クリスマス
日本のクリスマスについて、自分の考えたこと。
某年の12月25日、知り合いのなろう作家さん達が、「メリークリスマス!」と活動報告で言っているのを見て、私も何か報告しようと思ったのですが……
「そもそも、クリスマス(イブ)って、何?」
と思ってしまって、筆が止まりました(苦笑)
いやー、私が捻くれているのかもしれませんが、クリスマスイブって、結局のところ、『七面鳥とケーキを食べる日』ですよね。日本だとそれ以外何の特別性もなく、宿題は普通にあるし、残業だって当たり前。
「クリスマスを祝う前夜祭でしょ?」と思ったそこのあなた。あなたはキリスト教信者の方なんですか? いや、それなら分かります。キリストの生誕を祝うのは、信者にとって当たり前。どうぞ良い日を。
……が、しかし、そうでないなら別です。あなたは何のためにクリスマスを祝うのですか? キリストを信じてる訳でもなく、自分が何のために、やれ「クリスマスだ!」とか、やれ「メリークリスマス!」と叫んでいるのかも分からずに、ただ「明日はクリスマスらしいから、祝っとこう」みたいな風潮に疑問も抱かない……こういうところがやっぱり『日本』なんですよね。重大な事件が起きても、直ぐに訂正が入れば、「そうらしいからそうなんだろう」と簡単に受け入れ、追求しなければいけないものを、次々と舞い込んでくる情報に押し流されたからといって放置する。『受け身』で『鵜呑み』な国民性には、ほどほど嫌気がさしますね。……その『なぁなぁ主義』で、日本が転覆でもすれば、少しはその自主性のなさに気付くのでしょうけれど。
「いや、そんなことはないだろ」と思う人もいるかもしれません。「多文化でいいじゃないか」とか綺麗事を並べてくるかもしれません。……そうかもしれない。多文化ですね。でも、結局のところ、国民がその文化について何も知らないようでは、それは多文化などではなく、ただの『国家ぐるみの商業戦略』なんじゃないかと思うのです。
だってほら、クリスマスといえば、無駄に明るいイルミネーション、カップルでうじゃうじゃ歩き回わる、頭の緩いリア充(偏見)、そして、大抵の家庭で食べるであろう一年に一度の七面鳥。――ほら、完全に『クリスマスに付け込んで儲けてる方々』のニヤニヤ顔が浮かんでくるじゃないですか。どうせ、そこら中ひしめくカップル達も、舞い散る雪を見ながら「俺達も、ベットに真っ白なゲレンデつくろうな」とかほざいているのでしょうし……あ、自分が非リアだからといってこじらせてる訳じゃないですよ。どうせ、今、リア充を目の敵にしても、将来自分がその立場になったら、道行く人に『死ね!』と呟かれるのでしょうから、妬んでも仕方ないです。
――話が逸れましたが、私はリア充を否定したかったのではなく、ただ『クリスマス』という名の、良くわからない日に持ち上げられた彼らが、盛って『色々』と消費し、搾取されていく様は、莫大な消費を狙った『クリスマスの被害者』であり、哀れだな、と思わずにはいられないことを伝えたかったのです。……まあ、どちらにしろ、クリスマスがなんだかよく分かっていない分際で「メリークリスマス!」とか言いながらツイッターに画像を上げる様は、画面上でも殴りたくなりますが。
で、私は思うのです。「もういっそのこと、クリスマスをなくして、『七面鳥を食べる日!』にしてはどうか、と。クリスマス(名だけ)なんてものが日本に蔓延っているから、日本人は消費の被害者になり、恋人のいない非リア充は外を歩き辛くなり、友人からの「メリークリスマス!」コールに引き攣った顔で「メ、メリークリスマス……」と応えなければいけないのです(顔が攣るのは私だけ?)
とにかく、本当のクリスマスを祝う気がない奴は、「メリークリスマス!」とか叫んだりするな、ガチ勢の人に謝れ、ということなのです。
……まぁ、最後には『人の自由』なので、この文章も、ただの文字の羅列に過ぎないのですけどね(30分返せ!)
結論、私は、キリスト教信者ではないので、クリスマスもハロウィンも別段、祝ったりはしません。ただ『七面鳥が食べれる日』としか認識していないので。
……どうでもいい報告になりましたね。書いてて「私は何してるんだろう……」と自問自答してましたが、書き終わってしまったので、何とも言えない気持ちです。誰得なんだ……。
あ、正月は日本古来の文化なので一応祝います。新年も頑張っていきたいものです。
後悔しか、ない……と思ったけど、毎年考えてたことが暴発しただけなので仕方ない、ね。




