10-11 幸せになってね
泣きながら母の胸に飛び込むアサを見て、他の二人が両の手を広げた。躊躇いながら子が近づき、控えめに頬を寄せる。
「お母さん。産んでくれて、ありがとう。アタシ、幸せになります。さようなら。」
泣かないよ。あったかいね、フワフワだね。抱きしめて笑ってくれた。ありがとう、忘れない。
「ハヤ。生まれてきてくれて、ありがとう。」
エッ、ハヤ? 名を付けてくれたの、嬉しい!
「お母さん。産んでくれて、ありがとう。オレもココに残る。だから、さよなら。」
泣かないモン、だから泣かないで。抱きしめられて嬉しい。笑った顔、忘れないよ。
「チカ、みんなと仲良くね。」
「うん、仲良くする。」
名付けてくれて、ありがとう。とっても嬉しい。
明里には社が無いので、千砂を頼る事にした。社を通して伝えるために。
悪取から話を聞き為さった津久間神は、二つの事を御決め遊ばす。
娘たちを生まれ育った地から、遠く離れた地で暮らせるようにする事。大貝社を通して妖怪の国守を真中の七国との境に送り、人を食らう合いの子や禍を齎すモノを残らす狩る事を。
国守が守るのは、己が生まれ育った地。人でも妖怪でも同じ事。
けれど、この度の事で良く、良く分かった。隠の世が閉ざされている今、頼れるのは人の世に留まる事を許され、望まれて国守になった妖怪だけ。
話し合いの末、大貝山の統べる地から二妖、津久間の統べる地へ向かわせる事が決まった。選ばれたのは大石のクベ、加津のミカ。どちらも守りながら戦える。
真中の七国との境に向かうのは、クベとミカだけでは無い。これまで中を守っていた妖怪の国守が、外と戦う事になったのだ。良那のオトも、その一妖。
「そろそろ行こうか。」
明るい声で、クベ。
「そうだな。さぁ、乗ってくれ。」
そう言って、ミカが笑う。
浦辺の舟寄せに一隻、耶万から借りた大きな舟が泊まっている。水手は居ない。クベの闇を広げて帆に、ミカの闇を伸ばして櫂にするから。
乗るのは三人の娘、クベとミカ。浜木綿の川が流れ込む辺りで、オトが待っているハズ。
因みに、ミカが居ない間はモトが加津と千砂を。クベが居ない間はフタが、大石と会岐を守ってくれる。
「さようならぁぁ。」
「ありがとぉぉ。」
「幸せになってねぇぇ。」
子らが、舟寄せから大きく手を振る。もう会う事のない母の幸せを願いながら、舟が見えなくなるまで。
「ではモトさん。戻るまで、皆をお願いします。」
「はい、気を付けて。必ず戻ってくださいね。」
「はい、必ず戻ります。明、明里を頼むよ。」
「ハイ! お任せください。」
顔はキリリとしているが、尾は正直だ。撫でられた事、頼られた喜びが隠せず、振り子のようにブンブン揺れている。
「アサ、ハヤ、チカ。モトさんの言いつけを、シッカリ守るんだぞ。」
「ハイッ。」
母から付けてもらった名を呼ばれ、胸を張る。
明里で最初に生まれた合いの子で、心の声が聞こえるアサ。アサの次に生まれた合いの子で、頭の回転が速く敏捷なハヤ。ハヤの次に生まれた合いの子で、身軽で力持ちなチカ。
揃ってニコニコ、良いお返事。
「行ってきます。」
見送りに手を振りながら悪取は思った。出来るだけ早く、『ただいま』と言って戻りたいと。
帰る所がある、帰りを待っていてくれる。その事が嬉しい。