ふたりのうちのひとりは。
本編からだいたい30年後のお話です。
この国の西端にあるスミスは城塞都市で、隣国と川を隔てて長く境を接している。
国境の大きな川には大きな中州があり、かつてはこの国の領地。
隣国の宝石産出地域を簒奪しようと奸計を企てたのが、その中州の領主。
浅はかな領主と小狡いその従者が企てた火種は大きくなる前に揉み消されて終わった。
隣国と結ばれていた友和をさらに強固にするために、この国は領地を手放して、二国間の中立地帯とした。
隣国に迷惑料を支払った形で痛み分け。
その中州が中立地帯となってから、もうすぐ三十年目を迎えようとしていた。
近郊にある件の鉱山はもともと宝石の産出量もそれほどなく、ほぼ掘り尽くされ、閉山を余儀無くされていた。
三十年の間に、ただの山だった地域に町ができ、より裕福な暮らしを求めてさらに人が人を呼び、町はどんどん大きくなった。
大きくはなったが、鉱山からの収益はこれ以上見込めない。それどころか減る一方、辺りを掘り起こしてみても鉱脈の気配すらない。
富を求めてやってきたはずなのに、わずかに出てくる石を奪い合う羽目になる。
小競り合いだった騒ぎは波紋の如く広がって、その余波が王城にまで届く。そうなってようやく隣国の王は軍を派遣して、ことの収拾にあたると決めた。
もちろん、こちらの国に何の影響も及ぼさない、なんて都合のいい話はない。
膨らみきった町は人を溢れさせ、行き場を失った人々は中立地帯を越えてスミスまで流れてくる。
その人々全てが善良である訳もない。
ここ数年で城塞都市の治安は悪くなる一方。
スミスの騎士だけでは対処できなくなっていた。
そうなれば我が国も静観していられない。
クロノとハル、アンディカは隣国の王軍と協力態勢を申し出る、という内容の王陛下の親書を携えて隣国に渡ることになった。
話は上手く運び、双方で如何に痛手を軽くするか協議され、そこから騎士団と王軍と民との、我慢を強いられる争いが続いた。
クロノが隣国に出向いてふた月、屋敷で良い子に過ごしていたアメリの元に知らせが届く。
クロノとの連絡が途絶え、動静が不明になった、というものだった。
屋敷の玄関広間には大きな円卓が持ち込まれている。
情報の収集がアルウィンの小さな仕事部屋や、屋敷三階にあるクロノの執務室では間に合わなくなっていた。
これはクロノがこの国を発つ前、陛下から命を受けてすぐに用意されていたものだった。
「……あー。どうしようか、ねぇ……」
「……とりあえず卓からどけてもらえませんか、奥方様」
円卓の端に尻を乗せて腕を組んでいるアメリに、眉を顰めたアルウィンが苛々とした声で手を振った。
「……こんな紙切れ一枚寄越されただけでは、なんとも」
「ああ……しかもハルやアンディカから何も無いというのも引っ掛かる」
ローハンは卓の上に広がった知らせを指先でぺらりぺらりとめくっていた。
ふむと息を吐き出してエイドリクが椅子の背もたれに体重を掛ける。
この場には緊迫した雰囲気はなく、かといって呑気に構えているのでもない。
どうかといえば、困惑している、という空気が漂っていた。
知らせは隣国の王軍、将官の名が記されていた。
全て偽りだとも思えないが、同行しているハル達から何も無いのも気にかかる。
切迫して事態が悪いほど、知らせて然るべきのはずなのに。
「……ちょっと……」
「それ以上は言わないでもらいたい」
「えー? 私、まだ何も言ってないよ?」
「予想は付きます」
「じゃあ止めないでよ」
「……気懸りを増やさないでいただきたい」
「んー……だから私のことは心配しなくていいよ」
「ではしません、とはいきません」
「でもアルウィンもエイドリクも動けないでしょ? 他のみんなも忙しいし……手が空いてるの私だけじゃない?」
「そこまで人手不足ではありません」
「でもね? この手紙が本当に向こうの偉い人が送って来たんだったら、それなりの人が行った方が良いよね?」
「それは奥方様でなくてもいい」
「……ローハンとか?」
「そうです」
にやりと笑ったアメリに、アルウィンはますます顔を顰める。
アメリがクロノ以外と長距離移動といえば、それはローハンが最適で、それ以外はクロノが許さない。
そのローハンは笑いを堪えたような顔をして黙ったままでいた。
アルウィンは卓に肘を突いて、重そうにして額を支えている。
「本当にやめて下さい」
「私が言うこと聞くと思ってる?」
「思ってなくても言わせてもらいます」
「んもう、分かってるなら言わないでって」
「言わないといつまでたっても分からない」
「埒があかない!」
「……それはこちらの言うことです」
よし、とアメリは両手を打ち鳴らす。
「じゃあ、ちゃちゃっと用意してくるから、ローハン!」
「……ええ、どうぞ」
「どうぞじゃない」
「まぁ、もう埒があかないので、諦めましょう」
そういうこと、と笑ってアメリは駆け出す。広間の中央にある階段を一段ずつ飛ばしながら上っていった。
「アメリッサ! 弓も持って行け!」
踊り場でくるりと振り返ると、声をかけたエイドリクににっと笑う。元気よく返事をしてまた階段を駆け上がっていった。
「……無理なことは自分からはしませんし」
「それなりの力量はあるからなぁ」
「これが男なら……奥方様じゃなかったら止めてない」
「……ああ……そこは」
「うん……どうにもできないな、俺にも」
舞い込んできた知らせよりも面倒で厄介なことになった気がして、アルウィンは唸りながら両手で頭を抱えて髪の毛をかき回す。
「気を揉んで疲れるだけだぞ」
「……損な性分ですね」
お気楽に構えたエイドリクとローハンに、アルウィンがくどくど文句と愚痴を垂れ流していると、荷を背に回したアメリが階段の手すりに腹を乗せて滑り降りてくる。
勢いがつき過ぎて飛び出た支柱に強かに横からぶつかり、あ痛! と叫んで腕をぐりぐり撫でている。
ひとりは大きくため息を吐き出して、ひとりは苦笑い、残りのひとりはぶはっと笑い声を上げた。
「分かってるな、ローハン」
「心得てます。任せて下さい」
「頼むぞ、本当に」
「大丈夫だよ? ねえ?」
「ローハンの言うことをよく聞くんだぞ」
「はい!」
「……アルは何もないのか」
人差し指を振り上げて何かを言おうと力を込めていても、ぐっと指をさしたまま歯を食いしばっていた。
しばらく無言の訴えをして、感情を抑え込むのに成功すると、アルウィンは力なく手を下げる。
アメリも無言でこくこくと頷いていた。
にやにや笑いながら。
「………………お気をつけて」
「はい!」
高い山に頂いた雪がゆるみ、日に日にその範囲を狭くしていた。
季節は初夏。
緑は陽の光をめいいっぱい受けようと色を濃くしている。
アメリとローハンは先ずは手紙の送り主に会うために、隣国を目指す。
治安のよくないスミスを素通りして、中立地も抜け、そのまま隣国に入る。
産出地ウルビエッラの近郊の小都市、ルマダーマの領主邸に案内された。
別荘地が王軍に借り上げられて、本来なら静かなはずのその場所は武器を帯びた人々で、物々しい上にむさ苦しい。
七日間かけて走り抜け、いい加減疲れた身体をあちこち伸ばしたりひねったりしているところに、後ろから大きな声がかかる。
「あー、くそ! 入れ違った!!」
「ハル?!」
ハルは馬から飛び降りると走り寄り、アメリの足が浮くほど抱きついた。
「こうなると思った! なんで止めなかったんだ!」
話の後半は苦笑いのローハンに向けて言っている。
「止めても止まらないのに止めませんよ」
「んもー……! 知ってるけど!」
「……じゃあなんで怒るかな」
むぎゅむぎゅ抱きしめたあとは、アメリの両方の頬をむぎゅむぎゅとこねて、ハルは大きくて太い息を吐き出す。
「……疲れたでしょ」
「んーまあ。でも平気」
「知らせを出したって聞いて、急いで追加の知らせを送ったんだよ……アメリが来ちゃうと思って」
「あれ? 来ちゃダメだったの?」
ふいと顔をそらすと、ハルはくしゃりと顔を歪める。
何も言いださないその様子で、困惑は心配に姿を変える。
「……アンディカは?」
「……スミスにいる」
「そう……とりあえず、その、手紙を送ってくれた人に会えるかな」
「……おいで、紹介するよ」
「ありがと、ハル」
「……アメリ」
「……うん?」
「僕らに気遣いは要らないよ」
「……なに?」
「……無理に笑わなくっていい」
「ふふ。ありがとう、ハル」
手紙の送り主は王軍の最高位にあたる人物で、軽く挨拶を済ませ、ことの経緯を聞いている間、アメリはきりとして表情を変えなかった。
前を向き、背筋を伸ばし、分かりやすく『武人の妻』を貫いた。