第一章45 『突きつける死』
ノインが扉に手をかける、その手は当然扉を開くために動かされるが……その結果にノインは疑問を持った。
「なあフィー……扉が開かないんだけど……」
ノインの疑問……それは『扉が開かない事』であった。
勿論怪我を負っているノインが扉を開けるために込めた力は、他の健常者が込めるそれとは比較にならないくらい弱弱しいものである。
しかし幾ら微々たる力とは言っても、ちゃんと木製の扉を開く事が出来るくらいには力を込めていたし……第一扉が開かない理由には、扉を数回動かしただけでその応答から至る事が出来ていた。
開かない理由は、ノインが込めた力の問題でも、扉の建てつけなどでもなかった……理由はもっと根本的な部分にあった。
「これ絶対鍵かかっているよなぁ……」
そう、ノインが扉を数回動かして得た応答から導き出した答えは『鍵のかかった扉』であった。
扉から奏でられる金属が擦れるような独特な音が、ノイン達がその部屋に入ろうとするのを防いでいた。
だがそれを予期していたのか、フィーアは鍵がかかっているという事実に驚きはせず言葉を紡ぐ。
「ツェーンさんがその……瘴魔になっていく姿を見られたくないと、閉じこもってしまいまして……中に居るのは多分フュンフくらいかと」
「成る程ね……まあ気持ちは解らなくもないかな……」
ノインは傷だらけの左手で傷一つない右腕を摩る。
ツヴァイを救出する際に目覚めた――右腕に紫の結晶を纏う『瘴腕』を実際にブルーメの皆に見せたらどうなるのだろうか……その気持ちはノインにもあった。
異端の者として畏怖されるだろうか、瘴魔として対峙されるだろうか……それとも……
瘴腕を見た彼らがとる行動の可能性は無限に考えられた……だがノインは、そんな心配を幾らしたところでそれが杞憂に終わる事を知っていた。
それは実際に瘴腕を見たツヴァイ達の反応からも、フィーアが瘴魔化を治療できる事を話して何も問題が起きていない事からも、ブルーメの皆がノインと普段どおりに接する事が出来るのを知っていたからだった。
この新東京の中で、豹変したノインを見て普段どおり接する事が出来るほうが実際は不自然な事なのかもしれないが、寧ろそんな組織だったからこそノインは過去の自分を捨ててブルーメと生きる事に決めたのかもわからない。
兎に角そんな組織だからこそ、ツェーンが恐れている『瘴魔化していく自分の姿を見られる事』も、ここでは杞憂で終わるであろう事を予想していた。
だがもちろん『拒絶されたら……』というその恐怖もノインは十分理解できていた、だからこそ治療を行いに来たのであるし、治療の原理が分からない以上それを早く行う必要もあった。
つまり面前の扉は、ノインにとってとてつもなく邪魔な障害以外の何物でもなかった。
「フィー、とりあえずこの扉を開けない事には始まらない……どうすればいい?」
「中にはフュンフが居るはずです、言えば開けてくれるかと……」
「だな」とノインは短く答え、扉をノックしようと右手を軽く握る。
その握り拳が扉に接触する寸前にノインは気付いた。
傍から見たらノックをする直前にノインが硬直したのだから、フィーアは何か問題が起きたのかと言葉を紡ごうとする。
しかしノインは、フィーアが音を出す事を……ノックするために握った拳を開き、その手を平らにしてフィーアの面前に構える事で阻止した。
そのままの状態で左手の人差し指だけを立てて口元に当てる。
「フィー、何か……言い争っている声? ともかく静かに……」
つまりは『黙れ』と指示してきたノインにフィーアは頷く事で従う。
そうして静寂に支配された回廊は、闇が居る事も合わさって周囲の音を何時もより良く響かせる。
そんな回廊では、特別聞き耳を立てる行為を行わなくても、扉で隔てられた部屋の会話くらいは若干聞き取る事ができた。
そこでは確かにノインが言うように、フュンフとツェーンの声が響いていた。
「……――ちゃんは、……して……何時も……――!?」
「う……さい! ――には、…………ない、……も……も――だって、……の味方は――だった!!」
その声は途切れ途切れで、一体何を話しているのかまではフィーアには分からなかったが、怒気を孕んでいる事だけは容易に理解する事が出来た。
果たして姉妹喧嘩の声をノインが正しく聞き取れたかは定かではないが、その声を聞いたノインは「よし」と短く呟き息を吸い込む。
そしてこの闇と静寂には似合わない――おおよそ対極に位置するような大きな声で言い放つ。
「フィー、フュンフ、ツェーン! 何よりも優先して扉から離れろ!!」
ノインが楽しそうに言う。
その声音が意味するところに辿り着けないフィーアは一瞬狼狽えるが、その声が意味するところには行き着きすぐさま後ろに退く。
ノインの声を扉一枚隔てて――部屋の中で聞いたフュンフとツェーンがどう思ったかを知る術はないが、先程まで響いていた二人の喧噪はその息根を止められていた。
フィーアが扉から少し離れた事を確認し、扉の向こうでも何やら気配が動いた事を認識してからノインは右手を大きく前に出す。
伸ばした右手の掌を木製の扉に当てると、少し不敵な笑みを顔に浮かべて呟く。
「纏え……瘴腕」
その呟きと共にノインの腕は紫の霧のようなものに包まれる。
そしてそれはどんどんと密度と濃度を上げていき、ノインの腕が放つ肌色が目視できないところまで達すると、眩い光を生じた。
目を鋭い刃物で刺されているのではないかと錯覚するほど、眩くも痛いその光にフィーアが瞼を閉じる。
やがてその光が収まり、ゆっくりと瞼を開けたフィーアの目に映ったのは紫色の結晶を右手に纏ったノインの姿であった。
それはツヴァイを救出する為に――特異体と戦ったあの時に、ノインが暴走した時と同じ状態。
ただ一点あの時と違ったのは、ノインが右腕に纏ったそれを完全にコントロールしているように見えたところであった。
ノインが右腕に紫色の結晶を纏った状態――即ち瘴腕を発動させている状態として、フィーアが知っているのは、特異体との戦闘……その戦闘において暴走したノインの姿である。
暴走した原因が果たして何処にあるのかをフィーアは知らないが、少なくともまたあの状態になればノインは暴走するとフィーアは考えていた。
しかし結果は全くの逆……今のノインは、ノインとしての自我を完全に保ちながら、その異常とも言える腕を我物としていた。
フィーアが驚くのは自然な流れである。
実際のところノインがこの瘴腕を知悉し体得するまでに至った経緯には、記憶の中での――ノインが目覚めるまでに生じた、ユエとの邂逅が齎した結果であるのだが、フィーアはそれを知らない……もっと正確に言うならば、ノインも目覚めた時点でユエと邂逅した記憶は失っているのであるから誰も知らない。
つまりフィーアの目には、ノインが四日近い昏睡から目覚めた途端にあの不思議な腕の力を身に付けたように見えたのである。
「ノ……ノイン!? 大丈夫なのですか!?」
「ん? ああコレの事なら心配ないよ、何だが完全に扱い方が解ると言うか……もう暴走はしない……はず」
語尾の声量が小さくなっていく事に不安を感じずにはいられないフィーアではあったが、ノインの言う事を信じ見守る選択をする。
そんなフィーアを横目にノインはもう一度忠告をする。
「ともかくフィー、そこから一歩も動かないでくれよ」
その言葉を最後にノインはゆっくりと瞼を閉じる。
今度イメージするのは……特異体に寄せられた瘴魔をなぎ払うような、連鎖的な爆発のイメージではなく、もっと小さい……扉が吹き飛ぶ程の、力の放出のイメージ。
やがて明瞭に――鮮明に脳裏にイメージが焼きつく事を確認したノインが鋭く扉を睨む。
「吹き飛べ」
まるでそれが合図であったかのように、ノインに右手で触れられていた木製の扉は紙くずのように簡単に……文字通り吹き飛ぶ。
吹き飛ぶ際にかなり無理があったのだろうか、それとも壁と接続されていた金属が外れた音だろうか……兎に角木製の扉は豪快な音を立ててノインに破壊された。
「よし! 代替予想通り!!」
悪戯を終えた子供のように清清しい笑みを浮かべてノインが言う。
そんなノインの姿に――フュンフやツェーンにとっては、昏睡している状態でしか見ていなかった元気なノインの姿に驚きの声をノイン以外の三人が零す。
「ノノノノノノノノノノ、何やっているんですかノイン!?」
「お、お兄さん!? ……け、怪我は大丈……ってえええぇぇぇえええ何ですかその腕は!?」
「ノ、ノインさんが……アレ? えっとこれどういう状況……」
三人の驚いた反応に何故かノインは、少し勝ち誇ったような――自惚れに似たような感情を得る。
そんな自己を満たす満足感を反芻しつつ、フュンフの発言からフィーアに疑問を投げる。
「あれ……ひょっとして、瘴魔化治療の事は話してはいても瘴腕の事については言ってない?」
「言ってないです! と言うよりかは、ノインのそれが瘴腕だと――そう言う名前である事も初めて知りました!!」
突然の行動そして驚かせた事に若干怒っているのか、フィーアが早口に答える。
ノインはそんな状態のフィーアを見て舌を少し出し、左目だけを閉じてウィンクを送り誤魔化すと、視線をフィーアから室内に居る二人に変えた。
「よう、思ったより元気そうだな、フュンフに…………ツェーン」
真っ直ぐツェーンを射抜くノインの視線に、ツェーンはすぐさまノインの視界から逃れようとする。
しかし扉を壊され逃げ場がないツェーンには、もうおよそ隠れ場所となるような安寧の地――彼女を晏如としてくれるような場所は欠片さえ存在していなかった。
ツェーンは自身を隠す場所を失った、だからこそツェーンが心に静謐な時を取り戻すためにはノイン達を追いだすか、自身がここから立ち去るかの二択であった。
その選択の中でツェーンは前者を――即ちノイン達をこの部屋から追い出す方を選択した。
「……って」
「ん?」
ツェーンから発せられたその声があまりにも小さかった所為で、ノインが思わず聞き返す。
するとツェーンはその声を数倍にし、自身の心の内を――自身の負の感情をぶつける。
「今すぐ出てって! 此処に居ないで……いないでよ……。 もうこんな姿……さっさと殺してよ!! それをしないならさっさと出ていけって言っているの!!」
ツェーンは自身の体を抱きしめるようにしながら叫ぶ。
ツェーンの体は良く見なくとも、抱きしめる腕……抱きしめられる身体、そして顔に至るまで紫色の結晶に侵蝕されていた。
それはノインが纏っているような規則的な結晶の纏いではない。
ツェーンのそれはもっと酷く醜く、人間としての体の領域を侵されているような……そんな冒涜的な姿にであった。
その姿は闇市で見た瘴魔化したエルよりも瘴魔らしい。
寧ろ人間に近い姿を持つ特異体であったエルの方が特別ではあるのだが、まだ半瘴魔化しただけのツェーン方が人間として残された部分も時間も少なかった。
そんな醜い自身を自分だと信じたくないのだろうか、ツェーンは誰が見ても明らかなほど絶望の色に染まっていた。
それこそ「殺さないなら出て行け」と言う言葉が零れるほどには。
「だそうだ……フィーにフュンフは出て行けって言われているぞ」
「「「は?」」」
三人の声が見事に重なる。
「ん? 聞こえなかったか……だからツェーンがフュンフとフィーはこの部屋から出て行けって言っていたって事」
それが当然かのようにフィーアとフュンフを追い出そうとするノインに、追いだされそうな二人は理解不能の――疑問の色を示す。
「待ってください……何がどうやってそのような結論に至るのか、ノインの考えを小一時間程問いただしたいんですけど……」
「お、お兄さん? 一体何を?」
二人は何が何だか分からないといった表情でノインを見る。
だがやがてノインの眼差しの奥に在る真意に気付いたのか、それとも何かを感じ取っただけかはともかく二人は退く事を決意する。
それにノインが瘴魔化を治療出来る事を二人は知っている。
故にその治療において絶対的な権力者――指図を行える立場にあるのはノインの方だった、その者が「去れ」と言っているのだからそれに従わないわけにはいかない。
「分かりました……その代わり何かあったら直ぐに呼んでください。 ……行きましょうフュンフ……」
「は、はい……。 お兄さん宜しくお願いします……」
その言葉だけ残して二人はこの部屋から去る。
フュンフの方は実姉が瘴魔化しているのだから、出るまでに何度もノインとツェーンを確認してこの部屋を出た。
二人が出た事によってこの部屋はノインとツェーンの二人だけとなった。
部屋には明かりが灯っているのにも関わらず、部屋の空気が重く暗く感じられた。
そんな中でツェーンがゆっくりと口を開く。
「言ったでしょ……出て行って! もう嫌なの……こんな姿な自分も、それを誰かに見られるのも……もう耐えられないの……」
普段のあの特徴的な言葉遣いを止めたツェーンは、ノインの瞳に酷く弱弱しく映った。
直ぐにでも治療をしたい衝動に駆られるが、それをぐっと堪えてノインが紡ぐ。
「いやお前も言っただろ? 殺す者ならここに残ってもいい……って」
「………………え?」
ノインの言葉にツェーンが下に向けていた顔を上にあげる。
そこにはノインの腕が――紫色の結晶を纏った瘴腕がツェーンに突きつけられていた。




