#4.Edgar Blood(エドガー・ブラッド卿)
「やっぱり、有名な作品には人が多いねぇ」
私はため息混じりに、大勢の人間が列を作っているのを見る。
そこに展示されているのは、教科書にでも乗っている国宝級の絵画。フェルメールだが、ドラクロワだが。確かそんな人物が描いた絵画が飾られている。名作らしいけど、そんなものを見たいがために、列に並んでじっと耐えているなんて。私には、とてもできそうにない。
私は、人ごみの流されないように頑張りながら、別の展示回廊へと向かっていた。
「こっちは、あまり人がいないのかな」
先ほどまでの混雑とは打って変わって。
この回廊には。数えるほどの人物しか見当たらなかった。
館内地図を見たところ、どうやらあまり人気のない作品ばかりが展示されているようだ。つまり、余りものか。賞賛を浴びる作品は、いつだって人の目の留まりやすい場所に展示されているものだ。いや、逆だったりするのかな? 人目がつく場所にあるから賞賛を浴びるのかも。そんな答えの出ない思考遊戯に戯れながら、ゆっくりと人気のない廊下を歩いていく。
「……へぇ。思ったより、良い作品もあるじゃない」
私は廊下を歩きながら、時折、足を止めて。壁に展示されている絵画を見る。
作者が何を伝えたかったのかはわからない。でも、作品を通して、なんというか気迫みたいなものだけは伝わってくる。この絵を完成させるために、どれだけの心血を注いできたのかを。
そんな作品でも、こうして誰の目につかない場所で展示されていることに、なんというか不思議な気分になってくる。私にしてみれば、先ほどの名画との違いがわからない。
そして、その廊下の突き当りにある。
きっと、誰も見ないである作品を見て。
今度こそ、……息をするのを忘れてしまった。
「……なんだ、これ」
ひとつの写実絵画であった。画家の少年が絵筆を手にキャンバスに向かっていて、その背後で悪魔が笑っている。一見すると、悪魔が無理やり絵を描かせているようにも見えるけど。不思議なのは、その少年の表情。
笑っていたのだ。画家の少年も、背後に立っている悪魔も。このひと時を楽しむように、談笑しながらキャンバスに絵筆を走らせようとする。
作者は不明。
タイトルすらつけられていない。
それでも、これは間違いなく。
この美術館にある作品の中で、もっとも美しいものだ。そう確信してしまうほどだった。
「おや。この絵に興味があるのですか?」
不意に、横から声がして。
私は、ゆっくりと振り返る。
「こんな場所に展示してある作品を見るなんて、貴女は見る目がありますね」
ふむ、と含み笑いを浮かべる。
異国風の若い紳士だった。
浅黒い肌に、夜の色のような髪。そして、センスの良いストライプ柄のスーツ姿。目元のあたりに星の印が刻まれていて、切れ目のような鋭い視線は、ここではないどこかを見ているようだった。
「この絵画は、作者不明なんですよ。なんでも19世紀頃に、財政難に陥った貴族が借金の担保に、有名な画家の作品として売りつけたとか。まったく、笑える話ですよね」
「……そうね」
私は静かに答えながら。
それでも、本心で彼に答える。
「だからといって、この絵が素晴らしいことには変わらない。きっと有名な画家だったんでしょうね」
「それは、どうでしょうか。死後になって、初めて名声を得られる芸術家は少なくありません。もしかしたら、この作者も。生前は誰にも見向きをされない、無名の画家だったのかもしれませんよ?」
「ははっ。だったら、その時の人間の目がおかしかったのね。これだけの作品。先入観もなく、心を空っぽにすれば。何を伝えたかったのか、すぐにわかるのに」
「ほぅ。それでは、貴女には。この絵が、どういったものなのかわかるのですか?」
異国風の紳士が、挑戦するような目でこちらを見る。
私は、自身満々で答える。
「そうねぇ。……友情。いや、楽しかった友達との語らい、かな? 喋ることに夢中になって、肝心のキャンバスにはまったく筆が走ってないもの」
「ほう、それは慧眼。ですが、少年と共にいるのは悪魔ですよ?」
「関係ないでしょ、そんなの。絵画や人間関係に正解を求める方が間違っているもの」
「なるほど。それは素晴らしい答えです」
異国風の紳士は嬉しそうに頷き、静かに拍手した。
「……どれだけ時代が経とうとも、画家の本心は闇の中です。ですが、貴女の推論は、決して間違ってはいないことでしょう」
「そりゃ、どうも。……じゃあ、そろそろ行くわ。仲間を待たせているんで」
「そうですか。それは残念です。……もし、よかったら。この素敵な出会いを祝して、貴女の名前を教えていただきませんか?」
その異国風の若者に、私は面倒ながら答える。
「私は、ナタリア・ヴィントレス。ノイシュタン学園の二年生で、どこにでもいる普通の女の子よ」
「ナタリア嬢ですか。覚えておきましょう」
「それで、あんたの名前は?」
「……?」
私の問いに、その異国風の紳士は少し迷ったような顔になる。
首を傾げながら、それでも。にこりと、目元の星の印が微笑みに歪む。
「そうですね。私の名前は、……エドガー・ブラッド卿。そう呼ばれています」
「卿? もしかして、貴族とか?」
「いいえ、違います。自分は人間ではありません。あなた方が『悪魔卿』と呼んでいる存在の一人ですよ」
「へ?」
私が惚けた声を上げて。
その浅黒い肌をした、異国風の男が。静かに笑みを返すのだった―