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盲目

それから数日、舞ちゃんとの変わらない毎日が続いた。


どこかに出かけるでも無く、何かおいしいものを食べに行くこともなかったけれど、僕にとっては今までになく楽しい充実した時間だった。


何よりも、朝出かける時は舞ちゃんが‘行ってらっしゃい’と見送ってくれて、家に帰ると笑顔で出迎えてくれる、ただそれだけで僕の心はあたたかく満たされた。


相変わらず舞ちゃんのことは、名前と料理が得意なこと以外は何も知らなかったけれど、それでも僕は特別詮索したりはしなかった。


正直、彼女の境遇は知りたいという気持ちはあって、だからと言って色々知ってしまうのが怖いと言う気持ちが邪魔をしていた訳でも無かった。


ただ今は、この充実した時間がいつまでも続いてくれたらいいという気持ちでいっぱいで、彼女はどこから来て、今までどんな生活をしてきたのかといったことは、今の僕にはたいして必要なことでは無かった。


僕にとっては、彼女の存在そのものがとても大切になっていた。





その日は珍しく仕事が終わらずに、残業になった。

帰りが遅くなるのは前日から薄々分かっていたので、舞ちゃんには先にご飯を済ませておいてと伝えてあった。


それでも早くアパートに戻りたくて、仕事が終わるといつもより暗い帰り道を、足早に歩いていた。


“BREEZE”の前を通りかかるともうすぐ閉店なのか、この前の店員さんが店の外で片付けをしていて、僕に気づくと「こんばんは、この前はありがとうございました。」と言って、愛想のよい笑顔を向けてきた。


手短に済ませようと「どうも。」と言って、会釈をして通り過ぎようとする僕ではあったけれど、店員さんの一言に足を止めずにはいられなかった。


「舞ちゃん良かったですね。」


「・・・、どうして彼女の名、前知ってるんですか?」

立ち止まった僕は、店員さんに尋ねる。


「どうしてって・・・、ご存知ん無いんですか?」

と言うと、驚いた表情で立ち止まったままの僕を見て続ける。


「ここのところずっと、舞ちゃん店を手伝いに来てくれてたんですよ。」


「ずっとって、いつからですか?」


「丁度この前お二人で、買い物に来ていただいた次の日に‘ここでアルバイト募集してないですか’って訪ねてきてくれたんです。 でもうちはこんな小さな店だし、今は従業員も募集してなかったからお断りしたんですけど、舞ちゃん‘お金はいらないからどうしても店の手伝いをさせてください’ってすごく熱心だったから、一日2、3時間ぐらいだけでも働いてもらうことにしたんです。」


「毎日来てたんですか?」


「はい、今日もちょっと前まできてくれてたんですよ。 舞ちゃん、将来自分でこういうお店も持ちたいって言ってたんです。 自分で洋服デザインしたりしたいから、少しでも勉強したいって言って毎日来てくれてたんですよ。 そう、あのとき買っていただいたワンピースを着て一生懸命がんばってて、それでも‘足元はスニーカーだから似合ってないかな’なんて言って心配してたんですけど・・。」

と言ってクスリと笑うと、思い出したように続ける。


「でも、舞ちゃん元気で明るかったから、明日から来てもらえないと思うと淋しいですね。」


「明日から来ないって、どういうことですか?」

突然の話を理解出来ない僕は、少しずつ質問をしていくことで、なんとか頭の中を整理することができていた。


「舞ちゃん他に働けるお店が見つかったみたいなんですよ。 そこは働きながら学校にも通えてちゃんと勉強も出来るところみたいで、早速明後日から行くみたいで、‘お世話になりましたって’挨拶しに来てくれたんですよ。」


僕は何も知らなかった。


正直、僕が仕事をしてる昼間の間、舞ちゃんが何をしているのかなんて考えてもみなかった。

僕にとっては、ふって降りてきた彼女と一緒に過ごす時間がすべてで、そのためだけに毎日を送っていた。

でも彼女は僕のところに来てからずっと、将来のことを考えて前に進もうと努力していた。



僕は何も知らなかった。



その事実を知らされて、何だか彼女の存在ががとても遠くに感じて、僕はひとり取り残された様な気がした。



「でも本当に良かったですね。 舞ちゃんいつも言ってたんですよ、あなたに頼りきりだから自分も頑張らないとって。」


「えっ・・・、舞ちゃんがですか?」

呆然とする僕に、店員さんはニコリと微笑む。


「‘自分が一番つらい時に力になってもらったのに、私は何にもしてあげられてない’って・・・。 だからこれで少し安心だって。」


“力になってあげている”そんな自覚は全く無かった。

実際は、どうしてもほっておけないと言う気持ちがあっただけで、いつも元気で楽しそうに見えた彼女の、不安や苦しみを僕は理解全く理解することが出来ないでいた。

それどころか、彼女の話をきかされて一人疎外感を感じるだけだった、そんな自分がとても恥ずかしく思えて、情けなかった。


僕にとって彼女と過ごす時間はとても貴重で、彼女存在はとても大切だと感じながら、本当の意味で僕は全く彼女の力にはなれていなかった。


だからこそ、これからは彼女の力になって支えてあげたいと心から思った。



「あの、店まだ大丈夫ですか?」


「はい、大丈夫ですよ。」

いきなりの僕の問に、店員さんは少し戸惑いをみせたけれど、すぐに答えた。


「この前見てたサンダルってまだありますか? 彼女にプレゼントしたいんですけど。」


「本当ですか?ありがとうございます。 舞ちゃんきっと、すごく喜びますよ。」

そう言うと後片付けはそのままに、僕を店の中へと導いてくれた。

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