16-60 生きろ
アンリエヌ語の読み書きは出来ても、会話はテンでダメ。そんなジロの教育係になったのは、ブランからアレコレ教わったネージュ。
初めはアルバが担当したが、たった三日で止まり木から落ちる。規則正しい生活を送る梟に、急な呼び出しや夜勤はキツカッタ。
「笑顔は国際旅券!」
そうだね。
「交際も交渉も最初が肝心。」
ネージュから教わったのは外交の基本。
「頑張りマス。」
少し離れた場所で見守っていたブランが、ほんの少し見開いてから飛び立った。向かうのは乱雲山。合繋谷を越え、滝山から氷皐山を抜ける。
その姿を消して。
「グゥゥ。」 ナニカイル。
春でも秋でも、特に夏は子連れ熊に近づいてはイケナイ。親熊は小熊を守ろうと、必要以上に気が立っているから。
山守と祝辺が隔てられるまで、多くの人が熊に襲われて死んだ。それら全て、山守神の御怒りだと決めつけたのは山守の民。
地が割れた事で頂が山守から祝辺に移り、鎮森に囚われるようになる。その多くが生贄や人柱にされて死んだ、祝の力を持たない人たち。
隠になっても山守を憎み続けている。
「グヲォォ。」
滑山と坦山が崩れ、霧山に鳴山、固山も離れた。地割崖から上は守られている。けれど下は、低い地は違う。
「逃げろ。」
弟と森に入った兄が、弟の肩を掴んで言った。
「でも、兄さんは。」
足を挫いて動けない。
「言い付けを破ったんだ。でもな、生きろ。」
弟がブン、ブンと頭を横に振る。
子連れの熊は、母熊は気が立っている。もし見つかれば襲われ、生きたまま食われるだろう。
言い付けを破り、こっそり抜け出した己は良い。けれど何も知らず、ついてきた弟は死なせられない。
「山越に戻れ。」
「でも、でも。」
幾度も戻れと、そう言われたのに戻らなかった。そうしなければ、もう兄に会えない。そんな気がしたから。
どんなに叱られても、叩かれても離れたくない。だから聞かなかった。
「この辺りには獣が多い。だから犬を連れた狩り人が、きっと近くに居る。だから誰か見つけて、助けを求めるんだ。頼めるか?」
ウルウル。
「一人でも転ばずに、まっすぐ走れるな。」
コクン。
「行け。」
ズビッと鼻を啜り、幼子が立ち上がった。それから拳で涙を拭い、タッと駆け出す。
その後ろ姿を見つめ、力なく微笑んだ。
「生きろ。」
幸せに暮らせ。




