11-62 独り言
霧雲山で飛んでいたからと言って、霧雲山で呪われたとは限らない。
「風に乗ったとしても、ココまでは。」
小さな鳥だ、霧雲山の統べる地に巣があるのだろう。けれど、だからと言って霧雲山の外から飛んできたと言い切れるのか。
私はソウ思わない。いや、思えない。
「巻き込まれた?」
霧雲山に『霧雲』なんて山は無い。野呂とか野比とか鎮野とか多くの山が一つになって、雲のような霧を纏っているから霧雲山。
空に近いのは山守で、頂を守るのは祝辺。霧雲じゃ無い。
頂に近づけるのは祝辺の守と祝社の人、祝辺の民。山守の近くに聳える平良とか大泉とか、他の山から山守に入っても鎮森に戻される。
森を抜けられるのは祝辺に認められた、強い祝の力を生まれ持つ子だけ。森や祝辺の許し無く入れば惑わされ、谷に落ちて死ぬと聞く。
「谷に落ちて動けなくなったり、死んだ祝が呪ったとしても・・・・・・無い、わね。」
御山の頂も鎮森も、平良も大泉も鎮野も全て、祝辺の守が清め続けている。
平良を清めるのは、平良の烏が暮らしているから。大泉を清めるのは、大泉神が湖の底に御坐すから。
鎮野を清めるのは根の国へ繋がる道の口を守り、取り仕切り為さる鎮野神を御支えするため。
祝社を真中にして囲った中にあるから山守も、山越の南も清められている。もし三つの御山が小さければ、山越は輪の中に入らなかった。
輪の中で闇堕ちしたり呪っても、直ぐに清められてしまう。
「山守のテイ、初めから人だったのだろうか。」
祝社の祝が力を合わせて清めているのに、まだテイを清められずにいる。オカシイ! 山守の祝も同じハズ。
私は野呂山で生まれ育ち、山を出ることなく死ぬ。タマさまも同じ。野比山で生まれ育ち、山を出ることなく死ぬ。それが祝。
「違う祝も居る。」
祝辺の守は祝社の継ぐ子から祝女、祝人になる。祝社の祝女、祝人の中から選ばれるのが人の守。人の守が死んで隠の守になる。
祝辺の民に祝の力は無いし、ふと授かる事も無い。
「山守だって。」
山守は祝の力を持つ者を霧雲山のアチコチから集め、生贄や人柱にする。強い力を生まれ持つ子は殺さず、山守の継ぐ子にして生かす。
だから山守の外で生まれ育った祝が居る、それも多く。
「山越の北に逃げ、滑り落ちたなら。」
祝辺に清められているのは、山守と繋がっている南だけ。他は切り立った崖、輪の外へ転がり落ちる。
そのまま死ねれば根の国へ。死ねなければ、苦しみながら闇を。
「ねぇ鳥さん、北から来たのかい?」
・・・・・・。
「そうか。」
・・・・・・。
「わかった、ありがとう。さようなら。」
「タタ。その鳥は、もう。」
「はい。それよりピーさま、何か気付いた事はありませんか。思い出してください。」
「う、ウム。」
あの翼使い、『畑』ではなく『人』を襲うモノだった。ように思う。
山越の北を通り過ぎたダケで、あのような呪いを受けるだろうか。どちらも霧雲山の一つだが、山越と野呂の間には珠の湖が在る。
他もだが、湖の上に入ればスッと清められるモノ。
あの鳥は呪いを受けていた。けれどシッカリしていたし、傷も無かった。となると山越の北から輪の外に出て、湖を避けてココまで?
そんなに上手く飛べるだろうか。
野呂の北には溪山、西には滝山が在る。鷲や鷹など大きい鳥、でも無いな。
風の流れがコロコロ変わるのだ。どう考えても、いや待て。もし祝辺の獄に歪みがあって、そこから呪いが流れ出たならドウだ。
湖の上にヒョイと出れば。
「三日月湖。」