うわさ うしろ と
「やっぱ分かってた?」
「分かってたも何も花咲は私の事を探していたじゃないか」
「そうだよね。――ただの愚痴になるけど良い?」
花咲は申し訳なさそうに尋ねるが、私はそんなこと気にしないと言わんばかりにいつもの笑顔で答える。
「愚痴も雑談の内さ、話してごらん」
「常世ちゃんのそういうとこ好き」
「残念だけどその気持ちには答えられないよ」
「そういうところは嫌い」
互いに笑い合う。本当に花咲は良い子だ。本当はこんなことを思ってはいけないのだろうが、何かしてあげたいという気持ちになる。
「それで愚痴なんだけど、この間さ事故があったじゃん」
嗚呼、それは知っている。嫌と言う程に……
「ベランダからの落下事故だろう。確かベランダの柵によじ登った男の子を助けようとした父親が誤って落ちたっていう」
不幸中の幸い、男の子の方はリビングにいた母親が助けたが、男の子と一緒ベランダにいた父親は足場の悪い状況での作業で、男の子を助けようとした瞬間足をすべらしてしまった。
「痛ましい事故だよ」
誰も悪くない事故だ。だがこういう事故は当事者たちにとっては一番厄介なものになる。
「うん……その事故があった家族っていうのがね、丁度私のお隣さんなんだ、付き合いもあってねだから余計に……」
「心中察するよ」
「ありがと。でもあーしがはなしたいのはそこじゃないんだ。この事故ってさテレビだけじゃなくてネットニュースとかにもなったでしょ」
私はテレビとかをほとんど見ないからそういったことは分からない。しかし、ここは悪目立ちするマンション「ブリリアント無留間」だ話題に飢えていたのならばそういうことにもなるだろう。
「それでね、そのニュースを見た人たちがね、噂するんだ。子供をなんでベランダに来させたのか、本当に事故なのか、自殺じゃないのか、もしかして奥さんが殺したんじゃないのかとか。何も知らないくせに。あの子は5才なんだよベランダに鍵をかけたって開けて入っちゃうよ。あんなに幸せそうなのに自殺なんて、ましてや殺人なんてするわけないじゃん。何も知らないなら適当なこと言うなよ!なんで残された家族が見たらどう思うか考えないんだよ!!なんで何も知らないくせに残された家族を攻撃できるんだよ!!」
それは悲痛な叫びだった。花咲の性格上、余計に腹立たしく、悲しく感じたのだろう。
涙を流しながら肩で息をする花咲。私は花咲が落ち着くのを待ってからハンカチを渡す。
「少しは気が済んだかい?」
「……うん。常世ちゃん、こういうのは準備してるんだね」
「大人の嗜みだよ」
「よく言うよ」
花咲は私が渡したハンカチで涙を拭く。
「それでね花咲、残念だけどこういった根も葉もない噂っていうのは決して無くならないんだよ」
「それはあーしも分かってるし。噂している人にとっては関係のないことだし、言ってる本人だって必ずしも悪意があるわけじゃないし、それでも……」
「そうだね、花咲にとっては今回の事は対岸の火事ってわけじゃない。だからわかってても腹が立つし、悲しくもなる」
「あーもうなんで私がこんな関係の無い奴らのせいで腹が立って、泣きたくなって、傷つかないといけないんだっつーの」
「本当にね。だから花咲、君は残された奥さんにこう言ってあげるんだ。私達は真実を知っている。真実を知らない奴らの妄言なんて気にするな、度が過ぎた妄言は訴えてやれって」
私が悪戯っ子っぽくそう告げると、花咲はキョトンとした顔になり、やがて気まずそうな顔をする。分からないと思ったのかい?
「やっぱりバレてた?」
「何がだい?私は花咲の愚痴に付き合っただけだよ」
それに花咲が感じた感情も本当のものだろう?とは口に出さないけど。
「あーし常世ちゃんのそういうところ好き」
「残念だけどその気持ちには答えられないよ」
「そういうところは嫌い」
また互いに笑いあう。ひとしきり笑いあうと花咲は「よし!」っと気合い入れて立ち上がる。よかった。元気を取り戻したみたいだ。
「常世ちゃん、一緒に行こ」
「どこにだい?」
「献花。お葬式には行ったけど献花はまだしてなかったからね」
正直面倒くさい。だが、今回の件に関しては私も関係者とは言えなくもないからね。
「そうだね。丁度私も行こうと思っていた」
立ち上がった私はふと思い出す。――そうだ。
「花咲先に行っててくれないか、私は用を足してから行くよ」
「女子ならお花摘みに行くっていいなよ常世ちゃん」
「今時女子だってそんな言葉使わないよ」
「用を足すよりマシですー」
そう言って花咲はラウンジから出ていく、さて私は最後の〆だ。
「対岸の火事を見るのは楽しいかい、確かにそういった気持ちが分からないとは言えない。しかし、根も葉もない噂を流す奴は嫌いだ、火っていうのは根が無くても、葉がなくても、なんなら枝でも幹でも紙でも空気でも、大体の物ならなんでも燃える。必要以上に大きく燃える。気を付けたまえ。いずれは対岸の火事ではすまなくなるよ」
それから直ぐに彼女達は件の事故現場を訪れ献花をし、故人の冥福を祈った。
すると彼女達の後ろに一人男が近づいて来る。
その男はいかにも英国紳士といった風体の30代半ばの男だった。
どうやらこの男も「ブリリアント無留間」の住人らしく、常世達と目的は同じく献花に訪れたようだ。
「あ、オーナーさんだ」
男の存在に気付いた花咲は男をオーナーと呼ぶ。どうやらこの男が「ブリリアント無留間」オーナーらしい。
「こんにちは。姫野嬢に……これは珍しいこんにちは空座嬢」
常世は答えないどうやら虫の居所が悪いらしい。
「こんにちは。オーナーさんも献花ですか?」
「はい、今回の事故は非常に痛ましいものでした。人を楽しませることが生きがいの私としては残念でなりません」
「は、どうだか」
そう悪態をついたのは常世だ。
「空座さんどうしたのですか?」
「そうだよ常世ちゃん急にどうしたの?」
急に悪態をつく常世を心配したのか花咲は常世のシャツの袖を引く。
「すまない花咲、先に帰っててくれないか?」
「なんで?常世ちゃんちょっとおかしいよ」
「お願いだ花咲」
悲しそうに懇願する常世に根負けしたのか花咲は「ラウンジで待ってるね」とだけ言ってその場を離れた。
「よかったのですか?先に帰して」
「あんたには関係ない。それよりもまず黙らせろ。」
常世のその声には明らかに怒気がこもっていた。
「なにがですか?」
男は常世の怒気を物ともせずとぼける様な素振をする。
「いいから黙らせろ!」
そんな男の態度が気に障ったのか常世の語気は更に強まる。
「わかりました」
「それで私に何かご用ですか?」
「今回の件お前の仕業か?」
「事故の件――」
「とぼけるのも大概にしろ!!分かっているだろう」
「見せた件ですね。私としては良い余興になると思ったのですが、空座さんはお気に目さなかったようですね。」
「あんなものを喜ぶ人間はいない」
「そうですか、それは勉強になりました。せっかくの善意も嫌がられては意味がないどころか不況を買いますからな」
「分かったのなら二度としないでくれ。――あといいかげんに閉じてくれ」
「承知しました。これでよ……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
2022/3/3一部の修正を実施しました。