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大切な好きなこと

作者: 市田気鈴

前の作品とは毛色が違う内容となっています。

「ダメだなぁ」


 この言葉はわたしの耳にこびりついています。わたしにとってもっとも大切な人の口癖だったのですから。

 あの人と出会ったのはまだわたしが6歳の頃。小学校に入って数か月の頃に、突然転校してきたのです。わたしの近所では見かけたことのない子だったのですが、お父様の都合で引っ越してきたようです。

 この頃はようやくみんな仲良くなってきた頃でしたから、そこにいきなり見知らぬ人が入ってくるとなれば、すぐに馴染むのは難しかったでしょう。ましてやあの人は口下手で外で遊ぶよりも黙々と絵を描くことが好きな男の子だったのですから。

 休み時間になるとみんなが校庭に出て遊ぶ中、あの人はずっと絵を描いているのです。何を描いているの?と他の子が訊いても、はっきり答えません。絵を見せないように、そそくさと逃げていくのです。

 学校では人目を避けるようにしていましたが、どうしたって目についてしまうことはあります。特にわたしはあの人が引っ越してきた家が近所だったから、よく帰り道で見かけました。

 あの人が引っ越ししてから4か月くらいでしょうか。その日はとても寒く、前日の夜に振った雪がうっすらと道を覆っていました。わたしの地元ではこの程度の雪は珍しくありません。今でこそはしゃぎはしませんが、初雪には寒さが本格的になってきたことを感じる一種の風物詩でした。

 学校からの帰り道、わたしはいつも帰っている友達と別れた後、家に向かっていました。少し前にはあの人が急ぐように歩いていたのです。わたしの視界には入っていましたが特に気にも留めませんでした。

 しかし思いっきり転ばれてはそうもいきません。あの人は雪に不慣れだったらしく、道が寒さで凍っていると思わなかったのでしょう。雪に覆われて気づかなかったところで、滑って前向きに転んでしまいました。しかもランドセルが閉まっておらず、転んだ拍子に中身をぶちまけてしまうおまけ付きです。

 これには見て見ぬ振りもできません。わたしはすぐに駆け寄り、介抱しました。幸い、血の類は出ておらず、痛そうに顔をしかめていたことは覚えています。思い返せば、まさに少女の青春というべき出会い方ですね。

 その時のあの人は驚き、恥ずかしそうにしながらもわたしにお礼を言ってくれました。そしてわたしに自分の描いた絵を一枚プレゼントしてくれたのです。絵を見せなかったあの人にしては珍しいことでしたが、後で聞いてみれば何かお詫びをしなければと思い、あげられるものがそれしかなかったとのことでしたが。

 貰った絵は今朝描いたという雪景色でした。色鉛筆とクーピーを合わせて描かれていましたが、雪だるまもかまくらも無い風景は子どもながらにつまらないと感じたものです。ただこの絵をきっかけに、あの人とは話すことが増えたのは間違いありません。

 わたし自身は絵を描くことに興味はなく、外で遊んだり、工作したりする方がはるかに性に合っていました。それでもあの人が描く絵を見るのは、一種の面白さを感じるのです。それは絵がつまらなくても、そんな感想を抱いたり、それをあの人に言ったりすることが楽しかったのです。それに何よりもあの人が懸命に描いたことが、形となって見られるのが嬉しかったのです。目を輝かせて、時々悲しそうな表情で、それでも苦心して最後まで描くあの人が完成させた…。

 ただわたしも子どもでしたし、歯に衣を着せない言い方は多かったでしょう。それにわたしが口出しする前から、あの人は自分の絵を下手だと思っていたようです。


「ダメだなぁ」


 描いているたび、見せてくれるたび、必ず1回は口にしていました。





 あの人との付き合いは長くなりました。中学はもちろん、別に相談していたわけじゃないのに高校も地元の近場を選びました。大学は別でしたが、2人とも地元を離れて行った県が同じであったため、付き合いが途切れることはありませんでした。むしろ両親は娘のひとり暮らしを心配していたため、見知ったあの人がわたし会いに行ける距離であることに安心していた節すらありましたね。

 仲こそ良かったですが、別に男女の関係になったというわけではありません。わたしは友達との付き合いは変わりませんでしたし、あの人も少しずつ友人ができました。お互いの友人を混ぜて、遊んだことだってあります。

 ただわたしの中であの人が心休まる存在になっていたことは事実です。あの人が絵を描く姿を見て、わたしの方はお茶を飲みながらおしゃべりをし、出来上がった絵を見せてもらってまたおしゃべり。時には勉強を教え、愚痴をこぼす。顔を会わせる回数が多いだけで、ここまで仲良くなれるものなんですね。

 そういえば、この頃は油絵を描いていました。小学生の頃から絵の具を使った作品はありましたが、持ち歩きしやすいという理由で、色鉛筆で描いた作品ばかり見てきたので、初めて油絵を見せてもらった時は驚いたものです。見せてくれたのはフクロウの絵でした。灰色でずんぐりしているフクロウで、異様に目がギラギラと反射しているような印象でした。


「ダメだなぁ」


 その絵を見せてくれた時も、彼はいつものようにこの言葉を呟いていました。わたしは肯定も否定もできませんでした。油絵の良し悪しなんてわからないですもの。





 大学を卒業してから、わたしは地元に戻りそこの県の役所で働きました。特に目標があったわけでもないのですが、働くなら地元でと考えていました。どうも県外で過ごした大学時代が、肌に合わなかったようです。

 就職してからもあの人との付き合いはありましたが、わたしの人生でもっとも離れていた時期でもありました。なんでも本格的に絵描きになりたくて、そのまま上京したのです。実はわたしも知らなくて驚いた思い出があります。でもあれだけ絵が好きなのですから、そういった夢を掲げるのは当然かもしれません。

 わたしはあの人を尊敬しました。夢も目標も無いわたしには、胸に秘めたものを成し遂げるために踏み出すあの人の姿がまぶしかったのです。成功するかどうかはわかりませんでした。それでも連絡を取り合って励ましたし、帰ってきた時は精いっぱい労わろうと思いました。

 そしてわたしが仕事に打ち込む日々を過ごして7年後、あの人は帰ってきました。以前よりも弱気な表情でくたびれたような風体でしたが、見たところは昔のまんまでした。絵描きになるためにあっちで仕事をしながら、絵の勉強、画家や評論家に自分の絵を売り込むなど、とにかくがむしゃらに頑張っていたようです。自分の絵を見せたがらなかったあの頃と同じ人物とは思えないほど、行動的だったことに驚愕しましたよ。

 しかしある日、その想いもぷっつりと途切れました。何を描いても上手くいかず、認められることはなく、とうとう限界が来て倒れ込み、戻る決心をしたとのことでした。

 あの人を見た時、わたしは安心しました。自暴自棄にもならず、絶望しているわけでもなく、ご飯を食べて、眠り、絵を描けるあの人であることに。大きな挫折というのは人を変えてしまうこともありますから。

 あの人が戻ってから、わたし達は付き合い始めました。とは言っても、これまでとあまり変わらないような付き合い方で過ごしていましたが。それでもお互いよく知る相手で穏やかに過ごす日々、これほどの人生を歩めるのなら1年後に結婚するのは至って当然のことではないでしょうか。

 結婚を決めた2日後に、あの人が見せてくれた絵は印象的でした。それはわたしの絵だったのです。別にモデルにもなっていなかったのに、そっくりに描かれていました。むしろわたしよりも美しく、優しそうな雰囲気で、絵なのに嫉妬しちゃいそうにもなりました。

 そしてあの人はまた呟くのです。


「ダメだなぁ」


 いつものように呟いた後に、慌ててフォローされましたね。君のことじゃなくて僕自身の絵の腕の話だから、とかそんな感じで。今に始まったことではないので気にしないつもりでしたが、ちょっと意地悪でわざと文句を言いましたよ。





 あの人との結婚は素晴らしいものでした。互いに気兼ねなく生活し、喧嘩しても仲直りして一緒にお茶を飲む、あの人が変わらずに絵を描いて、その姿をわたしが見る、あの常に味わっていられる柔らかで少し甘い日々はとても幸せでした。

 そのうち、子ども(しかも姉弟)も生まれて、ローンを組み立てて家も買いました。よく夢のマイホームなんて言いますが、あまり興味はなかったのです。でも大切な人たちと一緒に住む場所を、自分たちのくつろげる間違いない場所を手に入れた時は得も言われぬ満足感がありましたね。わたしの人生で嬉しかったことのひとつに数えられるでしょう。

 あの人も家族のために尽くしてくれました。地元に戻ってから就いた工場での製造業を懸命にこなし、慣れないながら家事もやりました。子育てにも積極的で、わたしと一緒に授業参観に行ったときは、姉弟どちらかの様子を必ず見に行けました。

 そんなあの人でしたが、絵を描くことだけはどんなに忙しくても続けていました。そのことにわたしは安心しました。絵描きになれなくても、その手を止めるあの人だけは見たくなかったものですから。

 ある日のことです。テレビで芸能人が絵の個展を開くという特集が放送されていました。あまりテレビを見ないあの人なのですが、絵のこととなれば気になるようで静かにじっと見ていました。そして自分のスケッチブックに描かれている絵と交互に見て、ふと呟くのです。


「ダメだなぁ」


 お茶のおかわりを淹れていたわたしは、驚いてあの人の方を見ました。いつもの表情でその眼には涙が溜まっていました。

 わたしはテレビに映っている芸能人の絵を見ました。とても上手く引き込まれるような魅力がありました。しかしわたしにはあの人の絵と何が違うのかわからなかったのです。絵のタイプはまるで別物でしたが、あの人の絵もとても上手く魅力的だったのに。…見る人が見れば違うのでしょうし、わたしが贔屓目で見ているのもあるのでしょう。それでも、この時に呟いたこの言葉は今でも忘れられません。





 順風満帆、とまではいきませんでしたが、これまで申し上げた通り素晴らしい人生でありました。子どもたちも健やかに育ち、姉は仕事に打ちこみ、弟は早々に結婚して孫までいます。

 わたし達の方は静かに暮らしており、あの人は腰が曲がっても絵を描き続けました。いつもの調子で、「ダメだなぁ」と繰り返して。そしてわたしは相変わらず、あの人のそんな姿を見て出来上がった絵を見せてもらうのでした。

 しかし別れは必ず来るものです。あの人が80歳になる頃、入院しました。すい臓がんでした。すでにかなり進行しており、間もなく入院しました。ほとんど寝たきりの生活になったあの人ですが、そんな中でも幸せなことがあることがあるのをわたしに教えてくれました。ひとつはたまに来るお見舞いの人と話すこと。それはかつての仕事の同僚だとか、学生時代の友人だとか、その人たちと他愛ない話をすることが喜びになっていました。

もうひとつはわたしと絵を描くこと。これには最初、戸惑いました。わたしはあの人と絵を描いたことなど一度も無いのですから。しかしあの人にとって、わたしに見てもらいながら絵を描くことは特別なことだったようです。

それを聞いたとき、わたしは涙がこぼれました。あの人の中で、わたしがそれほど大切な存在になっていたことが嬉しかったのです。いや心の中では気づいていたはず、それなのに心が熱く震えたのは、あの人の口から直接聞けたからでしょう。


「ダメだなぁ」


 そんなわたしを見て、あの人は呟きました。相変わらず手には描きかけの絵があり、病院にもかかわらずこれまで共に絵を描き、見てきたことを思い出します。

 この3日後にあの人は亡くなりました。





 絵の整理をしていました。あの人が描いたたくさんの絵は全て保管しており、部屋をひとつ丸々使うほどでした。

 アルバムのように見始めたらきりがないもので、思い出の詰まったこれらの絵はどうしても見てしまします。そして思い出がふつふつと甦るのです。あの人の息遣い、筆や鉛筆を走らせる音、いつも口にしていたあの言葉…


(ダメだなぁ)

「でもずっと描きましたよね」


 あの人は本当になりなかったものになれなかった、ずっと自分の絵を否定するような言葉を出していた。それでも本当に好きなことを続けられたことは誇れることだと思うのです。

 あの人の話はこれでお終いです。


なんか青臭い内容になってしまいました。

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