プロローグ─弐
シズハを起こした所までは良い。しかし、問題はその後だ。
…シズハが、布団から出てこようとしない。
シズハを起こして、少しの間を空けた後、シズハの顔が幾らか紅潮したように見えたその瞬間、目の前で蝸牛が殻に籠るが如く、掛け布団にくるまってしまった。
俺は何か悪い事をしでかしただろうか
「あ、あのー…シズハ、さん…?」
困惑と不安で声が震える。実に自分らしくないが仕方ない。
布団を無理矢理にでも剥ぎ取れれば良いのだけれど、少し布団に触れた瞬間、布団の内側から勢い良く打撃され、剥ぐことは愚か布団を掴むことすらままならなかった。
八方塞がり。この状態では…待つしか策は無い。諦めて部屋を出よう。そう思ってドアの方向へ向き直った時
「センちゃん…さっき、私の泣き顔…見たでしょ」
心臓が普段より大きく跳ねたのを感じた。突然喋られて驚いた、なんてものではなく。
ただその声で、あの艶やかに滴る涙を思い出しただけの事。それだけ、それだけなのに、どうしてこうも心臓が高鳴るのだろうか。
どうして─彼女は今にも潰れてしまいそうな声で、そんな事を。
「…見てないよ」
─嘘だ。
「気遣ってるつもり…?余計なお世話…だよ」
息の漏れる音が微かに聞こえる。怒っているのとはどうやら訳が違うらしい。
「わたしの泣き顔、凄くみっともない、から…さ、センちゃんには、あんまり見せたくなかった」
息は大きく吸われ、音に揺らされながら吐き出される。
─ああ、成程。布団から出てこないのは…そういう事か。
再びシズハの隣まで歩みを寄せ、掛け布団越しに優しく肩を抱き寄せる。
「…!」
シズハの体が一瞬硬直し、その隙を見て掛け布団を引き剥がす。
案の定、察した通り、涙で歪む表情が露わになった。未だに大粒の涙が彼女の頬には滴っていた。
そんなシズハの表情を、俺はただ唖然と見つめるしか出来なかった。
「うぇ…センちゃん、だから…だからみっともないって…」
「みっともないから何だよ」
シズハの言葉を遮って、つい荒らげてしまった声に、シズハは少し縮こまってしまう。
「一人で抱え込むんじゃ、何も変わらないだろ。小さい頃からずっと一緒なんだ。何でも話して欲しい」
そう言うと、一瞬だけシズハは目を潤わせ、その後すぐに、俺の見慣れた笑顔に戻ってくれた。
「…えへへ…やっぱりセンちゃんには適わないや…」
屈託の無い笑みは、頬の涙跡によって強調される。
「ま、そうは言ったって魔法の能力じゃお前のが格段に上だろ?」
そう微笑みかけると、シズハはドヤ顔でVサインを送ってきた。
全く、心配した俺が馬鹿らしいよ……。