旅立ち
次々と幕内力士に野試合を挑み、ついには横綱までを倒した男が居る。
その男、神話の時代から秘密裏に継承されて来た武術を使い、自らをこう名乗った…
第50代目・当麻 蹴速と。
(ここ迄は拙作の完結済み短編〝辻蹴り〟を参照下さいませ)
横綱・金色丸との邂逅から1週間が経つ。
〝世界に出て自らの力を示す〟
あの場でそう大口を叩いたものの、蹴速はまだ日本に居た。
浅草にあるボロアパートの一室で、床に広げた世界地図を睨みながら首を捻っている。
あっちを指差しては首を振り、こっちを指差しても首を振る…
かれこれ1時間ばかしもそんな事をしていたが、やがて納得したかの様に頷くと
「うん、やっぱ最初はこの国だな…」
そう呟いて地図を畳んだ。
それから3日後、蹴速は成田空港に立っていた。
だが、これから海外を飛び回るとは思えない佇まいである。
手荷物は最低限の物だけらしく、然程大きくも無いスポーツバッグが1つだけ…
服装もロックバンドのロゴが入っている着古したTシャツに太めのデニム、足元にはかなり汚れたスニーカーを履いている。
まるで近所のコンビニにでも出掛ける様な軽装だった。
そして極太のウォレットチェーンで繋がれた長財布には、この1年アルバイトで必死に貯めた〝虎の子〟の30万が入っている。
まだ19歳で実質無職の為、当然ながらカードは持っていない。
まさかこれっぽっちの金額で世界中を回れると思っているのか?と思いきや実はこの男、ちょっとした秘策を胸に抱いていた。
・ー・7時間後・ー・
「ふぃ~…流石に暑っちいなぁ…」
独り言を言いながら額の汗を拭う。
蹴速の降り立った地は、空港を出るなり異様な匂いが鼻をついた。
酸っぱいような…それでいてスパイシーな匂いが、街全体を包んでいる様だった。
しかし決して不快な物では無い。
〝グゥ~…〟
「腹減ったな…先ずは腹拵えかな…」
蹴速の腹の虫を騒がせたのが何よりの証拠である。
脇に挟んでいたガイドブックを開き、食事が出来る所の目処をつけると空港近くのタクシー乗り場に向かった。
そして車に乗り込むと、陽気な笑顔の運転手へこう告げる。
「バンコク市内の美味い飯屋へ」
そう…蹴速が最初に選んだ国は〝微笑みの国〟タイだった。
そしてターゲットは当然ながらタイ・ボクシング…所謂ムエタイである。
〝さぁて…腹拵えして寝床見つけたら、早速 敵陣の視察といきますか♪〟
第50代目・当麻 蹴速の世界〝蹴擊〟紀行はこうして幕を開けた…