2-4 洞から洞へ
夜が明けた。ツウは、ぐっすり眠っている。朝餉の支度をしながら、考えた。思った通り、谷では大水が暴れている。追手は来ない。いや、来られない。
三鶴の長は、諦めが悪い。というより、しつこい。ツウを恋い慕っていなくても、逃げられた、というだけで悔しがり、追い回す。もし見つかれば。考えただけでゾッとする。ツウだって、わかっている。川で会った時、震えていた。
おっかないに決まっている。親、兄弟、幼い妹。逃げればどうなるのか。きっと、おおごとになる。いや、なっているだろう。洞へ引き上げた時、ツウの手はこわばって、雪のように冷たかった。
五つで死んだ妹も美しかった。でも、ツウのほうが美しいと思う。働き者で、優しい。
となりの家の人は、みんな優しい。だから、いいように使われた。オレはそんなこと、しない。したくない。強くなる。強くなって、弱い人や、困ってる人を助けたい。いや、助ける。
日の光が、洞の向こうを照らした。雨上がりで澄んでいるのか、キラキラして見える。
「コウ、おはよう。」
「おはよう。ツウ、眠れた?」
他に言いようがあるだろうに、出てこない。
「ありがとう。よく眠れたわ。」
よかった。顔の色がいい。嘘じゃない。洞の前に置いて、溜めておいた水と、乾いた布をツウの前に出した。
「顔を洗って。それから、朝餉にしよう。」
朝餉を食べながら何か話そうと思ったのに、出てこない。兄さんなら、気の利いたことが言える。オレは言えない。爺様に似たんだ。きっとそうだ。家では黙っていた。
ツウは良い娘だ。何も言わず、ニコニコしている。そうだ、ちゃんと言わなきゃ。
「下は、まだ危ない。川が暴れてる。昼には落ち着くと思う。でも、誰かいるかもしれない。日が暮れて、追手がいなかったら、下りよう。それまで、もう少し眠っておこう。」
わかりやすいように伝えた、と思う。でも、伝わったのだろうか。
「コウは、言の葉が足りない。」
姉さんが言った。そんなもの、母さんの胎の中に置いてきたんだ。忘れたわけでは、ない。
思い悩むオレを気づかうように、ツウが言った。
「ありがとう、ちゃんと言ってくれて。」
日が暮れた。念のため一人で降り、見回し、見渡した。追手はいない。洞から出る術を教えたから、一人で出られるはずだ。
「下りてきて。」
そっと顔を出し、頷いた。ツウが、そろそろと下りてくる。
「行こう。この川の源に、釜戸山への道がある。」
たどり着くには、一日かかる。だから、休める時に休む。ずっと歩き続けるなんて、体がもたない。
「このまま進めば、洞がある岩がある。まず、そこまで行こう。」
あの大岩に比べれば、小さい。それでも大きい。少し登れば、ツウと入れるくらいの洞がある。
雨のにおいがしない。降らないだろう。もし降っても、崖の岩の洞なら流されることはない。できるだけ早く、山に入りたい。そうすれば、ゆっくり休める。
「あれが崖の岩だよ。さあ、もう少し。」
「うん。もう少し。」
一人で洞に入る。気がかりがないことを確かめてから、ツウを呼んだ。
「ツウ、入っておいで。」
手足を伸ばして休めるほどではない。けれど、思ったよりも広い。ツウはホッと息をした。
コウは良い子だ。それに、しっかりしている。男の人みたい。弟と同じ年なのに、こうも違うものなのか。ドキドキしてしまう。
いくら良い子でも、男。くっついたまま過ごすなんて、受け入れられない。
「ごめん、ツウ。狭いね。」
しまった!でも、違う。とてもありがたいと思っているの。どうしよう。
「ううん。ほっとしただけ。違うの、ありがとう。」