16-47 今は何も言えない
夏の初めに熟れる桃の実は肉が厚く、汁が多くて甘い。
開く前の蕾には浮腫みを取る力、桃の葉には夏のブツブツを消す力、桃の種には咳を止める力がある。
「甘くて美味しい。」
小さいが甘味が強く、チョッピリ酸っぱい。
「この実、前にも。」
頭が痛くてボゥっとするのに体は冷えて、歯がカチカチ鳴った。
オロオロしながら泣く母さんを、父さんが抱きしめて言うの。『きっと乗り越えられる』って。
次に起きたら闇の中から、首に布を巻いた犬が出てきた。背負子には桃の実と、水が入った竹筒。
母さんが『マルコ』って呼んだら、尾を振って吠えた。そしたらスッと重かった体が軽くなって、喉が渇いた。
桃の実を食べたくなった。
「そうだ、この味。」
良山に生っている山桃と同じ。少し酸っぱいケド、心が軽くなった。あの時のように。
「大泉の森にも、桃の木が生えているのかな。」
紅に問われ、ナタが考え込む。
良山には愛し子にしか出入りできない洞がある。その洞で拾った石が、この守り袋に入っている。
三さまが御話くださった。どんなに痩せた地でも、肥えた地に変える力があると。
鎮野は豊かだ。けれど鎮野社から、その奥から吹く風に闇が含まれている。
だから清める何かを、そのキッカケを求めているんだ。
「湖に流れ込む放川の、ずっと上に生えていると聞いた事があります。」
今は何も言えない。末の事がコロコロ変わって、定まらないから。
「あぁ、あの崖か。」
紅に限らず、鎮野の民は鎮野から出ない。出ないけれど木の声が聞こえるから、多くの事を知っている。
放川は滝。泡湖から流れる水がドウドウと、大泉に流れ込む。
泡湖に流れ込むのは分川で、冀召と呼ばれる湖が源。その北に在るのが祝社。
祝社には人の守と隠の守、離れには継ぐ子が暮らしている。
継ぐ子の多くは守りたい全てを守るため、親から離れて暮らす事を選んだ子。死んでも、隠になっても戻れない。
だから稀にボロボロになった隠が冀召から、放川を経て大泉に入る。
「大きく強い翼を持つ鳥でなければ、あの崖を越えられない。あの流れに逆らえるのは大泉神の使わしめ、亀さま。大泉の社憑き、三さま。そう聞いている。」
「はい、その通りです。」
母さんが言っていた。
この守り袋は人の世、隠の世でも禍を遠ざける。だから近づいてきて、『あれ』って顔をした人や隠から離れなさい。きっと助けてくれるって。
何となく分かる。紅さまは母さんから力を受け継いだ私を、先読の力を持つ私を隠す気なんだって。
強い先見の力を持つ祝女が何かを見た。だから鎮野の人を『何か』から守るために、その時を待っている。
「ナタ、どうした。」
良村の守り袋を母さんから譲り受けてから、先読の力に溺れる事が無くなった。だから読もうと思えば幾らでも。
そんな気がするのに、読む気にナレナイ。
「紅さま。先見さまは何を、どんな先を見られたのですか。それは悪い事ですか。」
母さんの子だから引き取った。けれど他にも何か、きっと何かあるんだ。
「教えてください。」