オッズの理由
高柳の試合当日がやって来た。
既に会場に着き、掛け金の支払いも済ませてある。
初戦という事で、蹴速のデビュー戦の時と同じ2900ルーブル…日本円で約5000円を納めた。
〝納めた〟と言っても、勝てば倍以上になって戻って来る性質の金である。
当然敗ける気など微塵も無い高柳からすれば、〝納めた〟では無く〝預けた〟という感覚であろう。
しかし…見知らぬ土地で見知らぬ相手との立ち合い…もし敗ければ、せっかく蹴速の稼いだ金も丸々消えてしまう。
プレッシャーが無いと言えば嘘になる。
何度か打ちのめされる場面が脳裏に浮かびそうになるが、その度に首を振ってはそれを掻き消した。その様子を見ていた蹴速…
「兄やん…ひょっとして緊張しとる?」
「あん?」
「さっきからやたら首振ってっからさ、自分が敗けるイメージを慌てて消してんのかなぁ…と思ってよ」
「ア、アホかっ!あのアントニオ猪木の〝出る前から敗ける事考えるバカ居るかよっ!!〟って名言知らんのか?しょうも無い事言うとったら、お前もあのアナウンサーみたいに東京ドーム張り手喰らわすぞ!」
「……ちょっと何言ってっか解んねぇわ…」
「はあっ!?お前、あの東京ドームで行われた猪木vsベイダーの一戦を知らんのかいやっ!?」
「知らねぇし…猪木vsベイダーのはずが、何でアナウンサーが張り手喰らってんのさ?」
「かぁ~っ!これがジェネレーションギャップっちゅう奴かぁ~…ええか?東京ドーム張り手ってのはやな、試合前の猪木にインタビューしたアナウンサーが〝敗ければ引退ですか?〟なんてアホな事を訊いてやな、それに怒った猪木がさっきの名言と共にアナウンサーにビンタを喰らわせたんや。それをプロレスファンは〝東京ドーム張り手〟と呼んどるんや!解ったかっ!?」
熱く語る高柳に対し、途中で飽きたのか欠伸をしながら聞いていた蹴速。
ようやく高柳の話が終わると…
「……そんな事より…」
「そんな事って何やねんっ!人が一生懸命話したっちゅうのにっ!!」
「そない地団駄踏んでまで怒らんでも…」
「怒らいでかっ!」
「まぁそうナーバスならずに自信持てよ」
「へ?」
突然優しい表情で〝自信を持て〟と言った蹴速に、高柳の怒りも急ブレーキが掛かった。
「兄やん…初めて会った時の事を覚えてるか?」
「勿論や…あんな失礼極まり無い出会い、忘れる訳あらへんやろが」
「ハハハ…まぁそう言うなって!あの時に俺言ったよな?〝アンタ凄ぇな〟って。兄やんは俺から綺麗に一本取った男なんだぜ?だから自信持ってくれなきゃ俺が困るんだわ♪」
「……」
突然持ち上げられて黙ってしまった高柳。
返す言葉を探しているタイミングで、ようやくアレクセイが現れた。
「オソク ナッテ スマナイ…ン?ナニカ アッタカ?」
妙な空気を感じたアレクセイが問うが…
「何でも無いさ。なぁ兄やん?」
「フッ…あぁ…何でもあらへん」
2人はそう答えると、顔を見合わせて微笑むだけだった。
それをアレクセイが不思議そうに見ていると、運営の人間が駆け寄って来た。
そして二言三言アレクセイに話し掛けると、足早に去って行く。
「ソロソロ リング 二 ムカエトヨ…ソレト オッズ ガ デタラシイガ…アイテガ8 オマエガ2 ソンナ カンジダトヨ…ドウダ?モエテキタロ?」
「へっ!見くびられたもんやで…上等やないの!そのオッズひっくり返して、俺に掛けた奴等を大儲けさせたろやんけっ!!」
そんな台詞と共にリングへ向かう。
そして先にリングインし、蹴速のマッサージを受けながら対戦相手である〝アレクサンドル・ギガント〟の入場を待っていると、突然観客達の間で悲鳴とも歓声ともつかない声が響き始めた。
その理由は直ぐに解った…
一目瞭然とはこの事である。
胸から上が観客達の頭より高い位置にある男が、ノッシノッシと近付いて来るのだ…
それを見た高柳が思わず呟く…
「ひ、1人民族大移動…歩く人間山脈……」
どちらも〝大巨人〟と謳われたプロレスラー、アンドレ・ザ・ジャイアントの代名詞である。
そう、目の前に現れたのはアンドレにも引けを取らぬ巨躯を誇る男だったのだ。
口をパクパクさせながら唖然とする高柳…
その耳元でアレクセイが言う。
「ヤツノ ナマエデアル ギガント…キョジン ト イウ イミダ…デハ ガンバレ!」
「デハ ガンバレ!じゃねぇよっ!俺の相手はキックボクサーやったんと違うんかいっ!?プロレスラーが相手やなんて聞いとらへんぞっ!」
「ン?ヤツハ ホントウニ キックボクサー ダッタ オトコダガ?」
「マ、マジかいや…?あのガタイで…?」
納得いかない高柳をよそに、蹴速までが無邪気な声を挙げた。
「ホェ~!でっけぇなぁ♪こりゃオッズが8:2なのも納得だぜ…と、言う訳で兄やん!デハ ガンバレ!」
「クッ!お前らぁ~…揃いも揃ってぇ~…よっしゃわかった!こうなったら観客どもの度肝抜いたろやないかいっ!!」
表向きはそう言ったものの心の声は…
〝無理無理無理無理っ!こんなん「高柳、ロシアに死ス」のフラグやんけっ!!〟
しかしそんな心の声が届くはずも無く、レフリーが無情にも両者をリング中央に呼び寄せたのだった。




