プロローグ
プロローグ
「神林、緊急メンテのスケジュール出たぞ」
「鹿島さん」
青暗いオフィスのガラスのパーティションに、モニターの光が反射している。今はほとんど物音もしない自分のスペースには、コーヒーの香りが漂っている。そんな中、突然に訪問者を伝えるチャイムのメロディが鳴り出した。モニタ横の端末を見ると、【Kajima】とある。○をタップすると軽い音で扉が開き、見知った先輩が入室してきて、第一声が死刑宣告だった。
VRゲームがレッドオーシャンと化して早数年。乱立するゲームメーカーのうち、幸運にも今をときめくトップメーカー「Teshka」に入社した俺は、朝も夜もなく仕事にまい進していた。最近のVRゲームは神経信号をやり取りして、感覚によりダイレクトに働きかけるタイプが主流で、医学的な研究機関とも協力をして、危険なことのないように作るのは原則でありながら難しい問題だった。
そんな中、俺の所属するプロジェクトが炎上した。本稼動から2年も経って致命的なバグが発見されたのだ。端的に言うとログイン、ログアウトができなくなる不具合だ。すぐに稼動を止めてメンテに入ったものの、ニューラルネットワークを駆使した独自の新システムは、従来のシステムとは違ってプログラムが勝手に回路を変化させてしまうところがあり、問題は複雑だ。しかも、ログアウトできなかったユーザーの神経と関わっているため接続を切断するにも危険が伴う。
「しかし俺たち――いや、もとから危ないプロジェクトだとは思っていたが――」
「鹿島さん、そんなの、このプロジェクト参加にYesを返したときから、わかってたじゃないですか」
「腹、くくるか――」
最早プログラムのデバッグはほとんど不可能。何せ人が書いたコードじゃない。コメントもない(あったとしても、非常にわかりづらく読むのがおっくうなものだ)新システムは設計時に施した幾重ものプロテクトをかいくぐりながら今この瞬間も"進化"を続ける。
社の責任として、最善を尽くすという回答をするしかなかったが、何徹するとかそんなレベルじゃない。永遠に、謝罪をし続け、デバッグをするしかないのだ。それが何の解決にもならないとしても。
「ほら、そんな俺たちにおあつらえ向きの"赤紙"だ」
鹿島さんに促されてプロジェクトの連絡SNSを見ると、その赤紙のアドレスがある。無の気持ちでクリックする。すぐに開いたファイルから自分の名前を探す。
神林さ|デバッグ|Admin9でログイン 小ニューロン
あった。
自分は案の定デバッグに回されるらしい―といっても、プロジェクト員の大半はデバッグに回されているようだった。最早挽回不可能な社会的マイナスイメージを負ったこのプロジェクトの、人身御供も同じだった。しかし、ログインとある。これまで改修と言えばモニターを通してシステムの動きをチェックし、外側から修正を加えることがほとんどだった。テストであればログインすることもあるが、デバッグをログイン状態で行うのは聞いたことが無い。
「鹿島さん、これ、どういうことでしょうか……?」
「驚くだろ。デバッグ班にも、ログイン組とそうでないのがいるんだ」
「ちなみに鹿島さんは」
「喜べ、ログイン組だ。なんでも、専用のモジュールを渡してもらえるらしいぜ」
「……」
飄々としていい放つ鹿島さんだが、背を向けていて顔をうかがい知ることはできない。
「日程、決まってるから。それまでにいろいろ、準備しておけよ。過去最大の連勤だろうからな」
「準備、ですか。鹿島さんは何を準備するんですか」
「そ~だな。飼ってる猫を実家に預けてくるくらいだな。着替えもいらないしな」
「猫、飼ってましたっけ」
「話したことなかったか。いるんだよ、ふわふわの白いのが、な」
やっと振り返った鹿島さんは笑っていた。
「じゃあな、連休楽しんでこいよ」
「はい。また、休み明けに」
端末の光が消えた。カレンダーを確認すると、そういえば明日から赤い○がついている。不具合が発覚してからはは働きづめだったから、時間感覚も鈍くなっていた。
知らぬ間にガチガチに硬くなっていた肩を回し、立ち上がってデスクの上を軽く片付ける。そうしてみるとさすがに少し眠い感じがする。保温された一口分のコーヒーを飲み干し、スペースを後にした。熱めに保温されていたのか、少し舌がジンとした。