けしょう
化け物、と聞いて諸君らはどのような存在を想起する?
この世の者ならざる異形の者、はたまた分かり易く幽霊や妖怪、未確認生物といった存在だろうか。
これらの者達に共通している点と言えばその存在事態が不確か、という点だろう。 しかし、この世には化け物と呼ばれる存在が確かに存在する。
今回の話はそんな化け物――化生についての話だ。
まったく未だに腹が立つ。折角の紅茶の味も分からない。怒りの理由はもちろん前回のことだ。何が善意だ、何が楽しめそうだったから、だ!
「人が死ぬ直前の体験映像を見て喜ぶほど私は倒錯した人間ではない!!」
静謐なラウンジ内に、乱暴に打ち付けられたティーカップの音と、私の怒声が響き渡る。しまった。私としたことがなんて粗相を、ここは公共の場だぞ。
「あらあら常世先生、こんな朝早くから大声なんか出したりして、どうかなさましたの?」
私の体がビクリと跳ね、羞恥のあまり顔が熱くなる。声からしておそらくあの人だ。
これ以上の醜態を見せるわけにはいかない。失礼だが顔を伏せたまま対応しよう
大丈夫。これぐらいの無作法ならあの人――国広切子さんは許してくれるだろう。
「し、失礼しました。これはとんだ醜態を晒してしまいました」
「確かに少しびっくりしたけど、貴方はまだ若いんですもの、気にするほどではないわ」
「お心遣い痛み入ります」
なんか最近人に気を遣わせすぎじゃないか私。それもこれもあの男のせいだ……
なんかまたイライラしてきた。いかんいかん今目の前にいるのは切子さんだ。あの男じゃない。ここは冷静に、冷静に、そうだここは紅茶でも飲んで――
「だけど、いつもは冷静な貴方があんな大声を上げるなんて、珍しい所が見れて得
しちゃった気分だわ」
切子さんの茶目っ気たっぷりのからかい言葉に折角下がりかかった顔の温度が再び急上昇。そして紅茶は気管に入る。
「ゴホッゴホ……からかわないで下さい。」
「あらあら、ごめんなさいね。可愛くってつい」
可愛い!?この私が!?……いやいやいや、それはない、断じてない!
自慢することではないが、私は恋愛がらみで異性から声を掛けられたことはないのだ――まあ、同性からにならあるが。このお茶目さんめ。
「はっはっは。お世辞として受け取っておきますよ」
「あら?本当のことなのに……ところで常世先生。大声の原因はやっぱりオーナーさんが原因なのかしら?それともあの子?」
瞬間、あの女の顔が頭を過る。いつも薄っぺらい笑顔を貼り付けて、薄っぺらい言葉を遣う女。私が一番嫌いな人間。奴の顔を思い出すだけで顔の熱が一気に下がる。
「あの女は関係ありません。」
思わず、発する声の温度まで下がってしまう。
「あら、それじゃあオーナーさんが原因なのかしら?」
私の冷たい声を気にした様子もなく――というよりもあえて無視してくれたのだろう。切子さんはそれが出来る人だ。また余計な気を遣わせてしまったな。
「そんなところです。」
「まあ!本当に困った人ね!今度会ったら一言言って上げないとだわ。いくら善意と言っても押し付けてしまっては不況を買いますよって」
是非ともそうして欲しい。切子さんの言葉ならあの男も少しは――いや、
「あの男にとっては耳にタコでしょうけどね」
「そうでしょうね。あの人ったら私が何度言っても「次は気を付けますとも。」って、あれは意味が分かってないわね。もう!一体どう伝えたらいいものかしら」
その声から、プリプリと可愛らしく怒る切子さんの顔が容易に思い起こせる。
そんな彼女の顔を想像したら自然と笑みがこぼれ出た。本当にこの人には頭が上がらない
――そう言えば顔を伏せたままだったな。顔の温度も落ち着いたし、これ位以上の無作法は切子さんに悪い。そろそろ顔を上げよう。
「ありがとうござ……。」
言いながら顔を上げた私は、時が止まったかのように完全に固まってしまう。
国広切子さんは例に漏れずこのマンションの住人の一人で、有名な資産家の妻である。 性格は穏やかでいつも柔和な笑顔を浮かべ、資産家の妻であるにも関わらずそのことを鼻にかけたり、派手に着飾ったりすることのない素敵な初老の女性だ。
しかし、今私の目の前にいる人はどうだ。確かにいつものように穏やかな笑顔浮かべている。が、しかし、これはどういうことだ?いつもの5割増の化粧に年齢に合わない派手なドレス。極めつけは豪奢にも程があると言うくらいのアクセサリーの数々。これではまるで金満糞婆そのものではないか。
失礼、ショックのあまり言葉が乱れた。とにかく、これは理由を問わなければ。
「切子さん、その恰好は……」
「やっぱり常世先生も気付かれます?今日は10年ぶりの同窓会でね。いつもより張り切っておめかししちゃったの。――常世先生はどう思います」?」」
どう?って、まるで金満糞婆みたいですね。なんて言えるわけないだろう!!張り切るにもほどがある!!
これでは切子さんの同窓生にあらぬ誤解をあたえてしまう。幸い時間はまだありそうだし、ここは私がしっかりと指摘……ああ!駄目だそれは私のモットー『雑談する仲、これ、大事』に反してしまう。一体どうすれば――そうだ!
「常世先生?」
無理のない笑顔。無理のない笑顔。無理のない笑顔。無理のない笑顔!!
「しゅ、しゅてきだと思います」
なんで正直に言わなかったんだ私!!今のは明らかにチャンスだろうが!!死かも甘噛みしてるし!!
「ああ良かった。久しぶりにおめかししたものだから少し不安だったの。実はここにきたのも誰かに見立てしてもらいたかったからなのよ。これで安心して同窓会に行けるわ」
ほらもう取り返しがつかないことになった!!これじゃあ私が切子さんにゴーサインを出したようなものじゃないか。
いや、待てよ……そうだ!責任を取る必要が出来たんだ!!ならば――
「ところで切子さん雑談をする程度の時間はありますか?」
「時間?それならまだまだ余裕はあるし、全然大丈夫よ。」
そう言って切子さんは私の向かいの席に腰掛ける。よし!どうにか首の皮一枚で繋がることが出来た。後はどう気付かせるかだ。
「そうですか、それじゃあ化粧の話なんかどうです?」
「あら、常世先生がお化粧の話なんて、珍しいこともあるのね。――もしかして、意中の人でも――」
「そんな人はいません!」
危ない、恋バナに話が移されるところだった。
「あら残念。それならどうしてお化粧の話なんかするの?私と貴方では年齢もだいぶ違うから使っている化粧品も違うでしょう?」
中々に痛いところを突かれたが、ここは強引にでも話を貫き通すところだ。
「特に理由はありません。これはただの雑談ですから。それで話を戻しますけど、切子さんは化粧と聞いてどんなものを思い浮かべます。」
「そうねぇ、やっぱり化粧品とかお化粧をしている人のことかしらね」
「そうですね。確かに大半の人はそう思うでしょうね。」
「それじゃあ常世先生は違うの?」
「もちろん私も化粧と聞いたら切子さんと同じように化粧品や化粧をした人の事が思い浮かびます。だけどそれ以外にもう一つ、化生のことが思い浮かぶんです。」
「化生って……あのお化けとか、妖怪の?」
「そう、とも言えますし、違う、とも言えますね。ほら、20年位前に若い女の子達の間で流行ったファッションがあるじゃないですか。ヤマンバギャル。」
「やまんばぎゃる?」
「あったじゃないですか。肌を黒くした女の子が髪を極端に脱色した上で過度な化粧をして派手に着飾るファッション。思い出せませんか?」
「ああ!確かにそんな子達を見かけた覚えがあるわ。常世先生もよくそんなこと覚えていたわね。まだ小さかったでしょう。」
「それだけ印象に残ったと言うことでしょう。」
本当は別の理由があるのだが、それは語る必要のないことだ。
「確かにそうね。あれを小さい頃に見たら忘れられないかもしれないわ。」
「伊達に山姥の名を関している訳ではない、と言った所でしょうか。」
「ああ!それで化生。」
「そうです。あまりに過度な化粧は、時として化生を連想させる。あのファッションはその典型的な例ですね」
「過度な化粧――」
言うべきことは言った。後は切子さんが気付いてくれるかどうかだが。
「常世先生、私急用を思い出しちゃった。同窓会もあるから今日はここで失礼するわね。」
「分かりました。同窓会、楽しんできてください。
よかったどうやら気付いてくれたようだ。
切子さんはソファから立ち上がると足早に立ち去ろうとするが、突然くるりと私の方を向いた。
「常世先生、最後に私から一言いい?」
「?なにかありましたか。」
「御忠告、ありがとうございます。ちょっと回りくどかったけど、これで安心して同窓会に行くことが出来るわ。」
切子さんは再びラウンジの出口に向かって歩き出す。どうやら全部ばれたらしい。
まあ無理もない、私も少し焦っていたしな。
さて、今回の〆だ。過ぎたる化粧は時として化生を連想させる。中々に面白いと思わないか?それとも化粧から化生を連想すること自体があり得ないと嗤うかい?
まあそこは人それぞれだ。しかし、最後にこれだけは言わせてくれ。化生は実在しないのかもしれない、しかし、化生のような人間は間違いなく存在するぞ。
それでは次の機会にまた会おう。さようなら。
2022/3/3一部の修正を実施しました。