奈落
「カハッ…!」
イリューヒンの蹴りを受け、蹴速の頭部が大きく弾けた。
あの蹴速が、素人同然の男の放った蹴りをまともに喰らったのである。
しかし…そこにイリューヒンの喧嘩屋ならではの〝テクニック〟が仕込まれていたのを、ここに居る全員が目にしている。
勿論その1人である高柳が、アレクセイに対して声を荒げた。
「野郎!砂と靴を!あんなのアリかいやっ!?」
「ノープロブレム」
視線を試合場に向け、微動だにせぬままアレクセイが答える。
「ノ、ノープロブレムって…」
「イッタハズダ…ココハ スポーツ ヲ スル バショデハ ナイト」
「い、いや…まぁそうだけどよ…」
唇を尖らせた高柳…
「シカシ…カンチガイ スルナ オレガ ノープロブレム ト イッタノハ ケハヤ ノ コトダ」
「へ?」
尖らせていた唇を引っ込め、試合場に視線を戻す高柳。
するとそこには…
鑪を踏み後退しながらも、口角を吊り上げて嗤う蹴速の姿があった。
まともに喰らったかに見えた蹴りだがその実、前頭部…つまり額に近い部分で受けていたのである。
「へへへ…参ったね…砂を蹴るのは見えてたんだが、まさか靴まで飛ばす三段構えとはね♪
そうかよ…アンタァそういうのが好みかよ…
OK!OK!俺も嫌いじゃねぇぜそういうの…ならこっちもそれなりのスタイルで〝おもてなし〟しなきゃ失礼にあたるよな?」
日本語なのでサッパリ通じていないはずなのだが、イリューヒンはニコニコしながら数回頷いて手招きまでして見せた。
「じゃ…遠慮なくヤラせて貰うぜ♪続きを楽しもうか…ご同輩」
蹴速の構えが変わった…
先程までの極度に低い重心、あれが嘘の様にスラリと伸びている。
ベタ足だった足先も踵が上がり、数回軽やかなステップすら踏んで見せた。
アップライトのボクサーに近い構えだが、拳は握られず掌が開かれたままとなっている。
当麻流蹴体術の構え…「風花の構え」である。
その名の如く、風に舞う花弁の様にフットワークを重視した構え…
どうやらイリューヒンの〝喧嘩技〟に対処すべく、軽やかに動ける構えを選んだらしい。
これを見てイリューヒンが〝ちょっと待った〟とばかりに蹴速へと掌を向ける。
そして片方だけ履かれている靴を脱ぎ捨てると、ウインクしながら指でOKサインを作って見せた。
ここでレフリーが促す様に「ファイッ!」と叫び、ようやく試合が再開された。
必要以上に首を左右に振りながら、蹴速の周りをピョンピョン跳ね回るイリューヒン…
動く度に後ろで束ねた長髪も跳ね、まさにポニーテールの名の通りに馬の尾を連想させた。
それに対し蹴速はあまり動き回らず、イリューヒンを正面に捉える様にしながらその場でステップを踏んでいる。
「へへへ…チョコマカとよく動く奴だな♪知ってっか?この世界じゃあ弱い奴が強い奴の周りを動き回るってのが定説なんだぜ♪来なよ…弱い奴の方からさ!」
これも日本語ゆえ勿論イリューヒンには通じていない。
しかしこの直後、蹴速の言葉通りにイリューヒンから攻撃に転じる。
ずっと左回りにステップしていたのを突然逆サイドにステップを踏み、蹴速の動きを止めてから一気に間合いを詰めた!
そして飛び込みながら右でのロングストレート!
しかしその拳は異様な形を示していた…
拳は握られているものの、親指だけが突起物の様に飛び出ていたのだ。
それが蹴速の目を狙っているのは明らかだった。
「野郎!今度はサミングかよっ!?」
思わず声を出す高柳。
しかしその心配と憤慨は杞憂に終わる。
僅かに首を振りそれをやり過ごした蹴速、イリューヒンの伸び切った右脇下から左手を差し入れ背後にまで伸ばすと、そのまま跳ねていた馬の尾をガッチリと握った!
そしてそれを思い切り引き下げると、イリューヒンの身体がブリッジするかの様に仰け反る…
そのまま後方へ倒すのかと思いきや、がら空きの鳩尾に肘を1発!更に喉元へと手刀を叩き込みながら地に打ち伏せたのだ!
当麻流蹴体術「奈落」……
もはや名前の通り過ぎて、一切の説明が不要な技ではあるが…
伸び切って無防備な状態の鳩尾へ肘…
鍛えようの無い喉への手刀…
それらを喰らいながら、後頭部から地に叩きつけられるのである…
まさに奈落へと落とされる絶望感であろう。
そして当然ながら…
鍛えた肉体すら持たぬイリューヒンが立てる訳も無く、この一撃をもって試合は幕を閉じたのだった。




