♯2. Fiction of Romanee-Contie(これはフィクションです。実際の団体や、私が赤ワインを盗もうとしていることなど、一切関係ありません!)
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……問題が起きたのは、その日の放課後であった。
時計塔の執務室に、『NO.』のメンバーたちが集まっていた。退屈そうなミーシャ先輩、面倒そうに頭をかくカゲトラ。少しバツが悪そうな黒服のペペと、自分は関係ないですよという表情の黒服のナポリ。
そして、妙にそわそわしてしまっている、この私だ。
それらの視線の先にいるのは、いつものように爽やかな笑みを浮かべているアーサー会長だ。きらきらと黒い星を輝かせながら、まったく笑っていない目でメンバーを見渡す。
「さて、どうしたものかな?」
アーサー会長は執務机から立ち上がり、丁寧な装丁の木箱を開ける。そこには、入っていたはずの赤ワインが。
……どこにもなくなっていた。
「最初に言っておくよ。ここに入っていたのは、ちょっとお高めな赤ワイン。未成年である僕たちには、何の価値もない代物なんだけどね。そんなものが、この執務室から盗まれてしまったんだ」
にこり、と彼は笑う。
もちろん。その目はまったく笑っていなかった。
「ワインがなくなってしまったことは残念だ。本来であれば、お世話になっている御人に献上する予定だったのだけど。このままでは空手柄の大恥をかいてしまうね」
「……そうは言っても、たかがワインでしょ? 別のものを買えばいいんじゃない?」
退屈そうなミーシャ先輩が、さも当然というように指摘をする。
そうだ。
高級ワインといえど、ちょっとお高めなくらいだ。その辺のデパートでも買いそろえられるはず。そう自分に言い聞かせて、私も強気の姿勢で身構えるとしよう。
「そうだね。普通のワインであれば、それで良かったんだけどね」
にこり、とアーサー会長が笑顔を浮かべる。
……あれ?
……なにか、嫌な予感が?
「ここにあったのは、ロマネ・コンティエと呼ばれる銘柄でね。高級なワインとしても有名なんだ。そう、とても高級だ」
そして、と彼は満面の笑みで続ける。
「今回、僕が貰ったのは、ロマネ・コンティエの中でも最上級の一品。限られた土地で、厳選された職人によって熟成された、最高級の赤ワインでね。10年に一度、出るか出ないかの最高の一品といってもいい。市場に出回ることは、ます無いだろうね。ワイン愛好家たちからは、喉から手が出るほど欲しいことだろう。……そして、当然。その価格も跳ね上がる」
「価格が跳ね上がるって、いったいどれくらいよ?」
ミーシャ先輩が問い。
アーサー会長が答える。
「そうだね、簡単に言えば。……家が一軒くらい買える金額だね」
ぱさり、とミーシャ先輩の持っていたファッション雑誌が床に落ちた。
それまで無関心でカゲトラでさえ、驚いたように口を開き。黒服のペペはさらに肩身が狭そうに小さくなっていた。
「(……え? はぁ!? そ、そんな、バカな!?)」
私は、あまりの衝撃的な事実に。
がくがくと膝を震わせながら、両手に持ったヴァイオリンケースを握り直す。やばっ、ちょっとトイレに行きたくなってきたかも。
「ちょっ、アーサーっ! あんた、マジで言っているの!?」
「マジで、とは?」
「ワイン一本が、そんな馬鹿みたいな金額になるのかって聞いているの! ありえなくない、たかが酒でしょ!?」
理解が追い付かない、といように食って掛かるミーシャ先輩に。アーサー会長は穏やかに答える。
「まぁ、僕たち理解できない世界だけどね。でも実際に、高級ワインを狙った犯罪も起きていることだし、それだけ需要があるってことさ」
そして、スッと彼の眼がナイフのように鋭くなった。
「そもそも、このロマネ・コンティエという銘柄は、その知名度から偽物も多い。近所のBARで並んでいるボトルは、間違いなく偽物だろう。味の違いもわからない人間には、それで十分だけどね」
さぁぁ、と私の背中が冷たくなっていく。
「(……偽物? 私が同僚と飲んでいたワインが、偽物だったということか!? そして、本物であるあのワインには、それこそ一人の人間の財産にもなる価値があると)」
あまりの真実に、感情が追い付かない。
ただ、体だけは正直で。さっきから膝が、がくがくと震えっぱなしだった。
「まぁ、今回の犯人には、それ相応の処罰を下すつもりだ」
びくっ、と私の肩が揺れる。
なるべく平静を装っていたけど、どんどん事態が深刻になってきている気がする。
……これは、ヤバい。
……マジで、ヤバい。
いっそのこと、犯人は私です。と自白してみるのはどうだろうか。まだ、あのワインを開けているわけじゃないし、今ならきっと許してくれて―
「ちなみに。今更、犯人が自白したところで許すつもりはないよ。まるで、この仲間たちの中に犯人がいるように見せかけている魂胆が、僕は気に入らないんだ」
アーサー会長は、私たちのことをじっと見つつ、静かに目を閉じた。
「僕は仲間を信じる。君たちは、僕の背中を預けられる数少ない友人だ。君たちを疑うつもりなんて1ミリもない。僕たちは、……仲間なんだから」
きらり、と白い歯が輝く。
黒服のペペは感動したように涙ぐんで、ミーシャ先輩は恥ずかしそうに雑誌で顔を隠して、カゲトラは柄にもなく表情を緩める。こうやって、『NO.』の仲間たちの絆は固く結ばれてきたのだろう。
そして、私は―
「(……ごめんなさいっ! 本当に、ごめんなさいっ!! 私は、そんなに心が綺麗な人間ではないんです! 目の前の赤ワインを見て、価値も知らず手を出してしまうような、クソみたいに汚れた人間なんですぅ!!!)」
「ん、どうした? ナタリアちゃん。顔色が悪いが?」
それまで黙っていたサングラスの黒服、ナポリが訝しむようにこちらを見る。
「い、いえ! な、な、なんでもないです! あは、あははっ!」
やばい、どうしよう。
もう、『実は自分が隠し持っていました、てへペロ♪』みたいな手は通じないぞ。運が良くても、クジラ漁船に乗せられて極寒の海に蹴り落されるか。最悪の場合、残りの人生をアーサー先輩の下僕として生きていかなくてはいけない。もしかしたら、下着姿にひん剥かれて、この時計塔から吊るされる刑に処されるかも。
アーサー会長の言葉に、わずかに弛緩した空気の執務室で。
私だけは、未だかつてないほど頭を捻りだす。
……考えろ、ナタリア・ヴィントレス。
……何か打開策があるはずだ。この窮地を抜け出す方法が。明日のお天道様を拝むことができる方法が。そして、私だけが幸せになる方法が―
「あー、そういえば」
唐突に、カゲトラが思い出したかのように言った。
「学園で聞いた話なんだが。最近、生徒たちの私物がなくなる事件が起きているらしいな」
「あっ、それ。私も聞いたことがあるかも。女子のペンケースとか、体操服も盗まれたとか」
カゲトラの言葉に、ミーシャ先輩が相槌を打つ。
その瞬間だった。
ピキーンッ、と私の中で何かが閃いた。
「アーサー会長! それです!」
「ど、どうしたんだい、ナタリアさん?」
急に詰め寄ってきた私に、アーサー会長は珍しく動揺している。
「学園で起きている盗難事件。もしかしたら、そいつがワインを盗んだ犯人かも!」
「は、はぁ? でも、この時計塔の警備は最新のセキュリティーだし」
「何を言っているんですか!? この学園の女子更衣室だって誰も入れないように、きっちりと鍵で施錠をしているんですよ。ねぇ、ミーシャ先輩!?」
「え? まぁ、そうね」
私の勢いに押されて、ミーシャ先輩も素直に頷く。
「まずは、その盗難事件を調べましょう! もしかしたら、その犯人がまだ会長のワインを持っているかも!?」
力説する私。
もはや力押し。それしか道はないのだから、この際、道理なんてぶっ飛ばして勢いだけで話を進めてやる。そうでないと、……私の命が危ない!
あまり気の進まないアーサー会長を引っ張って、この執務室から出そうとする。
だが、そこに邪魔者が出てきた。
「ったく、めんどくせーな。そんなことしなくたって、この部屋を隅々に探せば見つかるんじゃ、……ぐぼへっ!」
余計なことを言うんじゃねーよ、このバカトラが。
私の放った鋭い蹴りが、カゲトラの急所に襲い掛かる。そして、股間を押さえたまま丸くなっている不良男子を放置して、私は意気揚々と先頭に立つ。
「さぁ、行きましょう! アーサー会長の大事なワインを見つけるために。もし、盗んだ犯人がいたら、この私がけちょんけちょんにしてやりますから! えいえい、おーっ!」
私は必死に虚勢を張りながら、右手の拳を突き立てる。
その手は、汗まみれのうえに。
虚しいほど震えていた……