専売特許
「ハァ…ハァ…ハァ…ちぃ~とばかしダイエットした方が…ハァ…ハァ…いいかもな…俺…ハァ…ハァ」
そう言うと蹴速は、鼻から大きく息を吸って呼吸を整えた。
そして再び口を開く…
「しかしアンタ足が速いねぇ…なんにせよやっと追い付いたぜ♪」
前に立つ若いタイ人は、息1つ乱さぬまま切れる様な冷たい視線を蹴速へと送っている。
それを受けた蹴速は困り顔でポリポリと頭を掻いた。
「ま、そりゃそうか、日本語解る訳ねぇよな…
でもひょっとしたら英語は通じるかな?
えっとこういう時は…キャナイヘルプユー…じゃなくて…あっ!そうそう!キャニュスピークジャパニーズ?
いや!間違えた!キャニュスピークイングリッシュ?」
相変わらずカミソリの様な視線でそれに答える男。
「ナンド マチガエレバ キガスム?
マァ…ドチラモ ハナセルケドネ…」
「あ…日本語話せるんだ?そいつぁ助かるけど…なんでまた?」
「チチオヤノ シゴトノ カンケイデ ニホン スンデタ…ソレヨリ ボクニ ナンノヨウ?」
そう問う男は蹴速の全身を睨めた。
一挙手一投足も見逃すまいとばかりに…
蹴速が少しでもおかしな動きをすれば、闘うにせよ逃げるにせよ、どちらにも直ぐ対応出来るだけの心身の準備…
他愛ない会話の中でも、この男が警戒を解いていない事が窺えた。
「おほっ♪いいねぇ…その目付き。知らない奴が追って来た上に、それが外国人となりゃ警戒すんのも当然だわな。むしろ警戒しないような奴じゃ、俺としても拍子抜けなんだが…」
舌舐めずりする蹴速だったが、男はあっさりとそれに背を向けた。
「お、おいおい…ちょ、話はまだ終わってねえよ…」
引き止める蹴速に首だけで振り返ると男は…
「ボク ナンノヨウカ キイタ…キミ ヨウジ イワナカッタ ダカラ サヨナラ」
そう言って歩き出してしまった。
「いや…ゴメンて…ちゃんと用事はあるからよぅ…そんなツレねぇ事言うなってばよぅ…」
185cm 100kgを超える大男が身を捩りながら猫撫で声で言う様は、ただただ滑稽としか呼べないが妙な愛嬌も感じさせた。
それが功を奏したのか、男が再び足を止め振り返った。
「ジャア ハヤクイッテ ボク イソガシイ」
「なら遠慮なく…そらよっ!!」
いきなりのハイキック!
しかしそれはブンッと唸りをあげながら、虚空を通過しただけだった…
奇襲だったにも拘わらす、男がダッキングでかわしたのである。
「へへ…やっぱ流石に当たんねぇか…」
シレッと言いながら人差し指で頬を掻く蹴速。
「ナニスルカッ!アブナイヨッ!!」
叫んだ男は既にファイティングポーズを取っていた。しかしそれはムエタイ独特のあの構えでは無く、前傾姿勢のクラウチングスタイル…
「へぇ…アンタ、ボクシングもやるのかい?」
「……」
問いに男は答えない。
「さっきよぅ…デブのオッサンとアンタが喧嘩してんの見ちゃったんだわ…喧嘩の原因を訊くつもりは無えさ、どっちが悪いかなんて知った事っちゃ無え。ただよぅアンタに興味が湧いちまってさぁ…」
「キョウミ?ワク?イミ ワカラナイネ…」
男が訝しむ目で言うが、構えは解いていない。
「あぁ…悪い悪い。えっと…解りやすく言うならよ、俺もアンタと喧嘩がしてぇんだわ。
だからよ…ファイト ウィズ ミー!!」
「ナゼ ソコダケ イングリッシュ?」
呆れ顔で男が訊く。
「あ…いや…なんとなく格好いいかなぁなんて…ハハハ…ウワッ!!とと…」
今度は蹴速が頭を下げた!その上スレスレの所を凄まじい速さの〝何か〟が走り抜ける。
気のせいだろうが、心なしか空気が焦げ臭くなった様な気がした。
「へ、へへへ…っぶねぇなオイ…油断させといて肘打ちを一閃とは恐れ入ったよ…奇襲は俺の専売特許じゃ無いって訳ね…」
自然と吹き出た冷たい汗を拭う…
「イッセン…センバイトウキョウ…キシュー…アナタノ コトバ ムズカシイネ」
ニヤニヤしながら言う男は、知らぬ間にアップライトの構えに変わっていた。
「うん、センバイトウキョウじゃ無くてセンバイトッキョなっ!トッキョ!!まぁそれは置いといて…アンタがその構えを取ったって事は、俺の言った事を理解した…そう受け取って良いんだよな?」
「ウン…トッキョ!オボエタネ♪ センパイトッキョ!」
「いや、その事じゃねぇよっ!しかも今度はセンバイがセンパイになってるしっ!!センバイトッキョ!!」
「センバイ…トッキョ…センバイトッキョ!
コンドコソ オボエタネ♪」
「そりゃ、よ~ござんした…
言葉だけ覚えても意味知らなきゃ使えねぇだろっつ~の…ったく何か調子狂う野郎だな。とにかく俺とファイトしてくれるんだよなって訊いてんのっ!」
男は答えず、上体をユラユラと揺らしながら前足でトントンとリズムを取り始めた。
「へへ…言葉より明確な返答をありがとうよ♪
さて、ならとっととおっ始めますか!」
そう言って蹴速も構える。
少し重心を落とした半身の構え…
手は拳では無く開かれたまま、右手が顎の直ぐ前、左手はその30cmほど前方に添えられている。
足は踵を上げないベタ足で肩幅ほどに開かれていた。
見ようによっては、竹刀を持たぬまま剣道の構えを取っている様にも見える。
それは独特で異質な構えだった。
その構えを見て、男は明らかに戸惑いを見せている。
そこへ蹴速が声を掛けた。
「よぅ…アンタ、名前は?ワッチャネーム?」
「…チャンプア……チャンプア・ソーシリパン」
「チャンプアね…じゃあチャンプア…悪いけどよ…こっちから行かせて貰うわっ!!」
第50代目 当麻 蹴速
世界蹴撃紀行 第1戦となるvsムエタイ戦が幕を開けた!!




