♯1. Popcorn & Orange Juice(キャラメルポップコーンと、オレンジジュース)
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休みの日は、なにをしますか?
あたしは映画を見ています。
誰もいない映画館で、真ん中から少し離れた席に座って。スクリーンに映し出される物語に心を躍らせる、そんな時間が本当に大好きです。
映画は、とてもいいものです。
自分ではない、誰かの人生を体験できるから。アクション映画、ファンタジー映画、恋愛映画。どれも好きですけど、最後が悲しくなって終わってしまうものは、ちょっとだけ苦手だったりします。
今日は、どんな物語が上映されるのでしょうか?
あたしはウキウキと心を弾ませながら、いつも座っている席に腰を下ろす。今日も、他には誰もいません。初めから決まっているかのように貸し切りです。
お気に入りのお供は、キャラメルポップコーンとオレンジジュース。もちろん気分だけですけど。
ポリポリと甘いポップコーンを楽しみつつ、音を立てないようにストローをくわえてジュースを飲む。たまに、おトイレが近くなるのを気になりますが、スクリーンの情景に目を奪われてしまいます。少し前までは、映画の上映が終わると同時に、おトイレに駆けだすこともありましたが、今はそんなことはありません。
ぱくっ、とポップコーンを口に入れて、今日の映画が始まるのを待ちます。
昨日は、明るいコメディな話でした。
一本の赤ワインを巡る迷事件。なくなってしまったロマネ・コンティエは、どこにいってしまったのでしょうか? 主人公の女の子は、自分が隠し持っていることを内緒にして、その不可思議な事件に挑むのです。まぁ、最後には。とても怖い先輩に見つかってしまって、赤ワインを没収された上に、きついお仕置きを受けてしまいましたが。
その前は、とある出会いの物語でした。
主人公の女の子は、自分が割ってしまったティーカップの代わりに、新しいものを買ってくるようにと、お友達から命令されてしまいます。女の子はぶつくさ文句を言いながら、新しいティーカップを求めて街へと出かけます。そこで出会ったのが、とても可愛らしい少女でした。
ふわふわの蜂蜜色の髪に、思わず抱きしめたくなるような小動物みたいな雰囲気。同じ女の子であっても、好きにならずにはいられない、それほどの可愛い美少女でした。
その後には、とても怖い悪魔と遭遇してしまいますが。蜂蜜色の少女と、彼女と運命を共にする男の子と協力して、その戦いは何とか切り抜けました。あの少女と男の子が幸せになれることを、あたしもスクリーン越しで願わずにいられません。
これまでも、いろんな映画を見てきました。
タピオカミルクティーを飲みながら、お友達と喋っている物語。ギャンブルにハマってしまった主人公の女の子が、何とかして借金を返済しようとする物語。時には、とても怖いお話もあって。街の領主様が、女の子を誘拐して石像の中に閉じ込めてしまう。そんなお話もありました。
どれも、これも。
あたしでは体験できないような、とっても騒がしくて楽しいものでした。
毎日、毎日。
心躍るような物語に、あたしはウキウキとしながらスクリーンを見つめています。もしかしたら、こんな気持ちは生まれて初めてかもしれません。
……あたしは地方の生まれで、田舎街からやってきました。
首都に進学したのも、少しでも早く、両親と距離を取りたかったからです。
あたしの両親は、あたしが小さいころから、とても不安定な人たちでした。気に入らないことがあると大声で叱りつけて、自分たちの思い通りにならないと、喚きながら八つ当たりをしてくるのです。
……あたしは、不満のはけ口だったのでしょう。
引っぱたかれたり、殴られたりするのは、いつものこと。
機嫌が悪い時には、床下にある地下倉庫に入れられて、何日も何日も出してくれませんでした。水もなく、食べ物もない。このまま死んじゃっても、きっと誰も悲しまない。あたしなんて、生きている価値もないんだろうな。気がついたら、そんなことばっかり考えて生きるようになっていました。
このノイシュタン学院を選んだのも、学生寮があるという。それだけの理由だけでした。学生奨学金のおかげで、何とか両親の手を借りずに通うことができました。
ですが、そんなあたしには。当然のように友達なんていませんでした。
ちょっと夢を見ていたのかもしれません。あの両親と離れることができたなら、とても素晴らしい人生が待っているんじゃないか。映画の主人公のように、たくさんの友達に囲まれて、様々な困難に立ち向かっていく。そんな夢みたいな物語を。
それでも、現実は変わりません。
教室で一人ぼっち。授業が終わったら、そのまま女子寮に帰るだけの日々。他のクラスメイトたちが楽しそうに買い物や遊びに行くのを、ただ黙って見ることしかできません。
……なんだか、疲れてしまいました。
どうして、こんなことをしてまで生きなくてはいけないのか。それならいっそのこと、こんなつまらない物語なんて、自分から―
その日から、時々。
あたしは仮病を使って授業を出ることを辞めました。
ふらふらと街に出て、何かを求めるように歩いていました。今なら、わかります。あれは、今の自分を救ってくれるものを、そんな素敵な出会いを求めていたのでしょう。お小遣いだってほとんどないのに、目についた喫茶店に入って。一杯のココアだけで、ずっと窓から外を眺めていました。
……あの日も、そうでした。
ふらっ、と立ち寄った喫茶店で。一杯のココアを注文して、街の景色を眺めていました。
途中で、他のお客さんが入ってきました。
若い男の人です。
薄手のコートを脱ぎながら、にこやかに笑いながらカウンターの席に座ります。そうやって店員さんに注文している姿に、あたしは少しだけ違和感を覚えました。ずっと、他人の顔色ばかり窺ってきたからでしょうか。なぜか、その男の人は。自分を偽って他人を演じている。そんなふうに見えたのです。
一瞬、視線がこちらに向いて、慌てて顔をそらしました。
とても怖い目つきでした。
でも、同時に。心のどこかでドキドキしている自分がいました。きっと、あの人は『特別な物語』の中で生きている、そんな人なんだと。そう考えると、胸の高鳴りが治まりませんでした。
その後に、ちょっと太った偉そうなおじさんが入ってきました。何かに怯えるように、きょろきょろと辺りを見ながら、大事そうにアタッシュケースを抱いています。そして、おじさんが落ち着かない様子で席に座ると、さっきの男の人が立ち上がりました。
……わっ、こっちに来ちゃう!?
あたしは顔が赤くなっていないか心配になりながら、こっそりと視線だけ彼に向けます。凛々しく引き締まった表情を見ているだけで、心臓の動悸がどんどん早くなってしまいます。そして、彼がおじさんに手を向けて、何かを呟いた。その時でした―
突然、地震が起きたのです。
ぐらぐらっ、と建物全体が揺れて、空になっていたカップが床に落ちて割れました。その揺れは止まることはなく、さらに激しくなっていました。窓ガラスが割れて、壁や天井も崩れ始めていきます。
そして、次の瞬間。
天井が壊れてしまい、瓦礫の山が降ってきました。コンクリートでできた塊が、あたしの頭上に迫ってきた時は、もう手遅れでした。
……がつんっ、と強い衝撃が。頭から足先にまで走っていきました。
自分でもわかりました。
これは、もうダメなやつだと。
もう、助からないと。そう思った時に、これまで人生が思い出となって駆け巡りました。本当に良いことなんて、ひとつもなかったように思えます。いつも一人っきり。友達もいなくて。こうやって誰にも悲しまれずに死んでいく。子供の頃、両親に地下の倉庫に閉じ込められていた記憶が鮮明に蘇る。あの時だって、別に生きていたかったわけじゃない。あのまま死んでしまいたかった。そう思える人生でした。
そう、今だって、このまま―
……ッ!
誰かの声がしました。
ぼやけていく視界の中で、誰かがあたしへと手を伸ばしています。あの男の人でした。その人は、あたしの元へと駆け寄ると、降ってくる瓦礫から守るように抱きしめてくれました。もう、そんなことをしなくてもいいですよ。だって、あたしは、このまま消えてしまっても―
そう思っていたはずなのに、心が叫んでいた言葉は。
もっと醜いものでした。
……生きたい。
……このまま死にたくない。あたしだって、映画の人みたいに幸せになりたい!
心の言葉は声にならず、そのままあたしの意識は暗い沼へと引きずり込まれていく。それでも、真っ暗になる視界には、小さな光の糸が繋がっていました。彼が強く抱きしめてくれた温もりは、今も鮮明に覚えています。
そして、気がついた時には。
この映画館にいたのです。
他のお客さんは誰もいない。私だけの映画館。上映される物語はいつも違って、楽しくなれるコメディだったり、手に汗を握る激しいアクションだったり。
あたしは、あたしではない『ナタリア・ヴィントレス』の物語に引き込まれていました。たくさんのお友達に囲まれて、悪い敵をやっつけていく。悪魔と戦う秘密組織。時計塔の『No.』。それは、あたしにはできない。あたしの物語でした。
……さて、今日はどんな物語だろう。
今日のお供は、やっぱりキャラメルポップコーンとオレンジジュースかな。まぁ、気分だけですけど。あたしはいつもの席に座って、映画が上映されるのを待っています。
そして、一日の上映が終わって。
気がついたら、あたしは映画を見ながら眠ってしまいました。ふわっ、とあくびを漏らしながら、明日はどんな物語が繰り広げられるのか、今から楽しみでなりません。
……そんな時でした。
映画館の扉の向こう側から、声がしたのです。
男の人の声でした。
「……なぁ。いつになったら、目を覚ましてくれるんだ? ナタリア・ヴィントレスさん?」
その優しい声色に、あたしの心がポカポカと温かくなります。返事をしたい。お話をしたい。もっと、あなたのことを知りたい。でも、そうなったら、この関係がなくなってしまう。
映画館の扉の鍵は、とっくに開いていました。
それでも、あたしは。もう少しだけ、と心の中で呟きながら。再び微睡に囁かれるように、そっと目を閉じるのです。
……そう。
……もう少しだけ、この夢を見させてください。
―狂ったように騒がしい、JAZZのような夢を―
『Chapter14:END』
~This is Your Movie. (これは、あなたのための映画館)~
→ to be next Number!
・今回は単編でした。次回は、少し濃厚なアクションを予定しています。よかったら見てやってください。