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東京侵蝕  作者: 平山 ユウ
第一章-中- 玉響の休息
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第一章51 『泥の赤面』

部屋に射し込む朝日がノインの顔に当たる、その光は瞼を無視してノインの瞳に明るさを与え……その眩しさに耐えかねたノインはゆっくりと目を覚ます。

目覚めと共に車椅子に座る自身の体には猛烈な痛みが走るが、それが未だ治らぬ傷の痛みか、それとも寝相が悪かった事による体への負担かは分からない。


「ふぁ……」


煩わしい程に眩しい朝日を浴びながら、ノインは大きな欠伸を零す。

数回瞬きして目の過剰な潤いを拭い去ると頭を冷静に働かせていく……その脳裏に過ぎった最後の記憶は、ツェーンとした他愛ない会話だった。


何か真っ黒な空間が……誰かに何かを忠告されたような、そんな気持ちが心を支配するがそれは霞みのように実体が無く掴めない。

ノインは大きく息を吐くと、その霞を思いだせぬ夢だと割り切り辺りに目を向ける。


部屋を照らす朝日は、何時もより鮮明にノインに部屋の景色を見せる。

それは即ち普段よりも光量が多い事を意味し、またそれは同時にノイン達が寝坊した事を意味していた。


「!! ――ツェーン起きろ、もうとっくに集合の時間過ぎてんぞ!!」


部屋に備え付けられた寝台の上で、シーツを握り締めながら寝息を立てるツェーンにノインが声を掛ける。

だがツェーンはノインの呼びかけには応じず、安らかな睡眠を継続する。


「おいツェーン! 起きろって、朝だぞ!」


声掛けのみでは力不足と判断したのか、ノインは寝台の上のツェーンの肩を揺らす。

普通の人間であれば声と物理的接触があれば安眠を保つ事は困難であろうが、事睡眠の深さにおいてツェーンは一般人とは一線を凌駕していた。


「ツェーン! ツェーンさん! …………日咲さん!! ………………駄目だこれ」


耳元で怒鳴ろうとも、頭部に鋭い手刀を当てようとも全く睡眠の海から浮上しないツェーンにノインは頭を抱える。

ふと部屋に掛けられた時計を見ても何時もの集合時間に遅れているのは明らかで、ノインとしては早く広間に向いたいところだったが、ツェーンがそれをさせなかった。


「えっと、こんな状況を何て言うんだっけ……動かざる事山の如し? ……何か違うな…………つか本当にどう起こすのよコレ」


ツェーンを起こすための策を巡らすノインの頭に蘇ってきたのは、何時だったかフュンフと教会の中庭で話した記憶。

あの時はフュンフとフィーアの言い争いで気にも止めていなかったノインであったが……今慎重に自身の記憶の軌跡を辿ると、確かにあの時のやりとりでフュンフとフィーアがツェーンの寝起きの悪さについて言及していたのだ。


呼び起こされた自身の記憶が正しいならば、フィーアはツェーンを起こせる人間を「そうは居ない」と断言していた。

またそれと同時にツェーンを起こす事の出来るフュンフに称賛の言葉も送っていたはずである。


それが意味するのは即ち、ツェーンを起こすにはノインでは力不足――つまりはブルーメにおいてツェーンを起床に至らせる事が出来るのは、フュンフのみであると言っても良い。

フュンフと相棒を交換して初めて理解したツェーンを起こすと言う重労働に、ノインはどうしたものかと頭を抱えるしかなかった。


「誰か助けてくれ……フュンフにフィー、ツヴァイでもいい。 ツェーンを起こす事が出来るならもう瘴魔でもいいから、頼むからこの陸に打ち上げられた泥をどうにかしてくれ……」


ノインが手を擦り合わせながら祈っていると、それが通じたのかノインの耳は規則的に回廊に響く靴の音を拾う。

回廊に響く音が大きいのか、それとも何時もよりこの空間が静かだからかは分からないが……本来なら耳を澄ませ音を拾う事に注力しなければ拾えぬほどの小さな足音を、ノインの耳はまるで会話をしている人の声のようにしっかりと拾っていた。


はっきり言ってその聴力は異常だ、ツェーンが睡眠に関して一般人の範疇を脱しているのであればノインは聴力に関してツェーンと同じ事が言えるだろう。

ただ両者で明らかに違うのは、ツェーンは先天的でノインは後天的と言うその一点である。


ひょっとすると昨晩ツェーンの部屋を訪れた際に、扉を隔てていたのにも関わらずノインがツェーンとフュンフの言い争いをしっかりと受け取る事が出来たのは、ノインのこの異常な聴力が原因かもしれない。

果たしてノインに何時この後天的な異常聴力が宿ったのかは分からないが、少なくともノイン自身はこの事実に気付いてすらいなかった。


そんなノインの耳はツェーンの部屋目指して歩く靴の音をしっかりと拾う。

その音はやがて、ノインが破壊した後適当に修繕された扉の前まで来て立ち止まると……その不完全な修復故に開いた扉の隙間から部屋を覗く瞳となった。


その瞳は、部屋に居る睡眠中のツェーンとそれの対処に困るノインを見て全てを察したのか、扉を勢いよく開いて瞳の持ち主である者の体を部屋に侵入させる。


「お兄さん!」


部屋に入ってきたフュンフは開口一番ノインを呼ぶ。


「おーフュンフ! 超いいところに……めっちゃグッドタイミング!」


フュンフがこの部屋に来た事によってノインの悩みは――ツェーンを起こすという無理難題は解決されたと考えていい。

当然ノインの言った「グッドタイミング」とは、どうするか悩んでいた矢先に来たフュンフの事を指し示している。


ノインにとってまさに救世主……そんなフュンフの素晴らしすぎる登場に、早速ノインはツェーンの起床を任せようとするが、フュンフがノインに近付くスピードがノインとの距離が近くなっても遅くならない事に――寧ろ近付けば近付くほど速くなっている事に汗を垂らす。


「お、おい……フュンフ?」


高速で迫るフュンフとの距離が殆ど零となり、接触がもう避けられない事をノインが悟る。

もう何度目かも分からない傷口から走る痛みを覚悟しながら、ノインはフュンフに向けて両手を開いて受け止める体勢を作る。


その体勢によってフュンフは、完全に怪我人のノインへの配慮を忘れその胸に跳び込む。


「お兄さぁああぁあああぁあん、心配じだんでずよぉぉおおお」


ノインの胸に辿り着いた途端に溢れ出す涙と鼻水によってフュンフの言葉は冷静を失う。

フュンフ自身、ツェーンの瘴魔化などがありノインの心配どころではなかったが……昨晩ノインによって自身の姉が助かった事を受けて、抑えていたノインを心配する気持ちが溢れ出ていた。


やはりと言うべきか、フュンフが飛びついてきた事によるノインへのダメージはかなり大きなものではあるが……ここまで自分の身を案じてくれるフュンフを嬉しく思い、ノインはフュンフの髪を撫でるために手を伸ばす。

そしてゆっくりとフュンフの髪を撫でながら言葉を紡いだ。


「ごめん心配かけた…………それとやっぱりごめん、皆の楯何て言っときながらツェーンを守ってやる事が出来なかった……本当にごめん」


「……いいんです、お兄さんもツヴァイさんも無事に帰って来てくれましたし……何よりお兄さんはお姉ちゃんを治してくれました。 それだけで、私は十分です」


「例えそれでも今度は繰り返さない……今度はどんな事があっても守るさ……」


「はい……お兄さんが無理しない範囲でお願いしますね」


「おう…………で、アレなんだけど」


「アレ?」


ノインはフュンフの頭を撫でながら、目線だけを寝台の泥に向ける。

その視線を辿ってノインの言いたい事を即座に理解したツェーンがノインから素早く離れる。


「そ、そうでした……お兄さんと何よりお姉ちゃんを起こしに来たんでした」


「あ……やっぱり結構寝坊しちゃってる感じ?」


「は、はい。 本当は皆で一回起こしに来たんですが……そのお兄さん達があんまりにも気持ちよさそうに寝ているから、もうちょっとそっとしておいてあげようと……」


「あれ……寝坊は公認な感じなのか。 ……ならもうちょっと寝ていたいかな、後はフュンフよろしく~」


「ちょ、ちょっとお兄さん……こ、困ります! わ、私的にはお兄さんにはまだ寝ていてもらいたいんですが、これ以上はフィーアさんが!!」


「おっと、それは俺も怖すぎるわ……おはよう、超目が覚めたわ」


寝坊をブルーメの皆が認めてくれているのであれば、もう少しノインは自身の眠気に身を任せて休息を取りたいところであったが……フュンフの「フィーア」と言う単語に反応し、即座に体を起こす。

ツェーンと一晩過ごす事にでさえフィーアを説得するのにあれだけの時間をかけたのだ……加えて説得とは言っても、何度も頼み込んだノインにフィーアが折れる形であった。


結局ツェーンとノインが一晩一緒に過ごす事に対する許可も、説得に対する折れであって納得ではない。

そんな状態のフィーアをこれ以上放置しておいたら何をするかは分からない、フュンフの指摘と危惧は実に的確であった。


「フュンフ、とりあえずツェーンを起こしてさっさと広間に向うぞ!」


「そ、そうしましょう」


やたらと慌てるノインに釣られてフュンフも自然と早口になる。

そしてフュンフはゆっくりとツェーンの寝ている寝台へと近付くと、自身の口をツェーンの耳元へとゆっくり移動させ呟く。


すると先ほどまでノインがどんなに力を尽くそうが、目覚める事の無かったツェーンはその体をまるで飛び跳ねるかのように動かし目覚める。


「そそそそ、それは勘弁してくさあああ…………あれ?」


「ふふっ、おはようお姉ちゃん」


まだ寝起きで頭がしっかりと回っていないのか、ツェーンは『パチクリ』という効果音が聞こえてきそうな瞬きを数回行う。

そして現状を認識して爆発する。


「ノ、ノインさん! 私の寝顔、見ましたね!?」


「いや……別に今更な気が……」


「そ、それにフュンフ! ……何で起こすときにあんな事言ったのよ!!」


顔を赤く、頬を紅潮させ恥ずかしさを噛み殺そうと必死なツェーンを見て、フュンフは口元に手を当てクスクスと笑いながら答える。


「いや、だってお姉ちゃん……ああ言ったら起きるかなって思って」


「もう! ノインさんには聞かれてないよね? ないよね!?」


「大丈夫だよお姉ちゃん、耳元で囁いただけだから」


恥ずかしさからシーツに包まって悶えるツェーンを見てフュンフが笑う。

そんなツェーンの恥ずかしさの原因――即ちフュンフが姉を起こす際に囁いた言葉であるが、ツェーンと何よりフュンフはあの声量では聞こえるはずがないと、悶える姉を慰める。


しかしその二人のやり取りに、ノインは気まずさ故に頬を指先で掻く。

そう本来なら聞こえるはずもないフュンフがツェーンに放った囁き声は、ノインの異常な聴力の網には引っ掛かっていたのだ。


その内容が内容だけにノインは、まさか今更「実は聞こえていた」など言いだせるわけもなく言葉を詰まらせ頬を掻いたのである。

そしてその内容とは――フュンフがツェーンに呟き、ノインが言いだせず気まずくした言葉とは……。


寝ているツェーンにフュンフは「早く起きないとノインさんに嫌われちゃうよ」と囁いたのであった。


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