7お吹き祭り 1
季節が変わり、夏前になると、気温と湿度が高い日が続くようになった。
この時期、人畜ともに、不快を感じやすいせいか、過去には
疫病がはやったようである
その疫病を鎮めるために、年中風が吹いているこの社で、
大風で吹き飛ばしてくれるようにと執り行ったのが、
“お吹き祭”であり、飾り付けた大団扇で大風を起こすという事であった。
大団扇を囃すお玉女が舞い踊り、周りで騒ぐ子鬼たちが風で吹き飛ばされ、人々はその風にあたると疫病退散のご利益を授かるのだとか、那助の説明を聞きながら、一太は新しい顔料をすり鉢でごろごろと粉にしている。
今まで黒と赤しかなかった色彩であったが、楓蜜の採取の途中、ふと見た路層に青の鉱物を見つけた事か゛きっかけだ。
これらは緑青と呼ばれる物で、古くから日本画の顔料として
用いられているものである。
他には、近くの秦の里では、蚕の業が多く、その幼虫からの
抽出物から、良い緑が取れることを知っている。
もう少し西に行けば温泉があるという事なので、硫化物が
あれば、黄色の顔料もすぐにみつかるだろう。
篠には内緒にしているが、裏庭で、赤いカメムシを見つけて
それをひそかに集めている。
見つかったら、悲鳴とどんな非難が待ち受けているかもしれない。
南米では、カイガラムシと呼ばれ、サボテンにつく虫だが
世界で一番きれいな赤と言われる色素が作れるものだ。
うまくいくかはわからないが、日本の赤はベニバナ系統が多く、朱色っぽいのが多いので、もし実現できたらきっと
大きく注目を浴びるだろうなと思う。
これらを使って、よりカラフルなものを作ることが、当面の一太の目指すところになる。
お吹き祭りに使う大団扇をはじめ、お囃子のお玉女の衣装、
子鬼の赤化粧など、今回の祭りを今まで見たことのない色で
染め上げることで、人々の心にいつまでも残るお祭りにすることが一太の狙いなのである。
最初もの珍しそうに見ていた那助だが、一つ一つ色が増えていき、鮮やかな配色が見えてくるようになるにつれて、一太同様期待が高まり、色づくりを手伝う様になっていった。
暫くして、お浜が里に戻ってきた。
聞けば、今年のお玉女として、本荘様から勧めがあったらしい。
今までのお社さまへの感謝も込めて、皆に良き風を起こしてこいとのことであった。
一太と那助にしても、祭りに華が添えるのは大歓迎であり、
これは装飾に力がはいるなと、あらためて気合を入れなおした程だ。
さっそく採寸して、作成にとりかかった。
大団扇は五色の華紙に彩られ、仰ぐたびにシャリン、シャリンと鈴がなる仕様にした。
お玉女の打つ、手持ち太鼓のおはやしとあわせて、リズムよく景気の良い拍子を奏でるはずだ。
お玉女は全部で5人、黄色の絣に編み笠、手持ち太鼓を
ドドンドドン、ドトンドドン、と鳴らし、左右に舞い踊る。
子鬼は顔を赤く塗り、怖さが引き立つはず。
一太はより華やかにするために、お玉女の身につける
手飾りや足袋飾り、を作ることにした。
五人のお玉女は微妙に異なる絣(手製なためそうなる)であり、それぞれに合う配色にしなければならない。
それぞれに最適な配色にすべく、いろいろ組み合わせるのだが、お浜は“大変恥ずかしゅうございます”
と恥ずかしがるので、なかなか試させてもらえない。
“われらの元では、ちあがーると申してな、大変名誉ある
事なんだよ”
と言うと、やっと顔を抑えながら、試着させてもらえた。女
祭り前日、お玉女5人と仰ぎ方、子鬼役を集めて遠し練習を行う。
ドドンシャン、ドンシャン、ドドンシャン、ドンシャン、
の拍子がそろってきた頃には、日も落ちて、
明日への期待に、多少の練習疲れが良いスパイスとなり
心地よい帰路であった。
お浜も、今日は久しぶりの実家で過ごせるとあって
うきうきとしながら帰ったのであるが、その姿を木陰から
妖しく追う目がいくつか、
“おい、あいつに違いねぇんだな?”
“へい、間違いございやせん、”
楽しそうに帰るお浜を、にやりと笑いながら数人の男が
追い始めていた。