#5. Case 3(第三の事件。…犯人は最初から、そこにいた。)
「結局、ここが最後の盗難事件の現場ね」
ミーシャ先輩がげんなりとしたような口調で言った。
これまでの調査で、犯人らしき人物は見つかっていなかった。
まぁ、そんなことはどうでもいい。
問題なのは。
私が赤ワインを盗んでいる、という罪を誰が被ってくれるのか。それが大事なのだ。最高級の赤ワイン、ロマネ・コンティエとなれば、どうしても手放すのは惜しい。誰か適当な犯人を仕立てあげて、冤罪で吊るし上げた後で、ゆっくりと舌鼓を打つ。これが、望むべきエンディングだ。
そのためには、見知らぬ誰かには。尊い犠牲になってもらう必要がある。……くそっ、こんな時に限って『悪魔』の気配がない。都合よく悪魔が出てくれたら、そいつに全ての罪を擦り付けられるのに。
「最後の事件現場は、校長室ですか。では、行きましょう!」
私は気合を入れ直して、校長室の扉をノックする。
こうなったら、この善良な校長先生様に赤ワイン窃盗の犯人になってもらうしか―
「それにしても。今日のナタリアさんは、随分と積極的だね」
唐突に、アーサー会長の声がした。
よく通る声で、その言葉に感情は含まれていない。
「えぇ。アーサー会長がお土産にしようとしていたワインなんですよ! 何が何でも犯人を捕まえて見せますよ!」
「そうかい。いやー、僕は良い後輩を持ったなぁ」
あはは、と笑ってから。
ふいにアーサー会長の目が、薄く見開かれる。その目は、まったく笑っていなかった。
「……まるで、犯人が見つからないと自分が困ってしまう。そんなふうにも見えてしまうのは、僕の気のせいかな?」
ぎくっ!?
私は内心の動揺を隠すように、咄嗟に作り笑いを浮かべる。これでも、東側陣営に所属する現役のスパイなのだ。この程度の揺さぶりで、ボロを出すものか。
「な、なな、何を言っているんですか!? か、考えすぎですって!?」
ひゅー、ひゅー、と吹けもしない口笛を吹きながら、視線を横にそらす。
背中からは冷や汗がだらだらと流れて、眼球はせわしなく動いている。両手で持っているヴァイオリンのケースは、手汗でべっとりだ。
そんな私を見て。
アーサー会長は、にっこりと笑った。
「うん、そうだよね。ナタリアさんが僕のワインを盗んで、こっそり隠しているなんて。そんなことあるわけないよね」
ごめんね、と謝ってから、アーサー会長は校長室へと入っていく。
そんな後ろ姿を見て、誰にも気づかれないようにほくそ笑む
ふぅー、危なかった。
私じゃなかったら、こんな難局は乗り越えられなかったに違いない。もしかしたら、自分で思っている以上に、スパイとしての才能があるのかも。そう思うと、ちょっとだけ気分が良くなってきた。私は上機嫌にスキップをしながら、アーサー会長の後に続く。
その姿を、ミーシャ先輩がじっと見ていた。
「盗まれたのは、金庫に入っていた重要書類だ。何とかならんかね?」
灰色のスーツを着た、白髪混じりの男性。
髪はしっかりとセットされていて、清潔感が漂っている。その動作ひとつとっても、どことなく品格のようなものを感じていた。ロマンスグレーの渋いおじさん、といった印象だ。初めて見た時も思ったけど、随分とカッコイイ歳の取り方をするのものだ。
「重要書類と言いましたが、詳細は何ですか?」
「個人的な観賞用、とだけ言っておこうか。すまんな。私にも生徒のプライバシーを守る義務があるので。これ以上は言えんのだよ」
アーサー会長の問いに、ロマンスグレーな校長は真正面から答える。
こうやって会長と対等に話ができる人は、実に珍しい。きっと、優秀な経歴をお持ちなのだろう。
「それでは、部屋の中を調べされてもらってもよろしいですか?」
「構わんとも。私は生徒たちを信頼している。それが時計塔の管理を任せているアーサー君ともなれば、わざわざ確認する必要もなかろう」
そう言って、ロマンスグレー校長は。
自分の執務デスクから立ち上がって、壁際に立つ。
窓から入ってくる夕陽が、校長の整ったアゴ髭を照らしている。時計と見れば、もう16時を回っている。……くそ、早くしないと売店が閉まってしまうじゃないか。酒の肴がなければ、せっかくの赤ワインも台無しだ。サラミ、チーズ、バケット。あと出来れば生ハム。この辺りは鉄板だ!
「別に、おかしなところはないようですね」
「うむ。私もそれが気になっているんだ。この校長室は扉がひとつしかないし、鍵は私が常に持っている。もちろん、予備の鍵やマスターキーもない」
ロマンスグレー校長は、胸ポケットから懐中時計つきの豪華な鍵を取り出す。つまり、完全な密室での犯行。それも金庫を破って、重要書類とやらを盗んだと。
「むむ。こうなってくると、犯人捜しは難しそうですね」
「そうだね。これは難事件だ」
そう答えるアーサー先輩は、どこか楽しげだった。
もはや答えにたどり着いている。
そんな気配すらあった。
「ちなみに、校長先生。どうして、この部屋には時計がふたつあるのですか?」
「む? ふたつだと? ここには、そこの棚にある置き時計しかないはずだが」
首を傾げる校長。
だが、アーサー先輩が指さした先には、天井付近に取り付けられた時計が掛けられていた。学園内の教室な更衣室など、至る所で設置されている同じ形の壁掛け時計だ。
「おや、今まで気がつかなかったな。……まぁ、同じような時計が学園中に設置されているから、疑問に思わなかったのかもしれんな」
「そうですか、ありがとうございます」
にこり、とアーサー会長は笑った。
そして、彼は。
穏やかに微笑みながら、校長に退席するように伝えるのだった。
「申し訳ありませんが、校長先生。少しの時間で良いので、この部屋から退出していただいてもよろしいですか?」
「別に構わんが、なぜだね?」
もっともな疑問に、アーサー会長は態度を崩すことなく答える。
「いえ。ちょっとばかり騒音を立ててしまうので。……そうですね。10分ほどしたら、また来てください」
アーサー会長の言葉に、ロマンスグレー校長も首を傾げながらも、素直に部屋を出ていく。
この学校のトップである校長先生を、校長室から追い出すなんて。このアーサー会長はどれだけ信頼されているのか。あるいは、どれだけの権力を持っているのか?
「さて。邪魔者もいなくなったことだし、始めようか」
にこにこ笑いながら、アーサー会長は私とミーシャ先輩を見る。
「ナタリアちゃん。ここに来るまでの事件で、犯人らしい人物はいたかな?」
「いいえ。いないから、こんなに困っているんじゃないですか」
「そうだね。じゃあ、ミーシャ。犯人はどうやって、密室の部屋から出ていったのだと思う?」
「興味ないわね。壁をすり抜ける方法くらい、いくらでもあるもの」
そう言って、ミーシャ先輩は自分の指先で魔法陣を描く。
時々、忘れそうになるけど。この国では魔法は珍しくない。過去の戦争で、魔法の使える人間は魔術兵士として駆り出されてしまったせいで、その人数は激減しているが。それでも、私の祖国や、東側の連邦よりもはるかに多いだろう。
「じゃあ、最後の質問だ」
アーサー会長は、にっこり笑って。
天井近くの壁にある、ふたつめの時計を指さす。
「あっちの壁掛け時計は、……どうして12時を指しているのかな?」
「え?」
私は慌てて、その時計を見た。
確かに。もう放課後で、夕陽が差し込む時刻のはずなのに。なぜかあの時計だけは、12時で止まってしまっていた。
「つまり、こういうことだよ」
アーサー会長は、校長室に展示されている銀食器から、ひとつのフォークを手に取る。ピカピカに磨き上げられた『銀』のフォークだ。
それを、指先で摘まんで、軽く構えると。
時計に向かって、投げつけたのだ。
そして、それと同時に―
「痛てぇぇぇぇぇぇっ!」
その壁掛け時計が、大きな悲鳴を上げた。銀製のフォークが時計の盤面に突き刺さっている。
犯人は最初から。
……そこにいた。