#16. Memory(たまには、古いアルバムでも)
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……古いアルバムを開くように、過去の風景が流れ込んでいく。一年前。見たこともない誰かに呼び出されて。彼女は、その場所に立っていた。
彼女は生まれた時から、独りだった。
そして、特別だった。
仲間もおらず、家族もいない。ただ、独りで。廃墟となった教会で夜空を見上げていた。
彼女には生きる理由がなかった。
彼女には存在する必要性がなかった。
その場にいるだけで、世界を混沌へと陥れる。偉大なる悪魔の王族。災厄の女王。人類の敵。神々を殺すもの。
そして、この世の666体の悪魔を統べるものにして。5人の悪魔卿を従えている。ただひとりの女王。
故に、彼女は孤独だった。
仲間もおらず、家族もいない。朽ちた教会で、夜空を見上げている時間だけが、彼女のすべてだった。
寂しくはなかった。辛くはなかった。自分に近づこうとする人間が、次々と不幸になっていくことに。彼女は何も感じていなかった。
そんな彼女に、手を差し出したのは。
世界を救う勇者でもなく、国を従える王族でもなく、神から遣わされた天使でもなく。
……どこにでもいる、普通の少年だった。
彼女は、少年の手を取った。
無邪気に笑う少年に、心の奥底が騒がしくなるのを感じた。これまで感じたことのない感情の波に、戸惑いながらも、次第に受け入れてしまった。
彼女が自分の心を知った、その瞬間だった。
彼と過ごす日々は『特別』になった。この世界は、彼女が知らないことであふれていた。
流れる水が、心地よいことを初めて知った。焼きたてのパンが、とてもおいしいことを初めて知った。ティーカップの紅茶が、こんなにも良い香りをすることを初めて知った。何より。誰かと過ごす時間が、こんなにも楽しいことを。彼女は初めて知った。心が温かくなる、という言葉を初めて理解した。
名前のない彼女に、友達ができた。
時計塔のアーサー。
ミーシャ・コルレオーネ。
カゲトラ・ウォーナックル。
災厄の女王にして、世界を不幸に陥れる存在。そんな彼女のことを、仲間と呼んでくれる人たちが集まってきた。一緒にいるだけで、周囲の人間を不幸にしてしまう、その根源に通じる性質。だが、不思議なことに、少年と一緒にいるときだけ、不幸なことは一度も起きなかった。彼と一緒にいるときだけ、彼女は心から笑うことができた。
そんな仲間たちが、彼女に名前がつけてくれた。
アンジェラ・ハニーシロップ。
蜂蜜色の天使、という名前に。彼女は照れるように笑った。大切な友達と、素敵な仲間たち。彼らに囲まれて過ごす日々は、これまでの孤独からはかんがえられないほど、幸せなものだった。
……だが、幸せな時間は長くは続かなかった。
彼女の力を狙う、悪魔たちの襲撃。
そして、悪魔狩りによる執拗な追跡。
悪魔の女王である彼女は、こともあろうに。自分を大切にしてくれた人たちのために、その命を燃やそうとした。自分を大切にしてくれた人たちを、自分が大好きな人たちを。これ以上、傷つけさせるわけにはいかないと願って。
彼女は、自分の宿命と。生きている意味すら放棄して、仲間を守ろうとした。
そして、夜が明けて。
アンジェは、無邪気に笑うジンタの手を取った。
夜明けとともに、仲間たちから離れていった。学園の時計塔。執務室にあるソファー。背の低い食器棚の一番奥には、二人のティーカップがある。
いつか、この素敵な思い出がある場所に戻ってこよう。そう願って。
このアルバムは、ここで止まっている。
その先は―