11紙の里
峻険な谷を上り、峠を越えると、その里が見えてきた。
一太が那助を連れてここまで来たのには、理由があった。
ぱんけーき、そのブランディングには、どうしてもあの
漉き和紙が必要なのだ。
そして、コストの事もある。
出来ることなら、低価で手に入れたい。
その2つの思いがここまで来た原動力だ。
そして、それらは今ある社のすべての業の将来にかかわる事だ。
そう考えて、那助の同行を勧めたのである。
峠の溜りで、手元の竹筒から水を補うと、背を押されるように、二人は里に向かう。
半時ほどで、黒助のもとに到着した。
“よう来た、先日は世話になったな”
手土産に持参した“ぱんけーき”に黒助は愛想よく出迎える。
聞けば、里の女将たちには、つとに好評だったようで、次はいつかと請われていたそう。
黒助が上機嫌だったのも、家庭内円満、家内繁盛の家風なのだろう。
“黒助どの、今日はお願いがございまして、参った次第です
なにとぞ、お聞きくださらんか?”
真剣な那助が問うと、
“うむ、難しい話は明日じゃ、まぁ今夜は当家にてくつろがれい。”
と屋敷内の客間に案内されるのであった。
翌朝早く、一太らは紙づくりを見学する。
愛鷹山で採れた、コウゾなどの灌木を砕き、煮詰める。
繊維の水溶液となったそれを、漉き枠に均一に流し込み、
厚さを均一に整えながら、除水していく。
最終的に8%くらいの含水率にしたら、簾に上げて、
よく乾燥したら出来上がりだ。
リズミカルに漉いて、次々と簾がつみあがっていくのは
見ていて壮観だ。
那助が水に指をつけて、その冷たさにひゃつと縮こまる。
“そりゃそうだ、鷹尾の水は雪解け水じゃけな”
と黒助はうんうんと頷きながら、なぜか嬉しそうだ。
“まぁ、見ての通り、辛抱しながら皆の手で作るものじゃけえな、安くしとうても、それなりになってしまうのじゃ。”
確かに、黒助の言うとおりだ。
一枚、一枚手作業で、とてつもなく低温の冷水を扱う非常に
負担のかかる作業。おそらく目に見えない手間もそこかしこにあるだろう。
それにしてこの品質、そしてこの対価なのだと、一太は
納得せざるを得なかった。
しかし、この紙が必要なのは一太にしても同様であり、
そこは、はい、そうですかと帰るわけにはいかなかった。
元印刷会社、過去の一太のすべての知識や経験を動員して、
この危機をいかに乗り切るか、全力で取り組むほかなかった。
翌朝一太は人に請い、いくつかの資材を手配した。
西には、有の山のふもとに温泉があり、黄いろ石がたくさん
あるという話を聞いていた。
この黄いろ石はおそらく硫化物、そしてこれから硫酸水が
作ることができる。
また南には、瀬の海があり、貝や海藻がたくさん取れる。
一太はこの二つで、解決策を作ろうと考えたのである。
まず、原料であるが、コウゾだけでなく、目の間にある灌木
を砕き、一時原料の低コスト化を図る。
それらを窯でよく煮詰め溶解させ木材チップを作る。
次に貝をよく砕いたもの、海藻を乾燥させて燃やした灰から
アルカリ溶液を作り、ここにとチップを投入する。漂白作用もあり、白くなった混合物をろ過し、次に硫化物の水溶液に
投入中和させ、強度を増すために松ヤニを投入。そうしてできるのが今回の狙っている製法だ。
あとはこの湿紙を、漉いていけば出来上がりとなる。
薬剤を使い、真っ白な紙ができることと、原材の安定化と均質化を図ることで、漉き方は生産力高く維持できることが強みだと思う。が薬剤の率や加減はこれから手探りだ。
数日かけて工程を見守っていた黒助は、驚きを隠せないよう。
まあ、600年後の技術だからな、と一太は心の中でつぶやき、口元が緩む。
これらが量産できるようになったとき、一太の考える販促が
、そして男たちの未来が、実を結ぶ日になるはずだ。
そうなる日が一刻も早くなれば良い
黒助とこまかな打ち合わせをしつつ、夜遅くまで調整を
続けるのであった。