家出娘
一日の仕事を終えて、僕はアパートに戻ろうと帰路についていた。
昼間のまぶしかった太陽が影をひそめ、街中がうっすらとオレンジ色に染まり始めていた。
今日一日、今朝のあの子の笑顔が何度も思い出され、その都度いくつもの疑問で僕の頭の中は一杯になった。
そんな調子で、夕飯の食材を調達するはずのコンビニをすっかり通り過ぎてしまったのに気づいたのは、そこから100メートル以上も離れた場所だった。
腹はへっていたけれどわざわざ引き返す気にはなれなかった。
それより、‘このまま真直ぐ行った先に公園がある’そう思うと僕は足早にその方向に進んでいた。
公園のそばまで来ると僕はすぐに砂場の方に視線を向けたけれど、その先に人の姿はなかった。
何だかほっとしたような、でも少し残念なような複雑な気持ちになった。
とりあえず、せっかく来たから猫たちにでも会っていこうと僕は公園の方に近ずいていくと、砂場からは少し離れたブランコに誰かが腰かけているのが見えた。
街を覆うオレンジ色がさっきよりもずっと濃くなっていたけれど、それがあの子だと分かるのにさほど時間は必要としなかった。
‘彼女にまた会えた。’そう思うと僕は胸が静かに、でもハッキリと熱くなるのを感じた。
足取りも自然と速くなっていた。
僕は彼女のそばまで近づくと、「こんばんは。」と声をかけた。
「あ、こんばんは。」僕の顔を見た彼女は思い出したようにと言って微笑む。
「また来たの?」
「・・・ずっといるの。」僕の問いに彼女は目をそらして答える。
「ずっとって・・・、朝からずっと!?」
驚いて尋ねる僕に、彼女は目をそらしたまま小さく頷く。
「他に行くとこないから。」
「行くとこないって、家は?」
その僕の問に、彼女は答えずらいのか少し時間をおいて口を開く。
「家・・、 出てきちゃった・・・。 色々あってね・・・。 だから帰れないの。」
‘家出!?’なんとなく彼女の言葉を理解する。
「思い切って出てきたのはいいんだけど、持ってきた荷物は途中で無くなっちゃうし・・・、 お金も一緒だったから、もう頭の中真っ白になって・・・、 歩いてたらここに着いたの。」
彼女の話を聞くうちに、初めに会った時に感じた違和感が何なのか分かった様な気がした。
初めて見た彼女は、まだ完全に太陽が目を覚ましていない早朝は少し肌寒いこの季節に、Tシャツ一枚の格好で、一つにまとめられた髪はお世辞にも綺麗とは言えず、どちらかと言えば夕食の支度の忙しさに追われた旅館の仲居さんのような疲れた印象を与えていた。
「でも、ここなら朝まで過ごせそう。」
そう言うと彼女は僕を見て微笑む。
「こ、ここに朝までいるつもりなの!? そんな格好じゃ寒いし、それに夜一人でこんな所に居たら危ないよ!!」
思いもよらない一言に思わず早口になった僕に対して、彼女は何か考えるような仕草をしてから口を開く。
「でも、他に行くとこ無いから・・。」
「だったら、家に来なよ。」
その一言に彼女は、「えっ。」と言うと目を大きく見開いて僕を見つめる。
僕は今朝知り合ったばかりの女の子に言った自分の言葉に、思わずハッとしてしまった。
彼女の大きな目に、僕に下心でもあるんじゃないかと疑われている気がして後悔の気持ちで一杯になった。
今の一言を取り消したいと僕が口を開こうとするより先に、口を開いたのは彼女の方だった。
「えっ・・、 ほんとに? いいの?」
その意外な言葉に呆気にとられた僕は‘うん。’とだけ答えた。
こうして僕は、名前も知らない家出娘を家に泊めることになった。