百舌鳥(もず)の速贄(はやにえ)
「コンドハ ボクノ バンネッ!」
そう叫んだチャンプアが右足を斜め前に大きく踏み出した!
〝左かっ!?〟
左の蹴りと読んだ蹴速が両腕を自らの右側で揃え、右足も上げて防御の姿勢に入る。
ハイ・ミドル・ロー、どの蹴りが来ても受ける事が出来る3点ガード…当麻流ではこの防御法を〝櫓〟と呼ぶ。
この場合、右側面を防御しているので〝右櫓〟という訳だ。
読み通り、左ミドルが蹴速の両腕を鞭打つ。
しかも櫓の型に入るのとほぼ同時という恐るべきスピードで。
一瞬反応が遅れれば喰らってしまう…そんな閃光の如き一撃であった。
〝さ、流石に速ぇな…〟
面食らった蹴速だが、堅固たる城壁はチャンプアの攻撃を確かに受け止めている。
しかし!
チャンプアはそこで止まらなかった…
その蹴り足は、地に着くや否や再び宙に舞う。
そして寸分狂わず先と同じ箇所へのミドル!
更にミドル!
又もミドル!!
執拗に…狂った様に…ミドルの連打を放って来る!
蹴速に反撃の暇も与えない。
実際に蹴速は、ガードの体勢のままで釘付けにされている…
まるで生きたまま張り付けにされる百舌鳥の速贄である。
〝ぐ、ぐぅ…っ!〟
1発目で既に腕の痺れを感じていた蹴速。
それが3発、4発と連打で叩き込まれているのだ…平気な訳が無い。
しかもそれは未だ止まらぬどころか、更に加速度を増しているようである。
〝な、何食やぁそんなスタミナになんだよ…?〟
蹴速がそう思うのも当然である…
ムエタイに於いて左ミドルは、ボクシングの左ジャブに等しい。
それ故に連打出来るよう、1分間連続で左ミドルだけを打ち込む練習なども行うのだ。
5発、6発…
腕の感覚が消えゆく…
それでも歯を噛みながら必死に堪える。
だがチャンプアは、ガードされようが知った事かっ!とばかりに連打を塗り重ねて来る。
やがて10発も受けた頃だろうか…
〝も、もう持たねぇ…〟
ついにチャンプアの破城槌が堅牢なはずの城壁を貫いた!
「ごおぉぉっ…!!」
太い空気の束を吐き出し、身体を〝くの字〟に折る蹴速…
だが、しっかと足で地を掴み、ダウンだけは免れている。
しかしチャンプアが黙って見ているはずも無く、位置のさがった蹴速の頭部に〝首輪〟を掛けに迫るっ!
ムエタイ随一の必殺技とも呼べる〝首相撲〟を狙っているのだ!!
それだけは喰らえぬと、蹴速がチャンプアの腕を跳ね退けようとするが…
〝あ、あれ…?〟
動かない…動かないのである。
執拗なミドルキックを喰らい続けた両腕は、既に正常な機能を果たさなくなっていたのだ。
残酷な様だが、これは蹴速のミスと言わざるを得ない。
本来ムエタイの蹴りは、出来るだけ腕でのガードは避ける物である。
かわせる蹴りは全てかわす。
かわせぬ場合でも、ローやミドルは足を上げて脛で受ける。
腕でのガードは緊急時のみ。
それを怠ると蹴速の様に腕が使い物にならなくなる…
〝マ、マジでヤベェわ…〟
呼吸も整わぬ内から首相撲に捕らえられてしまった蹴速だが、幸いな事に身長と体重では自分に利がある…
不恰好だろうが滑稽だろうが、形振り構っていられない。
罠にはまった獣の様に、身を振り、暴れ、必死に足掻く!
その甲斐あって、首から下がっていた〝大きめのネックレス〟は、すっぽり抜けて地に転がってくれた。
地に尻をついたチャンプアが、驚いた表情で蹴速を見上げている。
その隙に間合いを取って回復を図る…
先も使った〝十一〟の呼吸法を繰り返し、乱れていた息を何とか整えた。
「ヘェ…チョット ビックリシタヨ ヘビーウエイト 二 スクワレタネ?」
チャンプアが照れ臭そうに笑いながら、ゆっくりと立ち上がる。
確かにチャンプアの言う通りである。
もし同じ体格だったなら…
それを考えると蹴速はゾッとする思いだった。
だが真剣勝負に〝たら〟〝れば〟は無い。
この肉体とて鍛練の末 手に入れた〝武器〟なのだ。
ましてやこれは試合では無く喧嘩…
〝路上の現実〟に於いて体格差云々を言うのはナンセンスである。
「へへへ♪ヘビーウエイトが相手じゃ怖いかい?ならとっとと逃げ出せばどうだい?」
「ニゲル? マサカ!」
「よかった、安心したぜ」
「キミコソ イマガ ニゲル チャンス ダッタノニ ザンネンダッタネェ♪ 」
「けっ!喧嘩売った俺が、途中で逃げるなんてクソダセェ真似出来っかよ!」
こんな僅かな会話の時も、今の蹴速には値千金だった。
お陰で呼吸も整い、完全とは言えないまでも腕の感覚も戻っているようだ。
それを確かめる様に、何度か手をグッパーと開閉する…
〝よしっ!これなら…〟
蹴速の目に光りが戻り、再び当麻流蹴体術の構えに入る。
「ヒュ~♪」
それを見たチャンプアが口笛を鳴らした。
「どした?オメェも構えろよ…さあっ!続きを楽しもうぜ♪」
「タノシム…? ボクハ タノシメル ケド キミハ クルシムダケネ…」
そう言って構えたチャンプアは、明らかに空気が変わっていた。
カミソリで切った様な目は据わって更に細くなり、絶やさなかった口元の笑みも消えている…
ユラユラと揺れる両腕は、鎌首をもたげる蛇を連想させた。
それを見た蹴速は直ぐに理解した。
チャンプアがこの闘いを終わらせに来るという事を…