しごと うしろ
エレベーター内では会話は無かった。私もそうだがアーケディアさんも緊張している様子で、会話をする余裕などなかったのだ。
エレベータの到着音。扉が開く。私は覚悟を決めて口を開く。
「着きました。行きましょう」
「――分かりました」
今度は二人同時に動き出す。アーケディアさんも覚悟を決めた様だ。同じような気持ちを持つ人間がもう一人いると思うと少しだけ安心した。
エレベータから少し歩くと大きな扉が見え、その前には黒服の男がいる。
私たちはそのまま扉までまっすぐ歩いて行く。扉の近くまで来ると黒服は「ようこそ」の一言だけ発し扉を開いた。
通常であればここで会員かどうか確認されるのだが、私はここでは特に有名人だし、糞オーナーからも伝わっていたのだろう。顔パスで済んだ。
晩餐会上に入ると、中にいた黒服から席まで案内された。
ここの晩餐会会場は特殊な形状をしている。会場の中心が10メートル程深く掘り下げられており、その中心には1脚のテーブルが置かれ、テーブルを挟んで2脚の椅子が向かい合わせに置かれている。
そしてその周りの高くなっている場所には、テーブル席が中心のテーブルを囲むように幾つも置かれている。
「まるで円形闘技場のようですね」
アーケディアさんがそう言った。
「円形闘技場そのものですよ」
「――そう、ですね」
これから起こることを考えれば、この言い方で正しい。
「さあ、席に着きましょう」
私たちは案内された席に着く、その場所は最前列にあり、一番近くでショーが見られる席だった。糞オーナーからの粋な計らいと言うやつなのだろう。
「余計なことを……」
私は苦虫を嚙み潰したような顔になりながら周囲の人間たちを見る。
誰もかれも豪華に着飾り、ショーの開始はまだかと期待に胸を膨らませている。
「――反吐が出る」
「え?」
おっと、小さく呟いたつもりがアーケディアさんに聞かれてしまったようだ。
「すいません。私はこの場所が好きではないので思わず本音が漏れ出てしまいました」
「いえ、私こそ謝らなければなりません。貴方をその様な場所に来させてしまいました」
話せば話すほど解かってくる。アーケディアさんは優しい人だ。だからこそアーケディアさんのような人はこの場にいてはいけない。下手をしたら狂ってしまう。
「アーケディアさん、今ならまだ間に合います。ここを出ましょう」
真っ直ぐにアーケディアさんの目を見る。
「それは出来ません。」
「それは先程言った役目のためですか?」
「はい。役目については詳しく申し上げることは出来ませんが、今回のショーを見ることは役目を全うするに当たって必要なことなのです。
アーケディアさんも真っ直ぐに私の目を見つめる。意志は固く、そして強い。これ以上の説得は無意味。そういう目をしている。
私は短くため息をついた。
「分かりました。これ以上貴方を止めるような真似はしません」
「ありがとうございます」
「それに――」
私は会場の中心に目をやる。そこには何時の間にか黒服の男性1人と、中心に置かれたテーブルの席に向かい合って座る一組の男女がいた。
「始まります」
会場の中心にいた黒服が大げさに、恭しく、深々と礼をする。
「み・な・さ・ま!ご機嫌よう!!お待たせしました。今宵の『暗き悪魔の饗宴』ただいまより開催にございます!!」
一瞬の静寂の後、大きな拍手が会場中から響き渡り、アーケディアさんの顔には緊張の色が現れた。
「今宵の催し物は『悪魔の質問・咎問い』!!出場者はこの若き男女!この内の1名のみが褒章を得ることが出来ます」
「空座さん、『悪魔の質問・咎問い』と言うのは今日の催し物の名称で合っていますよね?」
「はい、間違いないです」
「つまりこれからクイズの様なものをするのですか?」
普通に考えればそうだろう。だがしかし、これは『暗き悪魔の饗宴』の『悪魔の質問』なのだ
「そんな生易しい物ではありませんよ」
「え?それならどのような――」
「見ていれば分かります」
そう言って私は会場中央を見るように促し、アーケディアさんはゆっくりと頷き、会場中央に視線を戻した。
「皆さま、今一度『悪魔の質問・咎問い』のルールを復習致しましょう。と言ってもルールは簡単。出場者は最初にテーブル上に置かれた錠剤を飲んで頂きます。そして、悪魔に扮した私の質問に嘘偽りなく答えるだけ、それだけにございます」
あまりにも簡単なルール。これには出場者を含めた、ルールを初めて知った者達皆が戸惑いの声を上げた。しかし、その様な声などどこ吹く風、黒服は続ける。
「それだけ!それだけに!嘘はいけません!!一度でも私の質問に嘘で答えようものならその時点でショーは終了。嘘を吐いた者は全てを失います」
全てを失う。それを聞いた出場者たちに緊張が走る。
それもそうだ。全てを失うことに嘘偽りは無いのだから。
「それでは『咎問い』を開始しましょう。お二人とも準備を。
促された二人の出場者は、テーブルに置かれた錠剤をそれぞれが手に取り、ごくりと飲み込んだ。
「――よろしい!両者共に準備完了です!それでは第1問目!人間以外の生物を殺したことがありますか?」
「ある」
出場者の男が素直に答える。女性の方は質問の意図を測りかねているのだろう、戸惑いながらも口を開く。
「あ……あります」
「よろしい。では2問目に入らせて頂きます。第二問目!人間に軽度のケガを負わせたことはありますか?」
「ある」
「ありません」
答えが分かれた。と言うことは始まる。
「おおっと!ここで答えが分かれました。それでは確認作業といきましょう」
そう言った黒服は出場者二人の観察に入る。すると女性の両足が足首近くまで紅く結晶化していた。
「あれは……」
アーケディアさんは口に手を当てて驚いている。無理もない。人が結晶化することなど普通では在り得ない。だが、今現実に起こっているのも事実だ
「仕組みは分かりませんが最初に二人が飲んでいた薬の作用です。」
「そんな薬があるのですか?」
「常識で考えれば無いと答えますが……実際に在るから今起こっているのでしょうね。」
「……」
アーケディアさんは眉を寄せて何やら思案しながら会場の中心を見つめている。
彼女は何を考えているのか?、こんなものを見て何を得るつもりなのか?私がそんな事を考えている間も『咎問い』は続いて行く……
「いくら何でもこれはおかしい!!」
突然の悲鳴にも似た声、その声により思考に傾いていた私の意識が会場に引き戻される。どうやら突然大声を上げたのは出場者の男性のようで、男性は腹の辺りまで結晶化が進み、対して女性の方は膝の辺りまでしか結晶化していない。私が考えに耽っている間にショーは大分進んでいたようだ。
「おや、どうされました?」
「どうしたもこうしたもない!!こんなのおかしいって言ってるんだ。俺が前に出た時はこんなじゃなかった」
「こんな、とは?」
男性の言い分に黒服は不思議そうな顔をする。
「だから!この『咎問い』ってのに前に出たことがあるって言ってんだ。『咎問い』は罪の軽いヤツが勝つゲームなんだろ!!それなのにさっきからその女より罪の軽い俺の方が結晶化するのが早い。これがおかしいって言っているんだ!!」
黒服は「なるほど」と小さく呟き、次の瞬間震える程の邪悪な笑みを見せた。
「貴方は勘違いをしている。これは罪を問う『咎問い』ではありません。悪魔が罪を問う『悪魔の質問・咎問い』ですよ。そんなに簡単なものではありません。確かに罪の軽重で結晶化の進行速度は変わりますが…どちらの方が結晶化が早いのかはその時次第で変わります。貴方は前回は運が良かったようだ。――しかし、今回は違うようですねぇ」
黒服は出場者の男性と互いの鼻が付きそうになるくらいの距離で邪悪に笑い、周囲の観客からもちらほらと嗤い声が聞こえる。
――本当のショーが始まった。
そんな黒服に気おされてか男性は何も言うことが出来ない。対面でその様子を見ていた女性も顔が真っ青になっている。
「疑問も解決した様ですし、次の質問に写りましょう。第11問目今までの人生で友人を裏切ったことがありますか?」
「あ……あります」
女性が答えた。更に足の結晶化が進む。今度は結晶化の速度が早い、女性は顔を真っ青にさせ状況を凝視する。結晶化は止まらないもう足の付け根まで進んでいる。
もうダメだと女性が瞳を閉じた瞬間、結晶化が止まった。
観客たちは食い入るように女性を見つめている。しかし、それは結晶化した部分を見ている訳ではない、結晶化に怯える女性の表情を見ていたのだ。
――胸糞悪い。
男性はまだ答えていなかった。恐らく自分が不利だと分かったため、女性の結晶化を見届けていたのだろう。一見それは妙手のように見えるが、この『咎問い』においてそれは悪手にしかならない。相手を見てみろ、お前の事を見つめているぞ、早く答えろと、お前はどれほど結晶化するのだろうな、と。
「さあ答えを!!」
黒服も男性を煽る。
「お相手はもう答えました。次は貴方です。さあ、さあ、さあさあさあ、さあ!!」
「……!」
黒服の煽りに周囲の観客たちもボルテージを上げる。黒服と同じように男性を煽る者まで出だした。
追い詰められた男性は、意を決したのかテーブルに強く拳を打ち付ける。
ダァンという音と共に会場全体が静寂に包まれた。
「俺……俺は友人を裏切ったことがある!!」
男性の結晶化が始まった。女性の時とは違って今度はゆっくりだ。ゆっくり、ゆっくりと結晶化が進む。今までとは違う進行速度に男性は助かったと安堵の笑みを笑みを見せる。
「……」
黒服も、会場も、誰もかれもが黙っている。男性はその違和感に戸惑い、困惑し、そして気付き、後悔した。結晶化の進行が止まらないゆっくりとゆっくりと止まることなく進んでいるのだ。
「貴方。やってしまいましたねぇ」
男性はまだ動く上半身をビクリとさせ、黒服を見る。
「嘘を……吐いてしまいましたねぇ。そのまま嘘を吐かずにいれば良かったものを。
いいですか、結晶化は下半身から上半身に行けば行くほど進行速度だけは早くなるのです。それは少しでも死への恐怖が和らぐようにという、我らがオーナーの御慈悲なのです。それを貴方は……あってはならないルール違反を犯してしまった。その遅い進行速度はルール違反に対する罰です。潔くお受けなさい。」
本当に反吐が出る。何が慈悲だ、何が罰だ、あの男は神にでもなったつもりか?
男性は死への恐怖と、自らの行いへの後悔でその顔を引き攣らせている。しかし、いくら後悔しても、いくら願っても、いくら呪っても結晶化は止まらない。観客もその男性の表情を見ながら嗤い、楽しんでいる。
そのおぞましき団欒は男性の結晶化が完全に終わるまで続いた。
男性の結晶化が終わると、黒服はどこからか一つの錠剤を取り出し、結晶化で動けない女性にそれを手渡し、飲むように促す。錠剤を手渡された女性は、恐る恐るその錠剤を飲み込む。すると結晶化していた女性の足が元通りに戻り、黒服は女性の結晶化が解けたことを確認すると、女性の手を取り優雅に立ち上がるように促す。
「さあ!今宵の褒章を受け取る者が決まりました。皆様彼女に盛大な拍手と喝采を!!」
その瞬間会場中が割れんばかりの拍手と喝采に包まれた。
女性の顔はまだ疲労と恐怖が抜け切っていなかったものの、小さな笑みが見て取れた。
「空座さん……」
アーケディアさんの顔は真っ青になっていた。この光景は優しい性分の者が見るには厳しすぎる。
「アーケディアさん、大丈夫ですか?」
「……私は大丈夫です。それよりも褒章と言うのはまさか……」
「御想像の通り、結晶化した相手そのものです。結晶化した人間はこの饗宴の参加者に多額で売れるんです。ほら、他の黒服たちがせわしなく動いているでしょう。これからそのオークションが開かれるのですよ」
「そんな……」
アーケディアさんの顔がより一層に青くなる。
「アーケディアさん、やっぱりここを離れましょう。これ以上は見るもの等ありません」
「で…でも……」
ええい、こうなったら力ずくだ。
私は席を立ちアーケディアさんの手を取り、無理やり席から引きはがす。
「行きますよ」
「あっ」
アーケディアさんを引きずるように出口に向かう。
かなり無礼な真似をしているがそれはここを出た後でいいだろう。出口まであと少しだ。
流れるように過ぎる景色。瞬間、私の目の端に見たくない者が写り、反射的に体が止まってしまった。
「あら?空座先生、こんなところで会うなんて奇遇ですね」
声のした方を向く。そこにはあの女がいた。白い髪に白い肌、整った顔立ちに金色の瞳が特徴的な女。
「私は忙しいんだがね。クチナシ」
クチナシは微笑む。
「久しぶりに逢えたのにそんなこと言わないで下さい。わたし、悲しくなっちゃいます」
そんなことを言いながらもクチナシの微笑みは崩れない。
「私と会ったところで話すことなど何も無いだろう」
「そんなことありません。空座先生お得意の雑談があるじゃないですか」
「お前と話す雑談などない。前にもそう言ったはずだ」
「あら酷い。空座先生は本当に私のことが嫌いなんですね」
「苦手なだけだ」
「あら優しい。だけどそんなことだから貴方は駄目なんですよ」
駄目、そんなことは分かっている。
「割り切れないから何時までたっても『ブリリアント無留間』から出られない。だから今のように嫌な仕事を引き受けてしまうんです」
いつものようにクチナシは解ったような口を利く。
「五月蠅い、話は終わりか?それなら私はもう行くぞ。私はこの人を一刻も早くここから連れ出さなくてはならないのでね」
「そうですか」
そう言ってクチナシはアーケディアさんの方を見る。
「貴方……面白い。面白い方ですね」
不味い、何を考えているのか分からないがこいつと話させるわけには行かない。
気は進まないがこいつの注意を逸らす必要がある。
「……クチナシ、ここに来るのは良いがお前の探し物はここには無いぞ」
クチナシは私の方を見る。微笑みはそのままだ
「――そうまでして私と話させたく無いんですね。良いでしょう貴方に免じてここまでにしておきます。」
「行きましょう」
そう言ってアーケディアさんの手を引いてエレベーターまで一直線に進む。
「空座さん、今の方は?」
「気にしないで下さい、ただの知ったかぶりの嘘つきです」
その後は何事もなくエレベーターまで行くことが出来、無事に仕事を終えることが出来た。アケディアさんには別れ際まで申し訳なかったと謝られたが、私も彼女に何度も失礼を働いたのでお相子だと言ったら笑ってくれた。
今回の仕事は相変わらず最悪なものだったが、良い出会いがあったと思って気にしないことにする。
これで今請け負っている仕事は全て終わりだ。