プロローグ─番外編
─…現在時刻10時30分。俺の目が覚めてから4時間と30分。リビングには自分一人だけ。
休日…とはいえ、いつも早起きのシズハが、こんな時間まで起きないのも珍しい。
暇潰しに読んでいた本をそっとテーブルの上に起き、大きく伸びをする。
「…起こすか」
正直…あまり気は進まないが、あまり寝かせておくのも良くないし、何より若干嫌な予感がする。
階段を一段ずつ登り、二階奥のシズハの部屋に近づくにつれ、徐々に胸を締め付けられるような苦しさを感じるようになってきた。
空気が悪いとか、埃っぽいとか、そういうものではない。どうやらこれは─密度の高い魔力が渦巻いている…らしい。
予感的中、どうにも歩みが重くならざるを得ない。
「全く…どうしてこうなるんだか…この分じゃ部屋の中は…」
想像しただけで恐ろしい。
「少し中和させないと…入れそうにない…か」
部屋の扉の前まで歩み寄り、ドアノブに手を掛ける。
手が痺れてくる。ドアノブが媒体になり、向こう側の魔力が直接手に伝わってきているらしい。早めに中和しないと、シズハの体調に影響が出るかもしれない…。
─金属媒体を通して、魔力の質を確認…これは、夢魔の魔力の類か?だとしたら、今シズハは悪夢の真っ最中…急ごう。
「反転し、主の処へ回帰せよ。其は汝らの依る身にあらず」
そう言葉を紡ぐと、手のひらに一段と強い刺激が走り、同時に周囲の魔力が霧散していく感覚があった。
二、三年に一度は同じような事が起こり、その度この呪文を使う。シズハのお母さんはこの魔法を見る度に驚くけど、もう使い慣れてるせいか、俺は驚きも戸惑いも感じない。
シズハの部屋に入ると、まだ若干魔力が停滞しているのか、少しだけ肌が痺れる。
いつもなら整理整頓されているシズハの部屋だが、ペンや本が床に転がっている。蹴りかパンチでも喰らったかの如く缶ペンケースは凹んでいた。恐らくシズハの念道力だろう。良く見れば壁にもいくらか窪みが出来ている…。
「うわぁ、ボロッボロ…少し直すか…」
本を本棚に戻し、ペンは缶ペンケースの隣に並べておく。そうして少しだけ荒れた部屋を元に戻していると、
「セン…ちゃん…」
と、掠れた声でシズハに名前を呼ばれた。
そのトーンには微かに悲哀の色が混じっていて、その声につられ、シズハの顔を覗き込む。
「…っ」
シズハの頬には涙が滴っていた。それを見、息を呑む。艶やかに光る涙の跡に、感傷的になってしまいそうだ。
「…ったく…どんな夢見てんだか…」
シズハの頬の涙を拭き取り、透き通る白髪を撫でる。僅かだがシズハの表情は和らいで、それだけで安心感に浸りそうになる。
しかし、悪い夢なんてものをずっと見させる訳にもいかない─
「シズハ、いい加減起きろ」
と、耳元で少し声を張ってみると、
「ひぇあっ!?」
なんて…シズハの間の抜けた声が、一番安心感を誘ってくれる。