌味な表情を向けるのだった。
「おいおいおいおい。何かあったら、すぐに逃げるんじゃなかったのかよ? ナタリアさんよぉ?」
「……ご心配なく。これから全力で逃げるところだっての」
私が疲れた表情で笑った。
よかった。間に合った。
どうやら時間稼ぎはできたみたいだ。
不機嫌そうに首を鳴らしては、拳を構えている不良少年。カゲトラ・ウォーナックルを見て、私は安心したように息をつくのだった―
※脚注
・監獄ロック(Jailhouse Rock):言わずと知れた、エルヴィス・プレスリーの代表曲。様々なアーティストがカバーしているRock ’n’ Roll (ロックンロール)。