手繰り寄せるちから。
翌日からはティアーナ先生による薬草の授業が始まった。
調合や分量など、なかなか細かく調節しなくてはならない。
アメリはひとつひとつを丁寧に書き留めていった。
二階にある客室は屋敷の表側に面しており、暑さの為に少しだけ窓を開けていた。
午後の厳しい日差しは薄手のカーテンを通り抜ける。ふわふわとした風に床の上で水玉の模様が揺れていた。
外から聞こえてくる話し声に気が付いて、アメリとティアーナはふと窓の方に顔を向けた。
ふたりの男の声。
しかも片方は声を荒げ、怒っているように聞こえる。
アメリは窓辺から下を覗く。
ちょうど縁台の下側に隠れて男の姿は見えなかった。
が、話をしている片方はハルのようだ。
落ち着いた声で、怒っている男をなだめようとゆっくりと話しかけている。
アメリの横に歩み寄って来たティアーナが眉を顰めた。
「……マルテロ」
「……知り合い?」
「……族長が夫にと決めていた」
「……ああ、なるほど。文句を言いに来た訳か」
横から急に攫っていかれたも同然だ。
ティアーナを好いていればなおさらに納得はいかないだろうし、取り返す為に行動も起こすだろう。
「私は帰らない」
「……うん、分かった。その……マルテロって人は嫌いなんだね」
ティアーナがぎりと歯をくいしばり、怒声が甲高く聞こえている方向を睨んでいる。
「あいつ……私が族長の養い子だからってしつこく寄ってきて」
「そうなんだ? でもどうして……」
「次の族長は息子のウイニと決まったけど、もしウイニが族長で無くなれば、私の夫に順番が回ってくる。だから……」
「族長になる機会を狙ってるってこと?」
「そう」
「……お腹の中の子どもは、マルテロの子どもなんだね」
ひゅっと息を吸い込んで、ティアーナはアメリに目を向ける。
「……クロノに子どもは作れないんだよね。まぁ、それは私もなんだけど」
何故なら時を止めているから、と理由は言えないからアメリは苦笑いで肩をすくめた。
「……なんで、そんな……こと……」
「大丈夫、心配しないで。クロノも私も分かっててティアーナを連れて帰ると決めたの。ティアーナは上手くやった、それで良いんだよ」
「……どうして……私……」
「……嘘を吐いて。タンザーロや、国から離れようって考えるほど、ティアーナは悩んだってことでしょ? 私たちはそれを叶えられるだけのものを持ってる。上手くやったよ、ティアーナ。よくクロノを捕まえたね」
「マルテロ……あいつ……私のことを、族長になる為の道具か何かって思ってる……そんな奴が族長になっちゃいけない」
「……一族の為だからって、ティアーナがそこまでしなくても」
「……私はタンザーロじゃない!」
「ティアーナ?」
「拾われたの、私……族長の娘として育てられた……それだけ。感謝はしているけど、道具にされるのは嫌」
「……そうか……よし、分かった!」
ばちんと手を打ち鳴らすと、アメリはティアーナにぎゅうと抱きついた。
「ここで待ってて、追い返して、二度と会わなくて済むようにしてあげる」
「……どうしてそこまで」
「ティアーナはマルテロが夫で良いの?」
「絶対に嫌……」
「ティアーナは一族に戻りたい?」
「……離れるのは辛いけど……戻りたくない」
「……うん。だから、任せといて」
にやにやと笑いながらアメリは部屋を出て、階段を降り、玄関広間を抜けた。
扉の前でよそ行きの澄ました顔を作り、そのまま外に出ていった。
気配に振り返ったハルは、また面倒なのが来たと言わんばかりに顔を歪める。
「ずいぶんと騒がしいけど、こちらはどなた? 説明して、大隊長」
「……こちらはマルテロさんです、奥方様。ティアーナを迎えに来たとおっしゃってます」
「あら。迎えなど必要ないのに、なぜ?」
地面をざりと踏み付けて、男はアメリに近付こう歩み寄るが、すぐさまハルに抑えられる。
「ティアーナは俺のものだ! 勝手に連れて行きやがって! この盗っ人が!」
「……おかしな事を言われますね。まだ婚姻は結んでいないでしょう? しかもティアーナ本人がこちらを望んだのです。族長様の許しも頂いたというのに」
ふと鼻で笑って、アメリは鷹揚に答える。
煽るような物言いに、勘弁してくれとハルの肩が下がったのがわかる。
苛立ちを募らせたマルテロは声を荒げて、唾を飛ばしながらアメリに向かおうとしている。
「それから、ティアーナを物のように言わないで下さらない?」
「俺のものをなんと言おうが俺の勝手だ!何が悪い!」
「ティアーナはティアーナのものです、勘違いなさらないで? ……そういう考えだから嫌われたのではないですか?」
ふふと笑って肩を震わせると、マルテロは更に激昂した様子だった。
そこそこ体格は良く見えるが、ハルに抑えられ、アメリには一歩分も近付けない。
人の体のどこを抑えれば良いのか理解している。ハルもなかなかやるなぁと妙に感心して、にこりと口の端を持ち上げた。
「嫁取りの品はもう渡した! ティアーナは俺のものだ!」
「嫁取りの品? それはどういうものでしょうか」
「タンザーロの決まりだ! その決まりで俺は!」
「……決まりですね。ではこちらもその嫁取りの品を用意しましょう。あなたよりもたくさん」
「はあ?! そういうもんじゃ……!」
「ではどういう問題でしょうか」
「ティアーナは俺のものだ!」
「……さっきからそればかり。あなたティアーナに嫌われているのは解ってます?」
「なんだ、お前!!」
「私もあなたの様な人は嫌いですね」
「っこの! クソ女!」
「……は? ……今、誰に向かってそんなこと言った?」
ハルはマルテロの手首を掴んで腕を捻り上げる。
足を絡めて地面に転がそうとする前に、アメリは手を上げてハルを止めた。
「あらあら。大隊長、お客様に手荒なことは止めて下さい?」
離せと暴れようにも、捻り上げられた腕は背中に回されていて、もごもごと動くしかできていない。
アメリは目の前までマルテロに近寄って、その顔を見上げた。
「もしもあなたの様な人が夫だったら、私もあなたを捨てて別の人の元へ行きますね」
「なんだと……っい! 痛いな! 離せ!」
「ティアーナは我が国へ。私たちと一緒に参ります」
アメリは言い聞かせるようにゆっくり、はっきりと言葉を紡いだ。
マルテロを見据える目を鋭くさせる。
「あなたの『物』ではない。私たちの『家族』になりました。どうぞ、お引き取り下さい」
はいはいじゃあさようなら、とハルに歩かされてマルテロは敷地の外に連れ出される。
小さくため息を吐き出して屋敷の中に戻ると、玄関扉のすぐ側にぽつりとティアーナが立っていた。
目からはぽろぽろと涙が落ちて、服の胸の辺りの色が変わっている。
ずいぶん泣いた様子に、アメリはふふと笑いをこぼして、ティアーナの涙を自分の服の袖で拭った。
「……悲しいの?」
「……違う……わからない」
「そう? タンザーロに戻れなくなるけど大丈夫?」
「いい……戻らない」
「クロノと私の家族になる?」
「……なる。なりたい……」
「ふふ……ようこそ、歓迎するよ。ティアーナ」
ふわりと抱きしめると、ティアーナはアメリに抱き付き、小さな子どものように声を上げて泣いた。
ぽつりぽつりとティアーナは話しだした。
一族での息の詰まるような暮らし、厳しい旅のこと、マルテロに強引に迫られ、乱暴されたこと。
反対にタンザーロたちの人の温かさや、一族の繋がりの深さ、旅で訪れる自分の国の素晴らしさ。
最後にアメリに向かって、小さくごめんなさいとこぼす。
「私はひとつも怒ってないよ?」
「嘘を吐いて、困らせた……ノアにも謝りたい」
「うん……でも、私はティアーナに感謝してるんだよ? クロノを助けて世話をしてくれたでしょ」
「その前に助けられたのは私たちの方。恩人の力になるのは当然。それなのに、私はその人を利用して……」
「言ったでしょ、ティアーナ。そこは上手く使えば良いんだって。クロノにはそうできる余力がたくさんあるんだから」
「あなたをとても愛していると知っていたのに……」
「……うん?」
「ずっとうわ言であなたの名を呼んでいた」
「あ……そうなんだ?」
「……なのに急に出てきた私に嫉妬もしないから、とても腹が立った。ノアはこんなにもあなたを想っているのに、って」
「あ……ああ……えっと。そう?」
「私を連れて行くことに反対しなかった」
「……うーん。だね。クロノがそうしたいなら、って」
「ノアのことをどう思っているの?」
「……大好きだよ、この世界の中で、誰よりも。一番にね」
アメリの薄く笑った顔に、ティアーナが頬を赤く染めて俯く。
浅黒い肌に映える、鮮やかな色の布を纏っている。その布を両手で握って、ごしごしと洗うように揉んでいた。
「……あなたにまだ言ってないことがひとつある」
「なに? なんのこと?」
「あの薬草……すぐにでも止めた方がいい」
「あら。……そうなんだ?」
「量が……多過ぎる」
「体に悪い?」
「……心に……悪い」
「おっと……そりゃ大変だ」
急に香を止めてしまって起こり得ることをティアーナから聞き出す。
今までに中毒性や、依存性がある薬物を摂取した人たちをそれなりに見てきた。
ティアーナから聞いた話はどれもそれに当て嵌まる。
そして、それはクロノも同じく。
仕事柄、どれほど苦痛が伴うかを嫌という程見聞きし、知っている。
「……と、言うことなので、クロノ」
「……うん」
「縛る?」
にやにやと笑いながらアメリは太い縄を振り回す。
クロノは片手で自分の顔を撫で下ろして、重たい息を吐き出した。
「自分で縛ってよ? 私の力じゃ解けちゃう」
「腕はアメリが……自分では無理だ」
「あ、そっか。……うーん不安だな、ハルに頼もうかな」
「……勘弁してくれ……」
「冗談だってば……まぁ、頼んだら大喜びで縛ってくれそうだけどね」
「……だから嫌なんだ」
あちこち縛り、寝台にクロノは仰向けの状態で括り付けられる。
香炉を外にいるティアーナに渡して、処分を頼んだ。
アメリは部屋の窓を全開にして、クロノの腹に飛び乗った。
「……ずっと側にいる」
「……ああ」
「叫んでも、怒っても、全然怖くないからね」
「……ああ」
「かわいそうだと思っても、絶対に助けてあげない」
「……うん」
「大丈夫だから……すぐ終わる」
「……アメリ」
そうして欲しいのだと分かって、アメリはクロノにぎゅうとしがみついて、口付けた。
「手に負えなくなったら、お腹殴っていい?」
「……ああ。どうせなら気が失せるほどにしてくれ?」
「分かった。遠慮なくいくから、任せといて?」
額をくっつけたままくすくすと笑い合う。
香の効果が抜け切るまで誰にも邪魔されず、しかし周囲に支えられて乗り切った。
本人も、それ以外も、もう大丈夫だと認めたのは、十日を過ごした後だった。