19杉玉
杉八は、なにやらぶつくさと歩いていた。
“これで何回目だよまったく!”
里の材木商、“とくや”の番頭である杉八は、今日もその主人に申しつけられ、とある場所に向かっている。
里の西を流れる、葛川の対岸には、多くの酒蔵があり、
今その地にむかっているのだ。
かつて、かの地に鎮座する松葉の大社には、香りのよい水がわき出たことから、この水を使って酒造することの起源となったいわれがある。
で、そんな酒蔵らに、主人の命で、今日も新酒のでき具合を探りに来ているというわけなのだが、どの蔵も出来上がりの時期が異なる上に、先に他客に抑えられたりすると、当然手に入らないこともある。
何日も、何回も行き来し、其の度に空振りの日が続き、杉八は今日も苛立っているのだった。
“毎度、旦那、素通りはつれねえですぜ。”
振り返ると。店の中からいつもの顔のいつもの声がする。
“なんだよ、てめえかい、あぁ、ここんとこのいつものあれさ、まったく”
声をかけてきたのは、卸問屋の西鏡屋の番頭、六松だった。
2人とも十でそれぞれの店に奉公に上がり、歳も近いこともあり、すぐに気の合った仲だ。
“また、旦那のあれかい?”
六松もそのあたりの事情は良く知っている。
とくやの主が最近新酒の出来上がりを待ち詫びている事、
杉八がそのために何回も往復していることもだ
“ところでなんでとくやの親父さん、そんなに新酒がいるんだい?”
杉八は腕組みして思い出すように語る。
“あぁなんでも初物喰いだと三つ寿命が延びるとかさ”
杉八の言う通り、この時節は初物を求める人が多い。
春になり新しい季節にその生命力を求めるのだろう。
とくやの主人もそれにもれず、初物を求めたという訳であった。
“へぇ、そんなに新しい物好きなら、いいものがあるぜ。”
六松が裏から何やらごぞごそ取り出しのは、紡錘形の
茶色い菓子だった。
“銅鑼焼って言うんだが、大人気でな、こいつなら出来立ての初物が直に手に入るぜ、しかもうまい。”
と、杉八には渡さず旨そうに、松六が全部食べてしまうのだった。
翌日、教えられた朧八瑞円堂には、早速杉八の姿があった。
しかし、人気の割には人気がない。
表で見ていると、なにやら軒先に提灯を下げている。
その提灯には、“銅鑼焼、あんぼうとろ銅鑼、抹茶銅鑼”など、おそらく商品名が書かれ、なぜか上に風車がついている。
用意している娘に聞くと、それぞれの菓子の仕上げに時間差があるので、商品が出来上がったら提灯に火をともすのだと。
提灯が明るくなり、火で温められた空気は風車を廻すので、
それを目安に客は集まり買い求めていく。
客は大体の出来上がりの大体の時間をよく知っているので、
それに合わせてやってくるという事だった。
成る程、其れならば客側もムダな時間を使う必要がない。
そして好きな商品の出来立てを、手にすることができるのだ。
杉八は銅鑼焼きの大体の出来上がり時間を聞き、その時間に再度訪れ、初物好きの主人に“今日の初物、出来立て”を手に入れることができたのだった。
成る程、これは良い、これならば、、
新しいひらめきが生まれつつあった。
翌日杉八は、杉の葉で玉を作っていた。
まずはこれをそうした酒蔵につるしてもらう手筈に。
そこは、杉八が訪ねているという印となる。
もともとは若枝の緑の玉だが、新酒の出来上がりに
なると、杉八の指定した本数の枯れた枝を、指してもらう様にいくつかの蔵に内緒で依頼しておいた。
そして他の蔵には、“この緑の杉が茶色になる頃、酒ができる頃だと、松葉様のお告げがあったと、地域に広めるたのだ。
これについては松六が買って出てくれた。
客もその情報を聞いて、色変わりの頃を心待ちにするのだが、、
実は、その頃は新酒自体はもうすでに出来上がる頃。
蔵では2番3番の桶が上がる頃で、生産も品質も安定した時期、なので実は蔵にとっては、この頃にこそ買い求めにきてほしい絶好な時期のだとか。
杉八自体は、臨んだ新酒を手に入れ、顧客は安定して良いものを手に入れる時期、蔵は安定して売れると、三方特なり、
現在でいうと、WINWINの状況が出来たのだった。
これ以降、軒先に杉玉をつるすことが慣例となり、やがて
全国に広まったというのは、後の話。