受け入れ難い変革─弍
ぱたん、と上の階から部屋の扉が閉まる音がした。アリアが部屋から出てきたのだろう。
「あ、アリアちゃん、丁度出てきたみたいだね」
シズハはスマートフォンをテーブルの上に置き、ソファーから立ち上がる。
階段を下りる音が聞こえてきたところで、シズハはリビングから出ていく。俺は少し経ってから後を──
「きゃっ……待って! 待ちなさいっ!」
シズハの突然の怒号が廊下から響き渡る。俺はすぐさま唖然と座り込むシズハの元に駆け寄った。
「どうした!?」
半ば焦りながら震えるシズハの肩に手を置く。
「アリアちゃん、私を見た途端……急に走り出して……」
「──ッ! 分かった、まだ遠くには行っていないはず……追いかけるぞ! 走れるか?」
無言で頷くシズハの手を強く握り、引っ張る。シズハは、俺の手を強く握り返して立ち上がった。
それにしても、何故アリアは逃げたのだろう?何かやましいことがあるにしても、リビングでの会話が聞かれていなければ逃げる理由は無いはずなのに。
──いや、今はそんな事はどうだっていい。もう時間は18時を回っているんだ。早く探さなければ……!
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「……くそっ! アリアは一体どこにっ……」
一時間以上家の周辺を虱潰しに探し回った。しかしアリアの姿は見つからない。
「次は大通り周辺を……!?」
走り出そうとした瞬間、不意に体が大きく傾いた。段差に躓いた──訳では無く、足を出した先に “地面が無かった” のだ。道の真ん中に広く穴が開いていた。底の見えない、真っ暗な穴が。
浮遊魔法を展開しようにも、穴に充たされた【何か】に魔力の循環を阻害され展開出来ず、俺は、なす術なくその穴に“落ちた”。
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「……いっ……て……何だ? 何も見えねえ……」
目は覚ました。意識はしっかりある。目は開けている。しかし視界には何も映らない。顔の目の前に自分の手を運んでも、影も形も映らない。携帯から光を出しても、何も見えない。
「……あれ? センちゃん、そこにいるの?」
何も見えないまま呆然と立ち尽くしていると、真隣からシズハの声が聞こえてきた。
シズハとは手分けして捜索していたはずなのに、どうなっているんだこの空間は……。
「突然落っこちて目が覚めたらここにいた。お前もなのか?」
「うん。気付いたら足元に地面が無くて……。浮遊しようとしてもダメ、黒い何かを吹き飛ばしてみてもダメだった」
「……俺の時と何もかも同じ、か。一体この場所は何なんだろうな」
「分からない……ただ、もしかすると……」
なるべく長い会話をし、声を頼りにシズハに近付いていく。何も見えない分、声の方向は良くわかる。
シズハの位置を確認する為に手を伸ばして──
「ひゃっ!」
「……?この感触は……」
手のひらに伝わる柔らかで暖かい感触。つい揉むように手のひらを動かしてしまった。
「ワ-ヤワラカ-イ」
「……センちゃんっ……ちょっ、ちょっ……ストーーーップ……!!」
頬に軽い平手打ちを喰らい我に返る。
「ごめん。反省してる。後悔はしてない」
「むぅ……こういうのは、もっとこう……ムードとか……って、そうじゃなくて!」
どうやら触った事にはあまり怒ってないらしい。
「うー……もう……。まあ……それよりも……この視界をどうにかしないとね」
確かに、何も見えない事には何も行動が出来ない。
「……もし、何かが光を完全に遮断しているとしたら……?」
確かに、俺達は光の反射を認識しているだけ。大元の光も、反射されなきゃ何も見えないに決まってる。
「そうなるとしたら、その何かってのは……?」
「空間を、隙間なく埋め尽くせる何か……」
「隙間なく……か。液体か気体のどちらかになるだろうけど、呼吸が出来る時点で液体の線は薄いな」
「でも……気体だとしても、光を遮るって時点でおかしいし、何より呼吸出来るならこの空間にあるのは紛れもなく空気だし……」
シズハの言っている事は何一つ間違っていない。だとしたらこの空間には何があるのだろうか?
「だったら別の何か……気体でも液体でも無く……」
空間に……
「“常に空間に充ちている何か”?」
「ああ、成程……魔力か!」
何かの干渉次第で自在に性質を変えられる魔力ならば、この現象も有り得ない話ではない。だったら話は早い。
──この空間に充たされた干渉済みの魔力を、未干渉の状態にまで戻してやれば良い。
「シズハ、少しだけ離れててくれ」
「分かった」
「──起源を辿れ──原初へ回帰せよ──其の真なる姿へと──」
こんなにすぐにこの力を使う事になろうとは思わなかった。詠唱の一節一節を口に出す度、皮膚に痺れを感じる。周囲の魔力が変質していく証拠だ。
「──今一度、真なる姿にて、この場を浄化せよ!──」
詠唱に合わせて腕を高く掲げる。そして、一筋の電撃と共に視界が一気に晴れると、そこは見覚えのある場所だった。
「……ここ、学校のシミュレーションルーム!?」
「何で……俺達はこんな場所まで……」
辺りを見渡すと、中央のモニターの前に、アリアはいた。
「……! アリアちゃん!」
「待て、シズハ。何かおかしい」
アリアに向かって走り出そうとするシズハを静止する。
「何で……っ」
「目の前良く見ろ」
「……光る……線?」
目の前の床に、一筋の光るラインが走っている。これは、シミュレーターが起動している証拠だ。あのまま進んでいれば、勝手にシミュレーションの仮想空間に入り込んでしまう。
「へえー、良く分かったね。センくん、流石の洞察力だぁ」
くるりと体を翻し、アリアの方からこちらに近付いてくる。そして、ラインの一歩手前で
「でもぉ、ちょーっと惜しかったかな」
「何を言って……っ!?」
突然背後からシズハと共に突き飛ばされ、仮想空間へと転送された。
「ふふ、ごめんね。センくん、シズハちゃん。“ボク”は、君達の真の力をこの目で見たいんだ」
転送される直前、アリアはそう言い、不敵に笑っていた。