プロローグ5 『新東京』
説明回です。
不明な点は是非ご指摘ください。
「俺達が現在居るのが東京だ、まあ『新東京』と言ったほうが正確ではあるのだが。 ……こんな状況になる前までは都心部には高層マンションやビルなんかが立ち並びそれはそれは美しい日本の首都だったんだぜ」
ヌルが説明を始める。この世界の状況はユエにとってずっと訊きたかったことであるが、それより先ず気になることがあった。
ちょうど横にいるフィーアが暇そうに飲み物を飲んでいたので彼女の耳元で囁く。
「なあフィーアちゃん、ヌルって女だよな? なんで一人称が俺なわけ? 」
「さあ詳しくは解りかねますが……そうですね……顔に火傷の痕が残っているので、常々女として見なくていいとヌルは言っているのでその表れかもしれませんね」
「ふうん。 火傷の痕もそこまで広くないし美人だと思うけどね」
そう言って説明をしてくれているヌルの顔を見つめる。確かに多少の火傷の痕が見受けられるがそれによって彼女の美貌が著しく損なわれているとは思えなかった。
顔についた少しの傷くらいで女を捨てるところまでいくだろうか?――最ももっと別の理由があるかもわからないが――女心と言うのは難しい、ユエはそう判断する。
そんな気持ちになっていると左足の甲に鋭い痛みを感じる、思わず「うぐっ」と悲鳴を漏らし、その痛みが走った先に目を向けると、そこには白い靴――もといフィーアの足があった。状況から察するにフィーアの軽い踵落しを食らったのだろう。
「……あのフィーアちゃん……なんで?」
「……わかりません……でもなんだかむかついたのでつい」
顔と体系に見合わず結構実践派なのねと、ユエは彼女の評価を読書少女から攻撃タイプ読書少女に改める。
「おい、俺の話聴いているのか?」
「ああ悪い悪い……確か鳥の胸肉の話だったよな?」
「そんな話してねえだろうが!!」
ヌルはふざけたユエに対して拳で対抗した。結構痛かったので真面目に聴こうとユエは態度を改める。
何より現在自身が置かれている状況の説明を望んでいたのはユエなのだから真面目に聴かないというのが異常とも言えるが。
「しっかし東京ね、ここが東京……東京、やっぱ信じられねぇなぁ」
「ん? 東京って言って通じるのか?」
ヌルは記憶喪失のユエに対して東京という単語が通じるとは思っていなかった為、少し驚いた様子を見せるが、直ぐにユエの記憶喪失の状態が自身の想定より軽症である事に気付き、認識を改める。
「ああ大丈夫だ、何となく言っている事は理解できている。 学校とかショッピングモールだとかそう言ったものがあった事はぼんやりと覚えているよ」
曖昧な記憶がユエの頭の中に広がる。記憶は欠如しているがその断片を薄っすらと頭の中に思い浮かべる事はできた。ショッピングモールに誰と行ったのかなど、詳しくは思い出せないがヌルの言っていた通り東京はもっと活気ある都市だった記憶はある。少なくともこんな瓦礫と紫色の霧は立ち込めていなかったはずだ、逆に言えばそんなぼんやりとした記憶があったからこそ、目覚めて目にした惨状を現実ではなく、異世界と判断したのだ。
「やっぱ信じられねぇよ、まあ街が瓦礫化してしまったのは地震とかそう言った自然災害だと解釈できたとしても、紫色の霧と……何より『魔物』はなぁ……ちょっと現実離れし過ぎてないか? そこが一番異世界にしか思えない点なんだが……」
そう、ユエが今の状況を現実、東京で起こっていると考えられない最大の理由は魔物、つまりはユエが交差点で遭遇した化け物にあった。しかしヌルに東京だと言われて納得している自分も居た、何故なら……
「いやでも……俺が魔物と遭遇したのは今考えれば交差点なんだよな、あの時は必死で気が付かなかったけれど今思い返してみれば、信号機もあった気がするし……俺のイメージする異世界ってこう……中世な、ホラ石畳で馬車が走ってお城がある感じの……なあ!?」
ユエは止まりそうにない独り言を収束させるために、異世界イメージの共有をヌルに求める。それに対してヌルはユエの期待通りの反応をする、つまりは会話の主導権がヌルに戻ったのである。
「いやそんな事俺に訊かれても知らん……それといきなり答えを求めるな、一から説明してやっからよ」
そんなヌルを見てユエは何時の間にか立ち上がっていた自分の体を椅子に戻す。横から飛んできたフィーアの「満足しましたか?」には「アッハイ」で返すしかなかった。
ヌルは大きな咳払いをすると説明を継続する。
「兎に角そんな活気ある東京――俺達は『旧東京』と呼んでいるが、その旧東京が終焉を迎えたのが二年前だ」
「……私達はそれを『裁きの日』と呼んでいるです」
「裁きの……日?」
裁きの日、一体何に裁かれたと言うのだろうか。そう言えばこの世界には『最後の審判』と呼ばれるものがあったはずだとユエは思いだし、それを図らずも口から音として零す。
「世界の終焉後に、人は生前の行いを神によって裁かれる……か」
「何か言ったか?」
軽く首を横に振り、「いやなんでもない続けてくれ」と言いヌルに続きを話すように促す。もしこの世界の状況が神の仕業なら、神は碌なものじゃないなと、ユエは存在すら怪しい神に悪態をつく。
「それで裁きの日に起こったのが、お前も見たあの『瘴気』の放出だ」
「瘴気? ああ、あの紫色の霧のことか」
「そうだ。 あの霧が裁きの日に東京全土で地面から放出された。 まあ正確には霧が噴出した日を裁きの日と呼んでいるわけだが、何にせよそれによって旧東京はめでたく滅びを迎えたってわけだ」
皮肉交じりにヌルが説明をする。彼女の話によると東京がこんな状況に陥った最大の原因はあの紫色の霧にあるようだ。
――ちょっと待てよ、霧が出てきただけで東京が滅んだ? それに気付いたユエは背筋が冷たくなるのを感じた。つまりは東京を壊滅させるだけの力を持った霧が、毒性を持っていないとは彼には考えられないと言う事である。もっと言えば気体が人を死に至らせる理由をユエは毒性しか知らなかったのである。
「ってことは、やっぱりあの霧吸い込んだらマズイパターンだよなあ……今思い出したらあんたらもガスマスクしてたくらいだしな。 あれ……俺もしかしてマジで死ぬ?」
「確かに吸い込んで得する物ではないし、人体に有害である事も確かだ。 でもまあ恐らくお前はそこまで気にしなくていい……と思う」
要領を得ないヌルの説明に違和感を覚える。きっとそれは顔にも出ていたのだろう。ヌルは捕捉だと言わんばかりに言葉を紡ぐ。
「少し説明が足りないな。 裁きの日に旧東京の地面から突然噴出した瘴気は何も東京を侵蝕しただけじゃない、当時十六歳以上の人間全てを侵し殺したわけさ」
「ちょっと待てよ! つまりじゃあ十六歳以上の人間は皆死んだってことか?」
「それはちょっと正確じゃないな。 裁きの日つまり二年前に十六歳以上だった人達だ。 それに彼らも別に死んだわけではない」
「それって……どういう」
嫌な汗が止まらない、まるで悪い夢を見ているようだった。――いや正確には顔を思いっきり引っ叩かれ『現実に連れ戻された』の方が表現としては正しいのかもしれない。
ここに居るヌルやフィーアが若く、そしてアインスやツヴァイが発した声を若々しく感じたのはこれが理由なのだろう。
裁きの日が二年とどれ位前なのかは分からないが、少なくとも今現在この世界には十九歳以上の人間は居ないということだ。
そして嫌な事に当時十六歳以上の人間が瘴気に侵され辿った末路に、ユエは一つだけ心当たりがあった。できれば考えたくなかった可能性ではあるが、ここまで情報を与えられてはどれだけ鈍い人でも察しがつくだろう。
「瘴気によって侵された人間は皆『人』としては死に『瘴魔』となったのさ。 そうちょうど俺達がお前を救ったときに戦った相手さ」
「やっぱりか」と少し頭を抱えてユエは考える。あの交差点で出会った化け物、もとい瘴魔の元となったのは人間であったということだ。
「つまりあの紫色の霧――瘴気を吸い込むと瘴魔になるってことか?」
「そうだ」
短く告げられた肯定の言葉にユエは絶望した。なぜならユエは彼女達に助けられるまでに相当量の瘴気を吸い込んでいる、つまり彼女の話が本当ならばいつか自分はあの醜い化け物と同じになってしまうということだ、これに絶望しない理由がない。だがユエはすぐに絶望を振り払う、絶望を振り払う原動力となったのはまだ先程ヌルが言った『お前は瘴気を吸ってもそこまで気にしなくてもいい』という言葉の真意を聞きだせていないからだ。
「……大丈夫ですか?」
フィーアが顔を覗きこみ心配そうに声をかける。内心穏やかではなかったが、ユエはいまできる精一杯の作り笑いを浮かべて「大丈夫」と答える。
「それで……その瘴気に侵蝕されて当時十六歳以上の人間が瘴魔になったのと、俺が瘴気を吸っても大丈夫な理由がどう繋がる?」
いくら化け物の正体を知ろうが、自分が斬った相手が元人間と知って不快な気持ちになろうが結局大切なのはその一点だ。
つまりは自分が醜い瘴魔になるのか否かというものであり凄くシンプルである。
「当時十六歳以上の人達……いい加減面倒くさいから『大人達』と呼ぶぞ。 確かに裁きの日に大人達は瘴気によって全滅したが子供達が無害だったわけじゃない」
ヌルの説明に、フィーアが情報を加える。
「……具体的には残された子供達は『適格者』か『順応者』にわかれました」
「そう、俺が思うに恐らくお前は適格者だ。 順応者があんな場所にガスマスクも付けずに居て平気な筈がねえからな」
そう言われてみれば、ユエの脳裏に浮かぶのは彼女達に助けられたときの記憶。誰かがユエを指さして『適格者』と呼んだような記憶がそこには在った。
「適格者っていうのは瘴気に対して大きな耐性を持つ者達の総称だ、傷の治りは速い上に体内に取り込まれた瘴気の侵蝕も遅い。 まあ長時間瘴気を吸ったり、大怪我をしたりすればいずれは瘴気に侵蝕されて瘴魔になるが、あれ位なら大丈夫だろう。 まあ後でお前が適格者かどうかは確かめてやる」
つまり適格者と呼ばれる人間は瘴魔になりにくいと言う解釈でよさそうだ。加えてユエは幸運な事に適格者に分類されるらしい。
「成る程、あんたが気にしなくていいと思うと言ったのはそう言う理由か…………一つ質問いいか――瘴気を吸い込むことで体が瘴気に侵蝕される、これはまあ何となくイメージできる、だが大怪我することで瘴気に侵蝕される理由はなんだ?」
「傷の高速再生というのは瘴魔の特徴の一つでもある。 どうやら傷ついた体が瘴気の力を頼って回復を行うらしいが、そうすると肉体は自然に瘴気に侵蝕されるそうだ――すまんが俺にも詳しい事は分からない」
「いや」と言いユエは少し考えに耽る。瘴魔を刀身で切り裂いたとき、黒い触手が瘴魔の体を再生しているように見えたのはこれかと結論付けた。
加えて自身が瘴魔から受けた左脇腹の傷が痕も無く綺麗サッパリと消滅した理由もこれで説明がつく。要はユエの体内を侵している瘴気が、傷を再生させたという事だ。
適格者について納得の色を示したユエを見ながらヌルは続いて順応者について話すために口を開く。
「それで適格者以外の……俺達みたいな奴らは順応者と呼ばれる。 まあそもそも適格者なんて滅多に居ないけどな、俺だって見るのは始めてだ。 それで順応者を簡単に説明するなら適格者の下位互換だと思ってくれりゃあいい」
「つまり順応者は傷の治りが遅い上に瘴気が体を侵蝕する速度が適格者に比べて速いってことか」
「そうだ、適格者は傷の治りも速いし、瘴気が体を侵蝕する速度が遅いから瘴魔との戦闘でも多少無茶が利くが、順応者はそうはいかない。 下手して瘴魔に大怪我を貰おうものなら一発で瘴魔になりかねない。 外ではガスマスク必須な上に瘴魔との戦闘では大怪我が許されない、適格者のお前が羨ましいよ……いやほんと」
「つまり纏めると、裁きの日に旧東京の地面から瘴気が溢れ出てきた。 当時の大人達は瘴気によって侵蝕され瘴魔という名の化け物になった。 残された子供達は適格者か順応者にわかれ、適格者は瘴気に高い耐性を順応者は低い耐性を示す。結果的に都市には瘴魔が跋扈するようなり、瓦礫一色・瘴気だらけの新東京のできあがりと、そういうことか?」
「まあ代替はそれであっている」
……ふむ、今ヌルが説明してくれた内容で、ここまでに生じた謎はある程度解消した。しかしこれだけではどうもまだ足りない。恐らくその答えは先程ヌルの言った『代替』の部分に含まれているのだろう。
「さてそれじゃ俺から質問だ、あんた達はこの世界で生きて居る唯一の人間なのか? いやそんな筈はないよな、だって助けてくれたときもさっきも――」
「まて」
ユエの質問を遮ったのはヌルの短い一言だった。
「飲み物もちょうど無くなったところだ……この話の続きは飲み物を淹れなおしてからにしようじゃないか」
ヌルの提案にユエはふとこの部屋に掛けてあった時計を見る。話しに集中しすぎていた所為で気付かなかったがユエが目覚めてから一時間も径過していた事を、その時計の針の位置は告げていた。