8-150 アレ、人か
川の近くにある千砂、森の中にある会岐。一山の麓にある大石でも、加津と同じ。引き取った子が気づき、国守に伝えた。『悪いのが来る』と。
何れも、神が御閉じ遊ばした。行き来できるのは、人と獣だけ。認められた隠や妖怪は別。どんなに強い妖怪でも、社を通さなければ入れない。
「ヴォ。」 ココモカ。
「ヲォォ。」 ハラペコダ。
「ヴゥ。」 クッソォ。
悪いのが騒ぐ。加津では浅瀬で、千砂では川岸で。会岐と大石では、外れでギャンギャン。
大貝山の統べる地で生まれた合いの子が、全て『悪いの』になるワケではナイ。
神の御坐す地では、使わしめの集まりを通して知らされる。いつ、どこで、何が起こったのか。
胎の中に居る時は、どのように。胎を破って出てきたら、どのように。人の子と同じように出てきたら、どのように。
同じ子は居ない。同じ扱いをすれば良い、なんて事は無い。
妖怪になり、清められた事で角と牙が消えた、生き残りは珍しい。そんな妖怪は望まれて、国守になった。
妖怪の国守がいる里や村、国は良い。妖怪の子が出てきても生まれても、社を通して得られるから。
『悪いの』が生まれた地。悦、采、大野、光江、安には初めから一柱も、いらっしゃらない。
社は在っても空っぽ。祝が居ない、見える人も居ない。巫や覡は居ても、力が無い。
耶万から溢れた闇に飲まれ、命を落とした人は多い。
隠になっても殺されて、繰り返し食われて壊れた。妖怪になって食い殺し、逃げられず祓い清められたが、生き残りは忘れない。
妖怪を国守に? 有り得ない。
扱いを知らければ、人と妖怪の合いの子に殺される。
多くの命を奪われたものの、戦ったり投げ捨てたりして追い出した。追い出された『悪いの』は、アチコチで奪い続ける。
「ヴァァ。」 ヨソイコウ。
「ヴォォ。」 ソウスルカ。
大貝山の統べる地で開いているのは、神が御隠れ遊ばした地だけ。つまり、生まれた地に戻るしか無い。戻っても追い返される。分かっていても、戻るしか無い。
「何だ、アレ。」
「え?」
「ほら、あそこ。」
「あぁ。」
「嬰児にしてはオカシイ、幼子にしては小さすぎる。」
悦のシュウ、大野のカズとガガ、采のユリ、安のミエも戻らない。光江のマツは『もっと持ってコイ』とウルサイし。攫おうにも、居ないんだよなぁ。
「攫う?」
「えぇぇ。」
「売れると思うか?」
「ってかアレ、人か。」
「ウ。」 オイ。
「ア。」 イタ。
逃げる間もなく、生きたまま食われる。バリバリと。『悪いの』は味わうために、頭を残す。好きだから。
血を啜る音や、噛み砕かれる音を聞きながら、罪人たちは己の行いを悔いた。繰り返し、繰り返し。