♯6.Broken Museum(崩れた美術館で、彼女と悪魔は語る)
「おやおや、やりすぎてしまいましたね」
異国風の男。……悪魔卿、エドガー・ブラッド卿と名乗った男は、辺りを見渡して。静かに嘲笑った。
この首都にある国立ルーブル美術館。カフェルームの近くにあった、有名作品が展示されている場所が。最初から何もなかったかのような瓦礫の山になっていた。およそ、200メートル。男を中心にして、周囲が円形に陥没してしまっている。
「でも、問題ないでしょう。そもそも人間とは、その存在が無意味ですから。そんな彼らから生み出される作品にも、価値なんてものはありません」
ガサッ、ガサッと瓦礫を踏み分けて、無造作に放置された有名画家の作品を見下ろす。感情を読み取るのが難しい、複雑な表情だった。
「……どうせなら、美術館の全てをを壊してしまったほうがいいかもしれませんね。人間は失って初めて、そのモノの本質に気が付くという。かつて、私が味わった喪失感。それを、お前たちにも教えてやりましょう」
エドガー・ブラッド卿は、にやりと口端を歪めると。
その血のように赤い瞳を細めた。そして、舞台の役者のように両手を広げると、上空へと仰ぎ見る。
ピシッ、と空間が軋んだ。
空気に断層が生まれて、大気の塊になって落ちてきた。エドガー・ブラッド卿の能力。空気を『圧縮』することで、大気の隕石のようなものを生み出していた。
その大きさは、美術館はおろか。首都すら崩壊させかねない規模であった。
「愚かな人間たちよ。私は知った。人間に生きている価値はないと。『彼』の作品を見て、それでも真の価値を見出せない、貴様らに。私は―」
右手を握りつぶして、見えない大気の隕石を落とそうとする。
もはや、この美術館に来ていた人間たちに、逃げ場などない状況だった。
……だが、その時だった。
ばこんっ、と瓦礫の下から。砕けた木片を蹴り飛ばす少女がいた。
「きひーっ、死ぬかと思った! なんで、いつもこんなことに巻き込まれなくちゃいけないわけ!? こういうのは、私向きじゃないんだって!?」
私こと、ナタリア・ヴィントレスが不機嫌そうに悪態をついていた。
身体の上に圧し掛かっていた木材を蹴り飛ばして、制服についた埃を払う。
ヴァイオリンケースは、……あった。こういうところは、普段の行いが良いからだよね。行儀が良かったことなど、一度もないけど、今の問題はそれじゃない。
「うん? おや、おかしいですね。確かに、貴女のことは。先ほどの一撃で、瓦礫に押しつぶしたはずなのに」
「おあいにくさま。悪いけど、私はここで死ぬつもりはないのよ」
彼女自身のためにも。彼女が目覚めたときに、この程度のことで音を上げてたまるか。私は軽く身構えながら、目の前に立っている悪魔卿の男を見る。
こんな状況において、どこか場慣れしているかのような態度に。今度は、エドガー・ブラッド卿のほうが答えに詰まった。
その顔は、わずかにも。戸惑っているようにも見える。
両手を下ろして、大気の隕石を元の空気へと戻した。
「……驚きました。正直、先ほどの一撃を浴びて、こうやって生きている人間がいるなんて」
「は? 何を言っているの? あんた、さっき『手加減』してたでしょ? 建物を崩壊させるほどの力なのに、瓦礫の下にいる私がほとんど無傷なんだもの」
私の呆れたような言葉に、男は手を顎に当てて頷く。
「ふむ、なるほど。ですが、それについては訂正させていただきましょう。私にとって、人間の人生など興味がない。たった一人の人間が、ここで死んでしまおうが。別にどうでもよいのですよ」
「あっそ。眼中にないってわけ」
私は面倒そうに呟く。
せっかくの制服が、またボロボロになってしまったじゃないか。それに、今日のスニーカーもお気に入りだったんだぞ。くそっ、どう弁償してくれるんだ?
「ふむ。なぜだかわかりませんが。どうやら君は、私に対して敵意を向けているようですね」
「敵意じゃない。苛立ちよ。弁償と慰謝料を請求したい気分だっての」
「おやおや。美術館の一部が崩壊させたことには、何も言わないわけですか?」
「そんな安っぽい正義感を掲げるほど、私は真面目じゃないのよ。別に、美術館が潰れようとも、作品が瓦礫に埋もれようとも、別にどうでもいいしね」
私は本心で答える。
嘘を得意とするスパイにおいて、偽の感情を伝えることは簡単だけど。本音を口にする方が、もっと楽だ。……まぁ、私の周囲には敏感な人間が多いようで。私の高等テクニックでさえ簡単に見破ってしまうんだけど。くそっ、これだから勘の良い仲間は嫌いなんだ。
「……貴女に、ひとつ尋ねてもいいですか?」
異国風の男。エドガー・ブラッド卿は、私のことを試すように尋ねる。
その目は、どこか真剣なものだった。
「ゴッホという画家については、先ほど話しましたね。では、他の画家については何か知っていますか?」
「まぁ、ちょっとくらいは」
とりあえず、話を合わせておくか。
また、あの変な攻撃をされたら堪らない。
「それじゃ、ピカソは? 彼の作品について、どう思いますか?」
「え、えーと、とても個性的だよね」
……ピカソって、あれだよね。なんか叫んでいる奴だよね?
「そうですか。では、フェルメールは?」
「あー、とても綺麗な絵だと思います。か、影の感じとか良いよね」
……フェルー、誰それ? 全然わかんないんだけど?
「ほほう。ではレンブランドは? 名画と言えば、彼の作品は外せませんよね?」
「あ、あはは、それなりにかな? わ、私の趣味じゃないけど、本当に素晴らしい絵だと思うよ、うんっ!」
……うわっ、知らね。もはや人の名前かもわからないんだけど。
私は嘘と誤魔化しの塔を順調に積み上げていた。先ほども触れたと思うが、私に絵画の芸術性を感じさせることは無謀だ。
てか、この悪魔。人間には興味がないとか言っておきながら、随分と嬉しそうに話してくるじゃないか?
「なるほど、素晴らしい。貴女は思っていた以上に博識のようだ。友人として欲しいくらいですよ。……それで? この国における最高の画才は誰だと思います? 代表作も一緒に教えてください」
食い気味に尋ねてくる悪魔を前に、とうとう私は言葉に詰まらせる。
……ぴえん。もう、無理っす。これ以上は誤魔化しきれないよぉ~。
「ごめん、答えられない」
「ほほう、それはどういう意味ですか? 確かに、かの作品たちから一番を選ぶのは難しいでしょうが、それでも貴女の心が揺れ動いたものを―」
「いや、知ったかぶりしていました。フェルなんとかも、レイなんとかも、全然わかりません」
ほんと、すみません。
私が居心地悪そうに視線を逸らすと。
その悪魔卿の男は、にっこりと笑った。
それは悪魔にしては、とても清々しい微笑みだった。
「そうですか、そうですか。彼らについて全く知らないと。彼らが残した作品を見ても何も感じないけど、何となく話を合わせるために知ったかぶりをしていたと?」
「え、えぇ。まぁあ」
てへへ、と愛想笑いを浮かべてみる。
悪魔卿、エドガー・ブラッド卿も、その真っ赤な瞳を愉快そうに細めた。
そして―
「わかりました。じゃあ、とりあえず。……ここで死んでくださいね♪」
「え~っ?」
私が引きつった笑いを浮かべている先には。
砕けた瓦礫を空中に浮かべて、私に向けて攻撃をしかけてきた悪魔卿の姿だった。