しごと まえ
2022/03/25 本日は3話更新です。
「空座嬢、お仕事です」
開口一番、糞オーナーは私がいつものようにラウンジで紅茶を嗜んでいるところに現れてそう言った
「は?」
至福の時間を壊された私は、不快であることを隠すことなく態度に表す。
「やれやれ、空座嬢は虫の居所が悪いようだ。しかし空座嬢、これは契約に基づいた貴方の義務です。それは分かっておられますね?」
以前から言っているが私、空座常世は無職である。しかし、それは私が日頃から何もせずゴロゴロしていると言うわけではない。
今回のように糞オーナーからの仕事を請け負うことで「ブリリアント無留間」に住まわせてもらう、という契約を結んでいるのだ。
だからこの仕事は断れない。人間社会で生きていくことの出来ない異常な私にとって「ブリリアント無留間」という異常な場所は唯一の安住の地であるのだ。
「そんなことは言われないでも分かっている。それに私が機嫌が悪いのはいつものことだろう?」
「それもそうですね。では、仕事は受けて貰えるのですね」
糞オーナーは私の嫌味など気にした様子もない。というよりも気付いてすらいない。
「いちいち聞いてくるな。アンタからの仕事は断れない。さっき自分でもそう言ったじゃないか」
「念のため、というやつですよ。これは大事なお仕事ですからね。もし貴方の体調が悪いようなら後日にすることも出来ます」
「私の体調が悪いように見えるか?」
「いいえ、全く」
いちいち癇に障る奴だ。これ以上こいつと話すとどうにかなりそうになる。さっさとその大事な仕事とやらの内容を聞くとしよう。
「なら聞くな。で、仕事の内容は?」
「今回の仕事の内容は簡単です。あるお方をあそこに案内して欲しいのです。」
「あるだのあのだのいまいち分からない説明をするな」
「これは失礼、その方が面白いと思いましてな。――あるお方と言うのはとある会社の御令嬢、と言うことにしておきましょう。名前は…そうですねアーケディア様です。」
「要するに名前も正体も明かせない、ということだな。分かった。それで場所は?」
「ここの晩餐会会場です」
「なっ!あんな場所にか!?」
「あんな場所とは心外ですね。あの晩餐会場は美味な料理と素晴らしいショーを楽しめる私作の最高の場所ですよ!!」
「その最高の場所でのショーに問題があるんだ!!」
思わず言葉が荒くなる。何が素晴らしいショーだ!?あんなもの――
「――貴方がそれを言いますか?」
一瞬、糞オーナ目が私のことを嗤っているように見えた。
――そんなこと分かっている。だがな
「私はあれを楽しいと思ったことなど一度もないし、これから先もない!!あんな…あんなもの……」
様々な感情が交錯し上手く言葉が出てこない。糞オーナーの奴はそんな私を見てもいつもの楽し気な表情を変えることはない。
「兎に角、空座嬢これは仕事です。今夜の9時にまたここで会いましょう。その時に――アーケディア様お連れ致しますので」
「……」
「それでは、また今夜」
そう言って糞オーナーは私の前から立ち去って行く。
最悪だ。あんな場所、二度と行くまいと思っていたのに……
午後8時50分、心と諸々の準備を済ませた私は、ラウンジで糞オーナーとその客人を待っていた。
「おや?どうやらお待たせしてしまったようですね」
「たいして待ってなどいないさ」
「それは良かった。――それにしてもその恰好、とても良く似合っていますよ」
「お世辞として受け取って置くよ。」
「私の率直な感想なのですがねえ」
「お世辞として受け取ると言った」
「それは残念」
私の恰好を見た糞オーナーからの感想。今の私は黒色のドレス姿をしている。晩餐会にはドレスコードがあり、それに合わせた恰好というやつだ。
「それでアンタの後ろにいる人が例の客人か?」
「ええ、そうです。――アーケディア様。、こちらの方が今夜貴方様の案内を勤める空座嬢です」
「――そうですか」
そう言って前に出てきた客人の姿を見て、私の時間が止まった。
驚いた。この世にこんなにも美しい人がいるなんて。髪も、眉毛も、まつ毛も、目も、鼻も、首も、胸も、唇も腕も足も指先も、頭の天辺からつま先まで、各部位、どのパーツをとっても美しい――むしろ神々しいとすら感じる程の美。
「今日はよろしくお願いします」
「……」
優雅に会釈したその姿も美しい。この女性は本当にこの世の者かどうかを疑うレベルの美しさを持っている。正に美そのもの、あのラフタリアがへりくだるのも納得でき……
「コホン」
ハッと我に返る。
「空座嬢。魅了されるのも分かりますが、アーケディア様に失礼ですよ」
「すっすまなない……」
思わず糞オナー相手に素直に謝ってしまった。
「謝罪はアーケディア様に」
「あっ…ああ、そうだったな」
油断したらまた吞まれる。しっかり気を持たねば。
「すいませんでしたアーケディアさん、私が今回案内役を務める空座常世と申します」
「貴方がああなることはラフタリアから事前に説明を受けています。ですからお気に無さならないで下さい。――空座さん、改めて本日はよろしくお願い致します。」
それならば私にも事前に説明して欲しかったのだが……ああ駄目だ、奴はこの状況を楽しんでいる。言うわけがない。
「挨拶も済んだようですし、私はここで失礼させていただきます」
「ちょっと待て、このままラフタリアさんをあそこに連れて行ったら騒ぎにならないか?」
「その辺りはしっかりと対策していますよ」
だったらその対策を私にもしておけよ、と思ったが先程の態度からしてあえてしなかったのだろう。本当に腹が立つ。
「そうか、分かった」
「ラフタリア。ここまでありがとうございました」
「いえいえ。空座嬢、アーケディア様をよろしくお願いします」
「分かった。」
「では」
そう言って糞オーナーはラウンジを出て行った。
「それではアーケディアさん。これから晩餐会会場に案内いたします」
恭しく礼をする私に、アーケディアさんは優雅なお辞儀で返す。
「よろしくお願いします」
「ブリリアント無留間」の晩餐会上は地下にある。
そこで私はアーケディアさんを連れて晩餐会会場に繋がるエレベーターの前まで来ていた。
「このエレベーターで晩餐会会場に向かいます」
「そうですか」
エレベーターを前にしてアーケディアさんの表情には若干の緊張が見て取れた。
「アーケディアさん、一つ質問してもよろしいですか?」
「ええ、構いませんよ」
「アーケディアさんは晩餐会で何が行われているのか知っているのですか?」
「……はい、大まかに、ですが」
「では、なぜそんなものが見たいと?私には貴方があんなものを興味本位、ましてや楽しむため、と言った理由で見に行く人物似は思えないのですが」
「理由……そうですね、役目のために知って置かねばならないから、でしょうか?」
「役目…ですか」
「はい」
アーケディアさんは苦悩とも懊悩とも付かない何とも言い難い表情をしている。
役目……あんなものを見ることが必要な役目とは何だ?気にはなる…気にはなるがそれを聞くことは私の生き方に反することだ。それになんとなくではあるがその役目は知ってはいけないような気がする。
そう思案しているとエレベータの到着音が鳴った。どうやらアーケディアさんとの雑談はここまでにした方が良いようだ。
「エレベータも着きましたし行きましょうか」
「はい」
先に私がエレベーターに乗り込み、アーケディアさんが乗り込むのを待つ。
アーケディアさんは乗り込む直前に一瞬だけ逡巡しエレベータに乗り込んで来た。
私はそれを確認するとエレベータのボタンを押した。扉が閉まる。一瞬の浮遊感、
そしてエレベータは晩餐会の会場まで堕ちていった。