2 街の賑わい
名もなき草原に咲く 2
面白味のない退屈なあの場所から、やっとの思いで抜け出してきた。
賑やかな暮らしと仕事を手に入れて、多くの友を作り幸せな家庭を築くんだ。
街へと向かう俺の心の中は、生まれて初めて夢を描き出していた。
◇
名もなき草原。
「なぜ名前がないのか? 否、それこそが呼び名なのだ」
あの草原を庭先とし、周囲にあった新緑の森や高台は、なでらかな草原の坂道で連なっていた。広大な大地は清涼感あふれる緑色で覆われていた。
まるで天空からの呼びかけに緑の大地が呼応して、次々と地上にあった土塊たちが、上空へ向かい競りあがって出来た様な、アスレチックワールドに仕上がっていた。
体力づくりに適した申し分のない恵まれた環境に運良く出会った。
「初めて見たときは胸が躍り、身体も自然と弾んだものだ」
やがて一年が過ぎ、二年が過ぎた。野山を駆けまわり土地鑑に明るくなった。
これと言って天敵も見当たらず、天下を取った気分だった。
「おはようからおやすみまで目の保養は尽きず──」
清流の水源も、そのまま様々に競り上がった大地に線路の様に張り付いて、涼しい顔で途切れる事も知らずに神秘的に流れ続けている。
地上から上空へ、上空から地上へと生き物の様に流水の橋が縦横無尽にかかっていた。そこから大地の窪みに向かって流れ落ちていく様は、人の目にはオーロラを連想させる、水のカーテン。
酒を酌む盃の如くになみなみと湛えられた滝壺は、いつも銀箔の輝きにも似た水飛沫を上げて、その秘められた幻想的風景の描写に拍車をかけていた。
「──日ごと、鼓膜に広がる水源音が睡眠の質を良くしてくれた」
流れ者だったこの俺は、この地に辿り着くまでは、身も心も荒んでいた。
快適な暮らしを手に入れて大自然と語り合い、生き抜く知恵と力を授かった。
やがては、そんな気持ちになるまでに回復していた。
しかし、さらに時は過ぎて鳳凰の舞う天空も、神秘を奏でる清流も、突き出た大地の起伏が纏う緑園の捕薬も、最早すべてが俺にとっては砂上の楼閣に過ぎなくなっていた。
彼の地に移り住んで何年の時が過ぎたことだろう。
「退屈で仕方なかったのだ──」
生きて行く環境としては申し分ない。食い物にも事欠かない。
だが人里離れた寂しい領域。
この場との出会いの何年かは放浪の身分だった俺には天国にさえ感じた。
「だが住めば都」そんな言葉がいつまでも心の支えとはならなかった。
未だ謎に包まれている部分もある。洞穴の奥で所狭しと繰り広げられるファンタジーライフを満喫させる太古の氷壁群が織り成す地下迷路。入り組んだ最深部は氷点下。
目的もなく進んで良い場所ではない。
凍え死ぬのが落ちである。
草原にも人影はあった。確かに訪問者もいた。
森に実った豊富な栄養源と清水を採集しては帰って行くだけの見習い商人が時折、姿を現していたり、氷壁の洞穴に冒険者たちが肝試し程度に現れていた。
寂しいからと言って訪問者の前に姿を現して挨拶をするなど許される筈も無い。
俺が生まれ育った国はここではない。遠い遠い場所だ。いくつも海を渡った記憶の欠片ならまだある。
記憶の欠片をいくら集めても、決して俺が帰りたい理想郷には辿り着かない。
それは痛みと恐怖の記憶でしかないないからだ。
◇
世界は広い。
様々な人種もいれば、種族もいる。
人間種が世界の50%を占めている。
その他、エルフ種10%。ドワーフ種10%。巨人種3%。動物種5%。
神種0.1%。魔族種15%。ゴブリン種5%。妖精種0.1%。未知種0.8%。
といった所だ。
これらの種族には不思議と皆、言葉の壁はない。
だが、動物、神、妖精、魔族、ゴブは人間種とはかけ離れた容姿。
その為に人間界に交流があるのは、エルフ、ドワーフ、巨人ぐらいだ。
世界は人間が統治している。
全種族の合計世界人口は推定だが、1兆人。
交流がなくても全てが拒絶の対象でもない。
人間にも悪人はいる。
人間は種族間差別をなくそうと働きかけている者もいる。
人間の街の冒険者ギルドの最高幹部には神種がいて、他種族がギルド利用をする際、差別が生じない様に他種族に姿を変えてくれるシステムが設置されているそうだ。
ただ逃亡者や罪を犯した者は、後で発覚した時、罪は全て終身刑になる。
後で発覚するとはどういう事か。
ギルドの窓口では特に審査はなく、必要事項を用紙に記入するだけで利用できる。
犯罪の有無は通常、被害届による警備隊の調査で明らかとなる。
それとは別に罪の有無や、本来の姿までスキルで検問し、証明する存在が居る。
それがギルド所属で神種に当たる、【聖女】という存在である。
警備兵の調査など恐れるに足りない。
聖女は他人のステータスを覗き視できるらしくて、種族までを見抜く【タチヨミ】というスキル持ちである。
決して出会うべき人物ではない。
それは何故か。
俺は魔物なのだ。
例の名もなき草原で羊飼いの少年を襲って、追いはぎをしたのだ。
衣服を奪い、パンツ一丁にして金貨5枚も奪った。
金貨1枚あれば、酒場で飲み食いしても10日は遊んでいられる額だ。
転職時にいくらか登録料が要るらしいが、金貨ひとつでおつりがくる。
ついに俺は、街の酒場までやってきた。
彼の地から、徒歩で8時間もかけて、生まれて初めて人間の街に入った。
酒場の地下にあるという、冒険者ギルド。
このギルドは冒険者のみならず、人間と共存することを目指した者の為に設置された役所の機能も兼ねて居るのだ。
ここまで来れば、一安心だ。
「何と言っても、聖女ってのが居るのは王都だけだからな」
聖女は、一つの国に一人居るか居ないかという希少な存在らしいのだ。
それぐらいの知識がなけりゃ、人間種の仕事に転職して生きてはいけない。
酒場ってのは本当に活気に溢れていて、アットホームで賑やかな所だ。
「あー、喉が渇いた。ビールの一杯ぐらい飲んでも罰は当たらねえよな」
駆けつけ一杯だ。
転職【ナリスマシ】はそれからでも遅くは無いだろう。
その様なことを頭に浮かべて酒場中の空席にゆっくりと視線をやった。