第一章49 『訳』
どれ位の間ツェーンが涙を流していたかは分からない、ただツェーンが泣き止むまで――ツェーンの目の赤みが引くまで、ノインはずっとツェーンを離さなかった。
抱擁が果たしてツェーンに対して効果を示したのかは定かではないが、ツェーンは涙と混ぜて様々な何かを流し落としたようにノインには見えた。
やがて完全に落ち着いたのかツェーンは数回腕の中でもがく、それの意味するところを正しく理解したノインが腕を開き抱擁を解除する。
ノインの腕から解放されたツェーンは数度鼻をすすった後、その瞳にしっかりとノインを映してから口を開く。
「落ち着きました……あの、ありがとうございますノインさん」
「いや、別に大した事はしてないよ……それに、これからはちゃんと頼ってくれるだろう?」
ノインの「頼れ」という発言に、ツェーンは瞳の瞳孔を縮ませる。
しかしその瞳をすぐに瞼で隠し、口角を上げて優しく笑いながら紡ぐ。
「そう……ですね。 すぐには難しいかもしれませんし、不器用かもしれませんが……それでもこれからはちゃんと頼りに――甘えさせて貰う事にしますね」
「ああ遠慮は要らない……俺も出来る限りツェーンの要望には応えられるようにするからさ……」
そんなノインの発言に、ツェーンは笑みを崩す事無く「期待しています」と返す。
それからツェーンは元に戻った――瘴魔化が完治した自身の四肢をゆっくりと眺める、未だに瘴魔化が治った事が信じられないのか……ツェーンは元々結晶が在った場所、今は肌に戻った場所を撫でている。
そして突然、何かを思いだしたかのように勢いよくノインの方へその顔を向けた。
「そういえばノインさん」
「な……何だよ」
ツェーンの口から発せられる声音に若干難詰の色を感じたノインが狼狽えながら返す。
実際にノインの予想は正解に遠くなく、難詰とはいかないまでもツェーンは全身で己の憤慨を――怒りを表していた。
「いいですかノインさん……助けてくれた事には本当に、本っっっ当に感謝しています、感謝していますよ。 ただ、なんであんな方法にしたんですか、私凄く怖かったんですよ? そこのところ分かっています?」
顔をノインにグイグイと近づけて、自身が持つ怒りがどれ程大きいかを表現してくるツェーンにノインは焦りながら謝罪の言葉を口にする。
「わ、悪かったって、ツェーンヲタスケルタメニハアレシカナカッタンダゴメンヨー」
「全然感情がこもってないじゃない!!」
ノインの謝罪とも言うにはあまりにも粗雑な謝罪――謝罪と表現するよりかはただの文字列と言ったほうが正確とも言える言葉に、ツェーンは自身の怒りをより大きくする。
勿論ツェーンは本気で怒っているわけではないが、それでもノインから一定の恐怖を植え付けられたのは事実であるのだ、それに対してノインへの謝罪の要求が無くなったわけではない。
ツェーンの瘴魔化を治す際にどうしてノインがあのような行動をとったのか、その理由を知り納得できればツェーンの溜飲も下がるのだろうが……残念ながらノインからは謝罪も説明もツェーンに伝えられる事は無かった。
この事実にツェーンは抗議の意味も込めて「えい」という実に可愛らしい掛け声と共に、ノインの傷へ鋭く手刀を下す。
決して速くはない速度……だが傷に対してはあまりにも速すぎる速度を持って、ツェーンの手刀はノインの傷を包帯の上から痛めつける。
当然手刀を受けたノインには己の体が燃え尽きてしまうかと錯覚してしまうほどの痛みと熱が全身に駆け巡る。
だがその痛みに捕らわれるよりも速く、ノインの頭にはフィーアとのやり取り――即ち、取り乱したノインがフィーアに傷口を攻撃されたあの出来事が思い浮かんでいた。
「ツェーンも、フィーも取りあえず俺の傷口を刺激して黙らせておけばいいみたいな考えを捨てるところから始めない?」
「……止めて欲しいなら理由を話してください」
そう告げるツェーンの表情は、ノインの傷口に手刀による打撃を加えた時とは違って至って真剣な色で染められていた。
その表情からノインは「ふぅ」と大きく一呼吸し、ツェーンの求めた話を始める。
「結果から言うと、確かにツェーンの瘴魔化を治療するだけならあんな小恥ずかしい芝居をする必要はなかったんだ」
「じゃあ何で……? 「殺してやる!」なんて、大量の殺気をぶつけながら言われて……私ノインさんに本当に殺される覚悟をしていたんですからね!?」
「ごめん……順を追って説明するとさ、最初に会った時から違和感は在ったんだよ」
「違和……感?」
「ああ……だから、その『中二病』? そんな症状……と言うよりかは、あんな喋り方をする人間が本当に存在しているのかって違和感が在ったんだ、演技なんじゃないかって実は最初から疑っていた」
そうノインは初めから――初めてツェーンに会った時から、彼女の言動の原因が『中二病』にある可能性は低いと考えていた。
そんなノインの言葉に、演技によってノインを完全に騙せていると思い込んでいたツェーンは大きな衝撃を受ける……またその衝撃と共に、初めから中二病を演じていた自分を見透かされていた事に羞恥がツェーンを襲う。
「な、な、な、な~!! 初めから気付いていたんですか!? じゃあ私がノインさんには、ただ中二病を演じている頭のおかしい奴に見えていたんですか!? ~~~何で言ってくれないんですか!!」
「い、いや……その確かに中二病が演技なんじゃないかって察してはいたけど、その理由については別に知らなかったんだ。 だから単なる趣味なのか、それとも何か凄い決意を持った上での事なのか、判断がつかなかった……それに、それを知っていいものか、訊いていいものか――その領域に下手に踏み込んでいいものかと躊躇していたんだよ」
そうノインがツェーンの立ち振る舞いを演技だと察していながら、それについて触れなかったのはツェーンの持つノインの知らない未知を恐れていたからであった。
つまりツェーンが演技している理由がもしもツェーンにとって触れて欲しくない何かに繋がっているのなら、そこに手を出すのは憚られたという事である。
実際にノインが戒懼していた通りツェーンの言動や立ち振る舞いの根っこは、一般的に容易に触れてよい話題ではなかった。
会って互いの事を信頼できる程の、互いの考えを完全に理解し合える程の時間や関係を持っているのであれば話は別だが……会ったばかりの――特にほぼ初対面であったノインとツェーンの広間での初めてのやり取りで、ノインがツェーンの言動に違和感を覚えてもそれをその場で指摘する事はないだろう。
要するにツェーンの領域にノインが踏み込む事に対してノインが持っていた躊躇いが、結局ツェーンを治療する事になった今この時までツェーンの違和感に関して働こうとするノインの行動を抑えていたのである。
寧ろツェーンがこのような状況に陥る事がなければ、ノインの持っていた躊躇いはひょっとすると何時までも消える事はなかったかもしれない。
ツェーンは、『ツェーンの言動や立ち振る舞いが最初から演技だとノインが気付いていたのであれば、それを何で言ってくれなかったのか』という質問に対して、返ってきたノインの答えにある程度の納得を示していた。
立場が逆であったのなら……即ちツェーンが、初対面もしくはそれに近しい人の言動や立ち振る舞いに違和感を覚えた時それを指摘するか、と今回のノインの立場を自分に置き変えたところ当然自身の答えは『NO』であった。
そして一度自身の中でそのような人の領域に踏み込む事に躊躇いを覚えると、例えその人をそれからよく知ったとしても――いや、よく知ったからこそ、その一線を超える事……躊躇いを消す事は難しくなってくる。
今の関係が良好であるならば、わざわざその関係を壊しかねない危険を冒してまでその領域に踏み込むような事はしないだろう。
ノインがツェーンに対して踏み込んでこなかった――踏み込む事を躊躇していた理由を知り納得したツェーンであったが、ツェーンにはまだ明らかにしたい事……と言うよりかは、ツェーンが最も知りたい事はまだ明らかになっていなかった。
「わ、分かりました……とりあえず私のアレを演技だと察していながらも、何も言わなかった事に関しては理解できました。 ですが、でーすーが! 私の瘴魔化の治療にあたってあんな殺気振りまいて「殺してやる」なんて台詞まで吐いて、私を追い詰めてきた理由がまだですよ!」
「あれは……その、実はツェーンの治療にこの部屋を訪れた時に偶然聞こえたんだ」
「聞こえた? ……何が?」
「ツェーンとフュンフの言い争いだよ……喧嘩と言ってもいいかもしれない」
そうノインとフィーアがツェーンの治療のためにこの部屋に訪れた時、ノインは扉から漏れ聞こえるツェーンとフュンフの言い争いの声を正確に拾っていた。
立ち位置的な関係か……フィーアには途切れ途切れにしか聞こえなかった部屋の中の音をノインはしっかりと聴いていたのだ。
つまりノインがツェーンの治療において、あのような行動をとったのは、その言い争いの内容がキッカケであった。
「ノインさんは聞いていたんですね……ちょっと恥ずかしいかな」
「ああ……あの会話からツェーンの話し方が普通だった事と、内容からツェーン達の過去が大雑把に把握できた。 だから、ツェーンの演技によって抑圧された本当のツェーンを引きずり出すには何か大きなショックが――大きな出来事が必要だって思ったんだ」
「……………………それを考えた結果が、その大きな出来事として思いついたのがアレですか?」
「…………いやぁ~、だってよく死に際に立たされた人間が本音を語るシーンって言うのが創作話であるだろ? ……だから今回もそれでいけるかな……って、死を感じさせて追い込めば演技じゃないツェーンが出て来るかな……って、思ったで……ござる?」
「………………………………」
無言でノインの言葉を震えて聞くツェーンに、ノインは何か嫌なものを感じたのか……ノインの語尾は、段々とその音を小さくそして意味不明なものになる。
ツェーンは無言で下を向いているため、その表情をうかがい知る事はできないが全身からは明らかに怒気の雰囲気を纏っていた。
改めて纏めるとノインは何故ツェーンの命を奪うと言ったのか……ツェーンに死の恐怖を植え付けたのか、その理由は実に単純で死が明確になった人間は本音で語るだろうというノインの希望的憶測によるところが多い。
加えて言うと、その死に際の人間が本音を語るという憶測も、創作話では良くあるシチュエーションという曖昧な理由でしかない。
ノインがとった行動が今回たまたま結果として良いものを齎した為まだ良かったが、そんな適当な理由で死の恐怖を植え付けられたツェーンとしては堪らない。
「…………ば」
「ば?」
「……馬鹿ァああああぁぁあああぁぁぁあああ!!」
「うおっ!?」
「何ですか、死に際の人が本音で語るのが創作話の十八番? 知りませんよ、馬鹿ですか、馬鹿ですよね、何で創作話の内容を現実世界に適応するんですか!? アホです、ノインさんはアホです、どれだけ怖かったか本当に分かっているんですか!? ――それと何よりも、何で自身の過去の記憶は無いのに、そんな自分が読んだ創作話の記憶はあるんですか!!」
「ご、ごめん! だからごめんって……とりあえず傷口攻めるのだけは止めて!」
「馬鹿、馬鹿、馬鹿、馬鹿、馬鹿!! ……………………でも、ありがとうございました」
「おう、えっと……何だ、フュンフとは仲直りしておけよ?」
「ええ……もちろん、たった一人の妹だもの」
「妹……か、俺にも……いや」
ツェーンの放った「妹」と言う単語に、ノインは自身記憶の疼きを感じるが、それには気付いていないふりをして蓋をする。
そしてそのまま――ユエの記憶には触れないまま、ノインはツェーンと閑談しながら夜明けを待った。




