脅威存在へ捧ぐ覚悟─参
見渡す限りの蒼だった大海は、最早見る影も無く、赤く焼け爛れた地盤を露呈させ、文字通りの焦熱地獄へと様変わりしていた。
バハムートは急速に天災との間合いを詰め、炎を纏い蓄熱した巨大な右手でその喉首を掴む。天災が口を開け、音の無い悲鳴のような咆哮をあげた。バハムートの掌に収束した炎は、天災の喉を焼いていた。
すぐさま天災は喉に喰らいつく腕を掴み振り解こうとする。だが、バハムートはそれをさせない。手のひらに集中していた腕の炎は、再び腕全体を覆い、牽制する。
バハムートが体を捻り、天災の喉首を掴んだまま粗雑にそれを振り回し、勢いをつけたまま直下の赤熱した岩盤へ向け投じる。
バハムートの手から解放された天災は、赤黒い塵を胸部の瞳から排出し、それで翼を3対の翼を形作り羽ばたく。が、わずかに投擲の勢いを減衰させる事が出来ても、落下を止めることは出来ず、そのまま岩盤へと激突する。地表は抉れひび割れ、溶岩と、焼け爛れた岩盤の破片が高く飛び散った。
バハムートと天災、恐るべき二つがその力を誇示し、ぶつかり合うには、真青の大海などでは相応しく無かっただろう。
俺はいつの間にか拳を握り、身震いをしていた。恐怖のためか?いや、恐怖に近いが確かに違う。シズハも、彼女の使う魔法も怖いなどと思った事は無い。形容し難いが、言うなればきっとこれは畏怖の念なのだろう。
再び地面が砕け、更に高く広範囲に熱を帯びた瓦礫が撒き散らされた。落ち行く瓦礫の中で、翼を広げ宙を仰ぐ天災を見た。
漂う瓦礫を吹き飛ばし、周囲に漂う赤黒い塵から幾つもの光弾をばら撒きながら、天災は飛翔した。その速度は、バハムートの投擲と同じ、あるいはそれ以上に思えた。放たれた光弾はバハムートに向け一直線に進む。
飛翔する天災と、向かい来る光弾を捉えたバハムートは、炎の翼を大きく広げ羽ばたき、天災と同等の速度で上空へ翔ぶ。天災が放った光弾は、バハムートの飛翔軌道を追うように進路を曲げ、更に速度を上げる。
差し迫った光弾に気付き、バハムートは飛翔しながら翼を一度大きく羽ばたいた。翼の軌道を辿る様に多量の小さな火球が放出された。火球は進路を逆行し、光弾を迎撃した。光弾と火球が衝突し弾け、幾つもの閃光を残す。不規則に広がるそれは、まるで空に瞬く星空のようだった。
俺はただ、その光景を、固唾を呑んで見守る事しか出来そうに無かった。
光弾を全て撃ち落とした段階で、バハムートは飛翔を止め、天災へと向き直った。天災はその勢いを止めず、バハムートを喰らわんとその口を限界以上に、裂け目が頭の後ろにまで回ってしまいそうな程に開く。
「シズハッ!」
絶叫し、無意識的に脚部魔力展開を行使しようとしていた。だが、結局はそれを行使できなかった。背後から伸ばされた手が、俺の肩をしっかりと掴んでいた。
「……行ってはいけない。今は、あの娘を信じなさい」
脚の損傷の激しい今、俺は背後からの静止の声を受け入れるしか出来なかったのだ。
天災は大きく口を広げたまま、バハムートの首元を喰いちぎらんと首を伸ばした。
──しかし、天災が喰らいついたそれは、刹那にその形を崩し、有耶無耶に光を反射する煙幕と化し、天災の周囲を覆い尽くした。
煙幕の側面が隆起し、そこからいくつかの帯状の炎と共にシズハが姿を現した。煙幕の内側を睨むシズハの外見には、特に何の変哲もなく、俺は大きく安堵のため息を漏らした。
シズハは周囲を見渡して、こちらに気付いた。恐らくは後ろにいる人の事も目に付いたであろう、少し驚いたような仕草を見せ、すぐさまこちらへと飛んできた。
「お母さん!? どうしてここに……」
アゲハを見たシズハは驚きの表情を隠せず、喜んでいるような驚いているようなぎこちない表情を浮かべていた。
「私が介入せずにバハムートが召喚されていたのなら、この場からセンが居なくなって、シズハは一人きりという結果になってしまっていたからね」
シズハは痛い所を突かれたように目を細めた。
「それに、アレはいくらシズハでも、あなた一人では倒し切れないはず。それはあなたが一番分かったはずでしょう?」
シズハは静かに頷き、申し訳なさそうに俺の方を見る。
「まだ動けそう……?」
「ああ、さっきよかマシ」
それを聞いたシズハは僅かに安堵の表情を浮かべ、すぐに真剣な表情に戻って話を続けた。
「次は、二人で一緒に倒す」
「……おう」
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天災は煙幕を引き裂き、咆哮による風圧でそれを吹き飛ばした。
「作戦は以上、反復は?」
「大丈夫、しっかり覚えた」
「ああ、同じく」
「あ、後これ、念の為にシズハとセンに渡しておくよ」
「……?何これ」
「通信機の類、みたいだな」
「そ、無線通信機。もしもの時用さ。……健闘を祈る」
天災の直下へ到達したシズハは、畝る炎の帯を天災の足下へ向け撃つ。蛇のように音無く忍び寄るそれは、天災の足に触れる直前にバハムートの腕へと姿を変え、その足を鷲掴みにした。
シズハの腕の動きに連動し、バハムートの腕も同じ動きをして、天災の足を強く引く。天災は翼を羽ばたき抗うが、ゆっくりと降下してゆく。
ーーまずはシズハちゃん、貴方は天災を空から引きずり下ろしなさい。
「分かってたけど……っ! 重い……っ!」
ーーセン、最初はシズハの援護を欠かさないこと。
「《氷結戟槍》!」
短い氷の槍を幾本も、天災の翼目掛けて射出する。足を掴む手に気を取られていた天災は、接近する氷の槍に意識を巡らせられていなかった。
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氷の槍が翼に直撃し、天災がヒトの絶叫に近い咆哮をあげると、穴の空いた天災の翼は霧散した。
「今だあっ!」
シズハが勢い良く腕を振り下ろすと、天災の体は直下の地面へと落下してゆく。
ーー天災を落とす事が出来たなら、シズハはあなたの撃ち放てる最大限の魔力を、召喚以外の形で、天災の胸部、あの瞳を守る部位を集中的に狙いなさい。
「《火焔──」
シズハは正面に、炎の輪を形成する。
「収束》!」
炎の輪は中心へ収束し、強烈な閃光と共に熱線を放った。熱線は落ち行く天災の胸部に直撃し、巨体はその勢いで杭を打ち込むかのように地盤に叩き付けられた。
「やった!直撃っ!」
天災の胸部、瞳を守る部位は赤熱し、半ば溶解しかけている。それの隙間から、真紅の瞳らしきものが見えていた。
ーーとどめはセンが刺すんだ。君の使う氷の槍は高密度の魔力結晶だからね。あの核を打ち砕く白木の杭になり得る。
「《氷結──》」
ーー投擲では届かない。なら……もう一段階上だ。
弓を引くように構え、氷の槍を矢として意識を集中させる。中途半端な魔力量では意味がない。自己の最大限を、一矢に注ぎ込む事に集中する。
「《魔導結晶……》っ!?」
しかし、形成されつつあった結晶体は、 魔力を注ぎ切る前にひび割れ、崩れてしまった。
「何で……っぐぁ!?」
同時に、腕全体に鋭い痛みが走る。筋肉が内側から引き裂かれるような、激しい痛みだ。
「何だよ……これ……!」
「もう一度……! ……ぐ……ぁあっ!」
痛みに歯を食いしばりながら、再び弓を引くように構える。が、腕に魔力を集中させると、激痛は更に酷くなり、手のひらを動かす事も出来ない。
『……センに問題発生。シズハ!反撃に最大限注意しながらセンを連れて私の結界の中に戻るんだ!』
腰に付けていた受信機から声が流れる。それと同時に、地盤に埋もれていた天災が、周囲の岩を押し上げ起き上がろうとしていた。
自分の腕に何が起こったのかを理解する前に、シズハは俺の胴体を抱え、アゲハの命令通り結界の内側へと向かう。
「……悪い、何もできなかった」
「お母さんのところに戻ってから慰める! 今は天災を良く見てて!」
「──分かった」
シズハは険しい顔つきで進み、俺を抱える腕にも力が入っていた。