1 トレジャーハンター
名もなき草原に咲く 1
長年、草原暮しで孤独を味わい続けていた若い主人公が、そのまま人知れずに埋没して行くだけの虚しい人生からの脱却を図り、また、人々の前からその姿を消すまでの人生録を書き残し、一冊の本にした。その記録書に主人公が、最後に付けたタイトルが「名もなき草原に咲く」である。
この書に記された物語を主人公視点で紹介していくものです。
※主人公視点でない説明は、この米印をつけています。
◇◇◇名もなき草原に咲く◇◇◇
「少し、湿った風が出て来たな……」
名もなき草原。
そこに未だ誰も名を付け、呼ぶ者は居ない。
広大な大地に緑が深々と生い茂っていた。
自然に出来た土地であった。遠くにむき出しの岩肌が続く高い崖も垣間見えた。
「自然発生した霧だろうか……」
遠くの岩場の天候に陰りが見えて来た。
大木もあり、丘もあり、森林もあり、澄んだ川も、池もあった。
都会暮らしに慣れた人間の介入があったなら、目の保養に欠くことは無く、足を止め、深呼吸をして見渡す限りの新緑の美しさに我を忘れ、きっと時を忘れるに違いない。
自分がいつもそうだから。
名もなき樹木と咲き薫る花々、甘い蜜の匂いに色とりどりの果実の存在に気付けば、天然の食糧庫と言わざるを得ない自然の宝を独り占めしたくなる。かと言って、
「何処にも持って行けやしないのさ」
山から崩れ出したのか、所々に大小の苔むした岩が居座っていた。
この辺りには、特別な神聖な建造物はない。人工物が無いと言うことだ。
もっとも、自然に開かれたであろう洞穴はわりとあり、点在している様だ。
洞穴は悠久の時を経て創られた鍾乳洞の様で、地下世界への入り口でもある。
だからと言って、捜索において何の準備もせず、手ぶらでこの地を訪れる馬鹿も居ない。
学者なり、冒険家なり、それなりの道に詳しき者と団体で足を運ばねば、現地には未知なる生物も数多く生息しているのだから。
川の水が澄んでいるとは言え、海から入り込んだのか、ウツボの様な奴、海蛇の様な奴、ピラニアみたいな凶暴な奴、様々だ。
「──の様な奴、みたいな奴。……そうじゃ無いのかよ」
それらの表現は時折すれ違う人間たちの会話から、そう記憶している名だ。
人々の噂話に出て来るが、俺にしてみれば、凶暴性などとは無縁に思う。
森の奥にも如何なる野獣がどれだけ棲んでいるかは未確認だが。
岩山の上には原始的な住居の廃屋がうかがえる。
太古からの蛮族なる者達かも知れぬ。丘の上も神秘的な緑に包まれていて、空から、轟く雷鳴にも似た奇声を発する巨大な野鳥を目撃したこともあった。
天候が瞬く間に一変して、嵐でも吹き荒れるかと冷汗をかいた。
足元で輝いていた大地を大きな暗雲が覆い尽くしたと思い込んだからだ。
恐々と空を見上げるまで、それが翼を広げた鳳だとは気づきもしなかった。
「俺も長年、この界隈をねぐらにして彷徨ってきたが」
空の覇者と呼ぶか、悠久の主と呼ぶかは、俺が決める事では無いが。
そんな奴等を俺は時折目にして来た。
その時ばかりは、この身を震わせたものだ。
ここは、人の手が未だ及ばぬ未開の地と言った所だ。
足しげく通い詰め、目ぼしい物を持ち帰れば貴重な戦利品となる。
戦闘は無益だ。持ち物を差し出せば命を取られないという保証などない。
だが言うなれば、今の俺は、
「トレジャーハンターなのだ」
護身用の短剣ぐらいは所持しているが、戦闘用ではないのだ。
運が良ければ、くたばる寸前の珍獣の角や皮を剥いで帰れるからな。
「ふう。今日は、ミリオンハーピーの尾を十本、入手してやった」
こいつは、ハーピーの中でも希少種のベスト3に入ると言われている。
大きな街でさばけば、一万ゴルドは下らない代物だ。
Gは世界共通の最小通貨の事で、一万Gなら、銀貨一枚に換金できて手軽に貯金ができる。
多くの人間は細かいGより、銀貨や金貨を好むと聞く。
「小銭より、銭の塊の硬貨は手軽で便利そうだが、落とすとその落胆は半端ない。俺はGの方が好みだが」
戦利品は全て、誰も近づけない秘密のねぐらに持ち帰り、いい値でさばける時が来るまで、大事に貯め込んでおくのだ。
ここで数年の間、この様な暮しを続けて来た。
「──まるで、ゴミ屋敷」
俺の秘密のねぐらを訪ね、見る者が居たなら、きっとその言葉が第一声になる事くらいは容易に頭に浮かんで来る。
※しかし、そんな場所にある日、事件が訪れたのだ。
「ま、まさか……人の子なのか? しかも、たった一人で?」
それは、まだ小さな男の子だった。
俺はその時、少し高台に居て、その様子を眺めていたのだ。
少年はのんきに鼻歌なんかを歌っている様だった。
折れた木の枝を片手に、遠足にでも来ている気分でいるのだろうか?
身なりは羊飼いの様だった。羊を連れていた訳ではないが。
胸元に羊の世話に使用する角笛がぶら下がっているのが見えた。
ふかふかとした上質の毛並みのポンチョなどを着て歩いていた。
初夏ではあるが、ここは格別に涼しい。鍾乳洞の奥には千年に渡る氷壁。
そこから吹き出て来る冷風がこの地を快適空間に保っていたのだ。
上下の衣服もふかふかとしているが、しっかりとした生地で、彼が身に付けていた帽子からも靴からも上質感が溢れ出ていた。
どこかの良家の子息なのかもしれない。
腰に巻き付けたベルト付きポーチから、金貨がすり合わさる心地良い音が聞こえていた。
俺が見て分かるのはそれだけだが、直後に羊飼いとみられる少年は、魔物に遭遇したのだ。
「だ、誰か、助けて~! ダメだよ、このお金だけは一年も出稼ぎに来て必死に貯めたんだ。家族に合わせる顔がなくなるよぉ!」
彼はそう言って、必死に魔物に抵抗していたのだが、あっと言う間に身ぐるみはがされて、命からがら来た道を這うように逃げて行った。
あっと言う間の出来事だった。
俺も戦闘経験はほとんど皆無だった。
助けられるものなら、そうしてやりたかったのだが、恐怖で声も出なかった。
少年よ、どうか俺を恨まないでくれ。
彼が必死で助けを求める折、高台の上に居た俺の……人影に気付いて声を上げたのだろう。
そもそも魔物に、あんな説明が通じる訳もないのだから。
良家のお子では無かった様だ。
「気の毒にな。」
俺は、哀れな少年に何ら言葉を掛けることもなく、すぐにその場から離れた。
泣きわめく少年の顔をまともに見ることもなく、聞く耳も捨て、逃げる様に。
俺の足はそのまま遠くの街へと向き、人が多く集まる酒場へと足を運んでいた。
街の酒場に行けば、賑やかな旅人の声で落ち着けるから。
「今は、誰かの声を聴きたい……」
旅人たちの話はいつも、スリルに満ちている。
この程度のアクシデントは日常茶飯事だろうから、笑い飛ばして忘れよう。
そうだ、笑い飛ばして行け。
他人事なんかにうつむき暗くなる必要はない。
一刻も早くこの恐怖心を振り解きたくて、夕暮れ時に起きた事件に目をつぶって足早に去った。